- 作者: 長井鞠子
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2014/02/14
- メディア: 新書
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内容紹介
サミットから2020年東京五輪招致まで、同時通訳者が現場で実感した「勝てる」プレゼンの法則。
1970年代から現在にいたるまで、様々な国際交渉に携わってきた通訳の第一人者である著者は、石原慎太郎の「尖閣発言」を通訳したり、2020年の東京五輪招致に携わったりするなど、長い通訳者生活のなかで、多くの要人・著名人と関ってきた。
これまで通訳してきた著名人は、海外国家元首、日本国総理大臣や歴代閣僚はもとより、ダライ・ラマ14世、マイケル・サンデル、ホーキング博士、アンソニー・ホプキンス、ケビン・コスナー、デビッド・ベッカム、ヨーヨー・マなど、実に多彩で、手がける分野は、政治・科学・医療・映画・音楽など多岐にわたる。
本書では、ゴルバチョフやミッテラン、小泉純一郎、石原慎太郎、細野豪志など国内外の著名人との貴重なエピソードを語りながら、言語を超えた
コミュニケーションの普遍的「法則」を紹介する。
僕は言葉に関わる仕事をしている人の文章を読むのが好きです。
そのなかでも、通訳者や翻訳者の話というのは、面白い確率が高いような気がします。
英語が苦手で、コンプレックスを抱えている僕にとっては、憧れの存在でもありますし、米原万里さんという「すばらしい文章を書き続けた通訳者」もいらっしゃいますし。
というわけで、この新書、書店で見かけて手にとったのですが、サミットなどでも信頼を集め、今回の東京オリンピック招致活動にも関わってきた著者のキャリアと紹介されるエピソードは、とても興味深いものでした。
著者は「通訳」という仕事の難しさのひとつを、こんなふうに説明しています。
エネルギッシュな発言を同じようにエネルギッシュな調子で通訳すれば、多くの人が納得するかもしれません。しかし、では話し手が泣きながら訴えているとき、通訳者もやはり泣きながら伝えるべきなのか。そして、ボソボソと聞き取りにくい発言は、ボソボソと通訳するべきなのか。「正確さ」と「わかりやすさ」、「方法」と「目的」、「事実」と「認識」の二律背反は通訳の現場につねに存在しています。
エネルギッシュな通訳といえば、サッカー男子日本代表のトルシエ監督の通訳だった、フローレン・ダバディさんを僕はまず思い浮かべました。
まるでトルシエ監督が乗り移ったかのような大きなアクションで通訳をしている姿をみて、僕は内心「いや、あなたが監督ってわけじゃないでしょうに……」と思っていたのですが、トルシエ監督の情熱的な発言を、小さな声+直立不動で淡々と訳してしまったら、意味は同じでも選手たちが受けるイメージは、全く違ったものになるはずです。
だからといって、悲しい体験を話している当事者の言葉を、通訳者が悲しそうな表情をして、泣きながら通訳すればいい、というものでもないですよね。
会話によるコミュニケーションでの「情報」は、口から出た言葉だけではありません。
通訳者がいないと、何を言っているのかわからない。
しかしながら、通訳者が介在することによって、どうしてもその通訳者の影響を受けてしまうところもあります。
著者は、コミュニケーションの極意について、こんなふうにまとめておられます。
では、単に「発言する」だけでなく、しっかりと相手に「伝える」ためには、何が必要でしょうか。わたしは次の三点だと思っています。
「誰かに伝えたい」と思う内容(コンテンツ)を持っているか。
それを伝える熱意があるか。
話を相手にわかりやすくするための論理性・構成力があるか。
これが、この新書のテーマなのですけど、こういう「あたりまえのこと」を三要素すべて揃えるのは、けっこう大変なことなのです。
通訳というのは、まさに縁の下の力持ち。
この新書のなかで、著者は、通訳者は遅刻厳禁とされている、という話のなかで「通訳者がいなければ国際会議は始められない」と仰っているのですが、言われてみればたしかにその通りで、どんなに世界のVIPや最先端の研究者が集まっていても、通訳者がいなければ、正式な会議というのは行えないのです。
もちろん、専門家の多くは英語をある程度操れるし、雑談くらいはできるはずですが、微妙なニュアンスの違いなどで誤解を生じさせないためには、言葉のプロフェッショナルの力が必要なのです。
そういえば、日本からメジャーリーグに移籍したある野球選手は、英語も日常会話レベルは問題なく使いこなせるそうなのですが、記者会見では、あえて日本語で喋り、通訳をしてもらっていたそうです。
あと、こんな日本人の「特性」についても言及されています。
国際会議のような場で仕事をするようになって半世紀近く、ずっと不思議に思ってきたことがあります。
それは「なぜ日本人だけが会議中に居眠りするのか?」ということです。わたしの経験からいうと、数百人が集まるような大きな会議になると、日本人の10〜20人にひとりは居眠りをしています。さすがにサミットで首相が船を漕ぐ姿を目撃したことはありませんが、日本人はよく眠ります。逆に、国際会議で日本以外の国の人が居眠りしている姿はほとんど見たことがありません。国会中継を見ても議場で居眠りしている議員がいるわけですから、会議中に眠るのは日本人の特性といっても間違いではないと思います。
では、なぜ居眠りするのか。科学的に考えたことはないのですが、通訳者の仲間内でそのことが話題になると「米を食べているからではないか」と言う人がいます。つまり、炭水化物を摂取すると眠くなるのではないか、と。しかし、イタリア人もパスタを食べて炭水化物を摂取しています。それでもイタリア人は日本人のように会議中に居眠りすることはありません。パスタを食べてもエスプレッソを飲めば兵器なのでしょうか。でも、日本人も緑茶を飲みますから、しっかりカフェインを摂っているはずです。
日本人は通勤の電車のなかなどでもよく眠りますが、これも外国ではあまり見かけません。一説には、外国では電車のなかなどで居眠りしたら財布をスラれるからだという話もありますが、どうなのでしょう。
この内容からすると「日本人の居眠り」というのは、著者だけではなく、通訳者たちの共通認識となっているようです。
僕自身も、会議で眠くなることはよくあるので、偉そうなことはいえないのですが……
イヤイヤながら参加しているからなのか、忙しすぎて、寝不足だからなのか、人前で眠ってしまうことのリスクが少ない社会で普段生活しているからなのか。
残念ながら、著者も「答え」はわからないそうです。
やはり、恥ずかしい話ではありますけどね「日本人だけが居眠りしている」というのは。
通訳というのは「正しい言葉」を選択するだけではなく、「正しい言葉のなかで、もっとも適切な表現」を使用することが必要とされる仕事です。
個人旅行であれば、拙い外国語でも、相手は「外国人だから」と目くじらを立てることはほとんどありませんし、むしろ「自分たちの言葉を喋る外国人」に好感を抱いてくれることもあります。
でも、シビアな交渉の場では、ちょっとしたニュアンスが大事なこともあるのです。
今回の2020年の東京オリンピックの招致活動の際に、こんなことがあったそうです。
たとえば「被災地」のことは普通、英語では”disaster area”というのですが、ネガティブなイメージを喚起する”disaster”を避け、"affected area"(影響を受けた地域)という言い方で訳しました。
これも、やはり「正解」とはいえないでしょう。しかし、五輪の東京招致という「目的」を踏まえた上で、チーム・ジャパンのメッセージを世界に向けて効果的に伝えることを考えたとき、これは許される範囲内の「言葉の選択」だと判断しました。
著者も、個人的な思いはいろいろあったはずです。
"disaster”を"affected”にしても、被災地の現実というのは、まったく変わらないわけですし。
他人の言葉を「通訳」するというのは、ときには、とてもつらい仕事なのではないかな、とも感じました。
「通訳」という仕事に興味がある人には、読みやすく、楽しめる新書だと思います。
ただ、新書としてもちょっとボリュームが少ないかな、というのと「普遍的なコミュニケーションの極意」というテーマはわかるのですが、著者が「極意」として語っておられる内容が「あまりに王道で、一般的」なので、「なんかもったいないなあ」という感じがしました。
コミュニケーションのハウツー本、というのではなく、通訳という仕事そのものの極意とか、接してきた偉人・有名人のエピソードをもっとたくさん、具体的に紹介する本を読んでみたい気もします。