琥珀色の戯言

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【読書感想】アルピニズムと死 ☆☆☆



Kindle版もあります。

内容紹介
日本を代表するアルパインクライマー、山野井泰史が考える「山での死」とアルパインライミング
かつて「天国に一番近いクライマー」と呼ばれた男はなぜ、今も登り続けていられるのか。
「より高く、より困難」なクライミングを志向するアルパインクライマーは、突き詰めていけば限りなく「死の領域」に近づいてゆく。
そんななかで、かつて「天国にいちばん近いクライマー」と呼ばれていた山野井泰史は、山での幾多の危機を乗り越えて生きながらえてきた。
過去30年の登山経験のなかで、山で命を落とした仲間たちの事例と自らの生還体験を1冊にまとめ、山での生と死を分けたものはいったい何だったのか、を語る。
『垂直の記憶』に続く、山野井泰史、待望の書き下ろし第二弾!

 山野井さんは、冒頭に、こう書かれています。

 また、先日は久しぶりに、過去のクライミングメモを見ました。それは主に成功したクライミングだけしか残していないのですが、そこに書かれているクライミング数は膨大でした。メモに残していない小さな山や岩、あるいは失敗した山などを入れると年間平均70回ほどは出かけているようです。それは40年の間に2800回以上、もしかしたら3000回ちかく登りに出かけ、生きて家に戻っていることを意味します。
 危うい場面に何度も遭遇しましたが、なぜ今まで死ななかったのでしょう。
 ある新聞は、私があまりにも激しい登山を繰り返すからでしょうか、「天国に一番近い男」と表したこともありますし、「生きていることが不思議だ」と言う友人も数多くいます。
 これから僕が経験したいくつかの話をしていきたいと思いますが、そこに生き残っている理由が隠れているかもしれません。


 「天国に一番近いクライマー」か……
 これが洒落になっていないな、というのが、山野井さんのクライマーとしてのキャリアであり、その言葉を苦笑しながら自分のキャッチフレーズのように受けとめてしまうのが、山野井さんのバイタリティなのだろうな、と、この新書を読みながら考えていました。


 3000回のすべてがリスクの高い登山ではないとしても、それだけ「試行」すれば、致命的な事故に遭ってしまう可能性は、かなり高いと思われます。

 この新書のなかで、山野井さんは、自らのクライミング体験と、仲間たちの話をしているのですが、仲間たちを語るとき、「○○で命を落とした」で終わる話が多くて、限界に挑戦する人の運命というか、生きざま、死にざまを思い知らされます。
 山野井さん自身も生命に危険にさらされたことは数知れず、熊に襲われて有名になったこともあるそうです。
 

 この本には「極限状態で生き残るためのコツ」みたいなものが書かれているのだと僕は思っていたのですが、山野井さんは自らの経験を、むしろ淡々と述べており、「生き残るには、こうすればいい!」みたいな積極的なアドバイスは全くありませんでした。


 山野井さんが「単独行」を好むというのも、「天国に近い」と言われる理由なのです。

 あまりにも多くのソロクライマーが、登攀中に亡くなっている事実が隠しようもありません。パーティーでの登攀と比較しても、恐ろしい確率でソロの方が事故は多いのです。
 アンデスのワウカラン北壁登攀などで知られるイタリアのレナード・カーザロットは、1986年、K2の氷河でクレバスに落ち、ベースキャンプで待機していた妻と無線で交信しながら亡くなりました。
 アンデスやヨーロッパ・アルプスでの驚異的なスピードクライムで知られるフランスのニコラ・ジャジェールは、その当時誰も成功していない巨大なローツェ南壁に挑み、行方不明になりました。
 スロベニアのスラヴコ・スヴェティチッチは1995年、バルトロの「輝く壁」、ガッシャブルムIV峰西壁で墜死したといわれています。
 アンナブルナ南壁下山中にパートナーを失い、本人も落石で腕を骨折したものの生還したフランスのジャン・クリストフ・ラファイユは、同じヒマラヤの高峰マカルーで行方不明になりました。
 最近でも、クライミング界を騒がせたナンガ・パルバット南壁のレスキュー事件後、一人ひそかにランタン・リルンに向かったスロベニアのトマジ・フマルは、大怪我を負い、数日後に亡くなったと聞いています。
 日本のソロクライマー鈴木謙造とは、いつか一緒に登ろうと約束していたのに、フランス、シャモニのフレンド稜でバランスでも崩したのか、墜死してしまいました。
 ソロは確かにリスクが高く、実際に多くの悲しい現実はありますが、僕が想像できうる、この世の最も楽しく思える行為とは、巨大な山にたった一人、高みに向けひたすら登っているクライマーの姿なのです。


「山で死んでいった仲間たち」のことを語る山野井さん。
 山でのキャリアを積み上げてきた、歴戦のツワモノたちの記録を読めば読むほど、「用心は必要だけれど、結局、最後は運なのかな……」などと考えずにはいられなくなります。
 彼らに「何かが欠けていたから」命を落としたとは思えないので。
 リスクを受け入れて、冒険を求めているのだから、それで命を落とすのも本望。
 そういう「開き直り」とともに、実際に死にそうになってみると、「死にたくない」と思う。
 そんなことも率直に書かれています。

 僕は登山中だけは、なぜか脳が活発に動き、アンテナの感度が良くなるようです。それでも相変わらず頂から望める山々の名前を覚えられません、また、ほとんどの方が知っていると思われる花の名前も、星座も、わからないのです。
 あるいは登山者の基本であるといわれる気象や地図に対する知識も初心者同然です。「知識よりも感じる心が重要なのさ」と友人にはうそぶいていますが、はたしてこれで良いのでしょうか。

 これが、どこまで事実なのかはわからないのですが、山野井さんは「生まれついての登山家」なのかな、とも思うんですよ。
 ただ、もしかしたら、そういう「こだわりのなさ」みたいなものが、ギリギリのところで、山野井さんを生かしているのかもしれないな、という気もします。
 この新書を読んでいると、山野井さんには「断念する」「引き返す」という決断をすることをためらわない強さがあるのです。
「せっかくお金と時間をかけて、ここまで来たのだから」「もう少しで頂上だから」というような「こだわり」が、リスクを高める要因になるのも事実なのでしょう。
 そういわれても、もう少しで頂上だと思ったら、「なんとか登ってしまいたい」というのが「人間」なんだよなあ。
 そこを「見切る」というのは、本当に難しいことのはず。
「失敗を受け入れる勇気」があればこそ、次の成功につなげられるのです。


 しかし、「山」というのは、なぜ、ここまで強烈に、人間をひきつけるのか?

(2002年にチベットのギャチュン・カン(7952メートル)の北壁に妻・山野井妙子さんと挑んだときの話))

 
 そこで北壁を、10月5日に妻と向かうことになったのです。
 吹雪の中、10月8日に僕は登頂に成功しましたが、体調を崩した妻は標高差400メートルを残し途中で断念しました。7500メートル以上の高所で嵐に遭遇していた僕らは4日も下山予定日を過ぎてしまいます。
 雪崩に飛ばされ、宙づりから脱出し、一時的に視力を失いながら冷静に懸垂下降を続けて10月13日、全力を使い切り、ベースキャンプに戻ることができました。
 下降中の寒気と脱水で、妻はほとんどの指を、僕は右足のすべてと手の指を5本失う凍傷になりました。
「もう、ゆっくり生きていってもいいな」と、人生のすべてを掛けてきた登山を終えようと、ネパールの病院で思っていたのです。


 いやさすがに、このきつい体験だけではなく、登山、とくに壁を登る場合には必要不可欠と思われる指まで、こんなに失ってしまっては……
 というか、日常生活でも、かなり困るのではなかろうか……


 ところが、この次の段落は、こんな言葉ではじまります。

 どこかで予想はしていましたが、やはり登ることをやめられませんでした。


 ……うーむ、僕には信じられない世界が、ここにある。
 多くのクライマーが命を落としているのは、結局のところ、「命を落とすまで、やめられなくなってしまう」からなのかもしれません……
 山野井さんは、この翌年の2003年の夏、奥多摩のハイキングから登山を再開し、その後も続けています。
 指を失ってしまってからは、登る山の「難度」は、以前よりは落とさざるをえなくなっているとしても。
 というか、指を5本も失っても登るなんて、精神的にも肉体的にも、僕には想像もつかないよ…… 

 
 なんて、凄い人生なんだろう。


 僕自身は、まったく「冒険的ではない、インドア人間」なのですが、だからこそ、自分とは反対の生き方を選んでいる人に、惹きつけられるところもあるのですよね。
 

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