失職女子。 ~私がリストラされてから、生活保護を受給するまで
- 作者: 大和彩,小山健
- 出版社/メーカー: WAVE出版
- 発売日: 2014/09/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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内容紹介
明日はあなたかも!
100社連続不採用、貯金ゼロ。
ホームレスになるかもしれない…。
生きるための選択肢は、借金か風俗か自死か、行政に頼るか。
能力もキャリアもあり、働く意思も強い女性がなぜそこまで追い詰められたのか!
働きたいのに、働けない。そんなときあなたはどの道を選びますか?
でも私は、生きていたいと必死に生きる現役の生活保護受給女子による貧困のリアルと、サバイバル術。
人気イラストレーター小山健さんの4コママンガ扉も入ります!
病院で働いていると、生活保護を受けている人と接する機会も少なからずあります。
いろいろな人がいて十把一絡げに総括することは不可能です。
まあ、人それぞれ、だよなあ、と。
ただ、本人や身内の突然の病気や事故で、経済的に立ち行かなくなることって、少なからずあるんですよね。
それは、まちがいない。
いまの世の中、どんな大会社だって、倒産しないとは限らないし、会社が潰れなくても、リストラされないとは限らない。
勤め先はブラック企業っぽいのだけれど、そこを辞めても、次を見つける自信がない、なんていう人も、少なくないはずです。
「普通の人」って、不安定な狭いところに、なんとか立ってバランスをとっているのです。
なるべく、足下と、その下に広がる、奈落を見ないようにしながら。
実感として、多くの「困っている人」が、「社会保障制度」を利用していないのです。
ひどい病状になって、救急車で運び込まれてきて、ソーシャルワーカーと話をして、ようやく、そういうシステムがあることを知る。
あるいは、そういうシステムの存在は知っていたけれど、めんどくさくて、あるいは、恥ずかしくて利用することができなかった、と。
鈴木大介さんの『最貧困女子』という本のなかに、こんな記述があります。
まず彼女はメンタルの問題以前に、いわゆる手続き事の一切を極端に苦手としていた。文字の読み書きができないわけではないが、行政の手続き上で出てくる言葉の意味がそもそも分からないし、説明しても理解ができない。劣悪な環境に育って教育を受けられなかったことに加え、彼女自身が「硬い文章」を数行読むだけで一杯一杯になってしまうようなのだ。
そんなだから、離婚して籍を抜くにしても、健康保険やその他税金などの請求について市役所で事情を話して減免してもらうにしても、なんと「銀行で振込手続きをすること」すら、加奈さんにとっては大きなハードルだった。18歳で取得した自動車免許も、更新手続きを怠って失効している。子供の小学校入学の手続きにしても、実質的に地域の民生委員が代行してくれたようだった。
通常こんな状況なら、消費者金融などでさぞや大借金しているのだろうと思ったら、なんと彼女は借金の手続きすら苦手の範疇。唯一の借金は、サイトで知り合った闇金業者を自称する男から借りた2万円だという。
「闇金さんね。貸してほしいって泣きながら頼んだけど、2万が限度だって。でもそれも、そのあとに3回ぐらいタダマンされたから、チャラかな」
滔々とその生い立ちと現在の苦境を語る彼女を前にして、僕自身が思考停止になってしまった。
この『失職女子。』の冒頭で、著者は、この本を執筆した動機を、こう述べています。
求めていたのは、申請を経験した人からの実践的アドバイスでした。私のような元OLの目から見た「これが生活保護申請だ!」みたいなナマナマしい体験談も読めたら、なおよい。女性向けエッセイ百花繚乱な昨今、探せばそういう本も何冊かはあるだろう、と思ったんです。
だけど、なかったんです。図書館にも本屋さんにも、そんな本ありはしませんでした。
いえ、生活保護申請に関する本はあったのですが……、私が見つけることができた本のほとんどは「男性でしばらくホームレス状態だった人が生活保護申請する場合」を想定して書かれたものか、福祉を勉強する人のためのアカデミックな本でした。
「もっとこう、つい最近まで働きながらひとり暮らししていた女性がある日突然、『ああ、生活保護申請しなきゃ! けど、どうしればいいかわかんない!!』ってときに参考にできて、経験者から『こういうふうにやってみたら、なんとかなったよ!』みたいなアドバイスをもらえる本、ないのかなぁ。できれば、明るいタッチで書かれたもので。あればすっごく読みたいのになぁ」
という一年前の私自身の渇きが、この本にはふんだんに活かされています。
正直なところ、僕自身も、この本を読んでみるまでは、「まだ30代後半くらいで、重い障害を抱えているわけでもないのなら、仕事を選ばなければ、生活保護を受けるくらい困窮するものなのだろうか……」と思っていたのです。
日本の脱貧困運動の第一人者である湯浅誠さんは、著書『どんとこい、貧困!』(2011年 イースト・プレス刊)で、貧困とは三つの「溜め」が枯渇した状態だと書いています。
それらは、貯金などお金の「溜め」、助けてもらえる人が周りにたくさんいるという人間関係の「溜め」、そして、「がんばろう」と思える精神的な「溜め」です。貯金や、頼れる人たち、そして精神的な余裕があれば、失業して一時的に「貧乏」になったとしても「貧困」には陥らない、という考え方です。
お金がない、というのは、必ずしも「貧困」とイコールではない。
逆に、お金にある程度余裕があっても、人間関係や精神面での問題をかかえていれば、少なからずリスクはあるのです。
お金なんて、無くなるときは、あっという間に無くなりますから。
DVを受けた経験もあり、両親との関係に問題があることや、勤務していた会社を商材へのアレルギーで休職しなければならなかったこと、メンタルの問題でカウンセリングを定期的に受ける必要があり、自宅での仕事を薦められていること、などの要因も考えると、いくつかの状況が重なると、物事は悪いほうへ悪いほうへと転がってしまって、どんどん状況を改善するのが難しくなっていくのだな、と思い知らされました。
そもそも、世の中っていうのは、リスタートしようにも、「お金が無いとはじまらない」ってところがあるんだよね。
日銭を稼がなければならないような生活だと、とにかく目先の「簡単にできる仕事」をやるしかなくて、スキルも上がらないし、資格をとるための勉強もできない。
資格をとるのにも、時間やお金が必要なわけで。
それにしても、転職とか、中途採用なんていうのは、やはり、年齢を重ねていくとキツいのだよなあ。
ハローワー子さんはふんふんとその話を聞き、私の履歴書に目を通し、そして私の目を見て、こう聞きました。
「大和さんは、今後どういったお仕事をされたいんですか?」
どういった仕事を――? ハローワー子さんに問われ、
「いえ、もう、雇っていただければなんでもいいです。派遣でも、なんでも」
しどろもどろながら私がこう答えたのは、やる気を全面にアピールしたかったからです。
けれども私、いつもそうなんです。
自分をアピールしようとすると、決まって逆効果になっちゃうんです。
ハローワー子さんの容赦ない言葉が私に降り注ぎました。
「大和さんのご年齢から言って、『なんでも』というのは、通用しません。今までのご経験を活かした仕事しか無理です。応募しても書類で落ちるだけですから。あと、派遣は40代になると切られますよ?」
この本を読みながら考えていたのは、「もう、生活ができなくなってしまった人」「明日の食べ物に困っている人」に対する援助や社会保障だけでなく、「このままでは、生活保護レベルの経済状態になっていくことが予想される人」の早期発見、早期対策、みたいなものができないものか、ということでした。
それが、いま一部の人が主張している「ベーシックインカム」なのかもしれませんが。
高齢者や重い病気を抱えている人に関しては、生活保護で支えていかざるをえないでしょう。
でも、若くて働く能力もあるけれど、状況が悪かったり、体調に問題があったりして、いまは働けない人に関しては、にっちもさっちもいかなくなる前に、公的補助で早期に「軌道修正」できれば、結果的にコストも少なくてすむのではないか、とか考えてもみるのです。
日本のお役所というのは、門を叩けば、けっこう親切にしてくれる所が多いのです。
僕が実際に接している専門職の人たちも、とくに現場に近い人は、親身になって相談に乗っているようにみえます。
ただ、その「門を叩くまでのハードル」を高く感じている人が、「普通の人」が考えている以上に多いし、もしそういう人たちがみんな保護を求めてきたら、パンクしてしまうくらいの人的・金銭的な資源しかない、のも事実です。
「水際作戦」ということで、とにかく受給者を増やさないようにしている、というイメージを僕も以前は持っていましたし、そういうところも地域によってはあるのかもしれませんが、少なくとも、そんなお役所や職員ばかりではありません。
実際に接してみると、世間からは「9時5時で帰れて、給料も高いラクな仕事」「まずは議員と公務員の給料を下げろ!」なんて責められがちですが、そんなにラクなもんじゃないですって。
僕が知っている福祉関係の部署に関しては、「これはキツい仕事だなあ……」と嘆息せずにはいられません。
著者は、この本のなかで、困窮状態になってから、「生活保護」を受けることをすすめられ、決意するまで、そして、実際に生活保護の手続きをしていくプロセスを、かなり丹念に書いています。
生活保護に関する本には、「生活保護を受けることになった自分の心の葛藤」みたいなものが延々と書かれていて、決意した次の項では、受給後の生活の描写になっているものもあるのですが、この本では、著者の「記録癖」のおかげなのか、生活保護を受けるためのけっこう細々とした条件とか、周囲との折衝の様子も書かれているのです。
生活保護を受ける条件として、その地域によって住む場所の家賃の上限が決まっていたり(「生活保護の人には貸さない、という大家さんも少なからずいるようです)、虐待などの既往があれば、「扶養照会」をしなくても済むことになっていたり、「貧困ビジネス」にさりげなく狙われたり。
けっこうめんどくさいんだな……と、人並みに「手続き嫌い」の僕も、うんざりしてしまいました。
本人がマメか、きっちり支援してくれる人がいないと、生活保護の受給条件を整えるのも、けっこう大変なんだなあ。
著者は、こんな言葉を紹介しています。
『絶対にあきらめない生活保護受給マニュアル』(田村宏 2008年 同文館出版刊)にはこう書いてありました。
(経済的に行き詰まった時には)福祉事務所に行って生活保護の相談をすることをおすすめしたいのです。消費者金融などに行くより、よほど健全だからです。
「生活保護のほうが、消費者金融より健全」――ああ、この言葉をもっと早くに知っていれば。
私はまったくのおバカで、所持金がほとんどなく家賃が払えないという事実と生活保護申請という考えとが結びつかず、売春 or 借金? という発想しかなかったのです。
さらにこの本には、利息のつかない生活保護は、お金を借りるより安心で生活の立て直しがしやすくなる、ともありました。
それでも、「手続きがめんどくさい」とか「恥ずかしい」とかいう理由で、多くの人が、消費者金融で借金をしてしまう。
「手続きのめんどくささ」というのは、人間にとって、大きな障壁であることを考えずにはいられません。
賢い人、親身になって相談できる相手がいる人は、「最初はめんどくさくても、長い目でみればラクになる道」を選ぶことができるのだけれど、「人間関係」がないと、その選択肢の存在すら、知ることができない。
実際、借金漬けで、重い病気になるまで放置していて、高額な医療費が必要になるよりは、生活保護をうまく利用して、経済的に立て直すことができれば、はるかに「社会にとってもプラス」になるはずなんですよ。
「立て直す」というのが、そう簡単ではないこともわかるけれど、少なくとも、その可能性を高めることはできる。
本当に困っている人も、「生活保護のリアル」に興味がある人も。
今の世の中、「『生活保護』なんて、自分には絶対に関係ない」って言える人って、そんなにいないと思うから。