- 作者: 森岡浩
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川学芸出版
- 発売日: 2015/06/09
- メディア: 新書
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- 作者: 森岡浩
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内容紹介
高校野球誕生から100年。大正4年の第1回大会から現在まで、高校野球史研究の第一人者が、ドラマチックな名場面に迫り、今もなお語り継がれる名選手・名勝負の数々を、豊富なエピソードとともに描き出す。
今年、2015年は、高校野球(の大会)誕生から、ちょうど100年にあたるそうです。
先日、車でラジオを聴いていたら、高校野球の話題になって、「全国高校野球選手権は、これまで2回中止となっています。ひとつは太平洋戦争、では、あと1回、中止になったときには、世の中で何が起こっていたでしょうか?」というクイズが出題されていました。
うーむ、太平洋戦争に匹敵するような、大きな社会的な事件か……昭和天皇の御病気の際も、中止にはならかなったしな……などと考えていたのですが、答えは思い浮かばず。
その「中止された理由」は、「米騒動」だったのです。
僕にとっては、「歴史年表上の出来事」という感じなのですが、その時代からすでに「高校野球」(当時は中学野球」は行われていたんですね。
ちなみに、高校野球の代名詞ともいえる甲子園球場が完成したのは1924年のことでした。
また、高校野球大会が関西で開催されるようになったのは、第1回大会が、京都の学校の呼びかけではじまったことが理由なのだそうです。
この本では、高校野球の100年の歴史が、数々の名場面とともに、ダイジェストとして紹介されています。
個々の試合やチームについて、あまり詳細に記述されているわけではありませんが、この100年間の「流れ」みたいなものを知るには、格好の内容+分量だと思われます。
どのチームのあたりから、自分がリアルタイムで高校野球を観ていたのか、というのは人それぞれなのですが、野球ファンなら、どれかひとつくらい、リアルタイムで観ていた「名場面」を見つけることができるはず。
これを読みながら、僕は、「高校時代の江川卓のすごさ」に圧倒されてしまいました。
戦後最高の投手は間違いなく作新学院高の江川卓である。というのも、江川と対戦したチームは、他のチームとは全く違う作戦を強いられていたからだ。
(中略)
江川には、桑田や松坂と決定的に違う点が二つある。一つは、桑田のPL学園高や、松坂の横浜高はチーム自体に力があり、桑田や松坂が登板しなくてもかなり強いチームであったということだ(二人とも強打者でもある)。甲子園で優勝できたかどうかはともかく、甲子園に出場してそれなりに勝ち上がれるだけのチーム力は充分にあった。
それに対して、江川のいた作新学院高は、もし江川がいなければ甲子園に出場することすら不可能であっただろう。大黒柱の江川がいて初めて成り立つチームだったのである。
そしてもう一つの違いは、桑田や松坂はけっこうヒットを打たれているということである。実はどんな大投手でも、それなりにヒットは打たれている。桑田は、一年夏の準々決勝の高知商戦では乱戦となった5回途中でノックアウト。決勝の横浜商戦でも7回でノックアウトされている。二年夏の取手二高との決勝戦では12安打を浴びて大量点を取られ、三年になってからも、選抜では準決勝の伊野商戦で9安打3失点、夏は準々決勝の高知商戦で本塁打を含む3失点、さらに決勝でも宇部商業に3失点と比較的点を取られている。
松坂も夏の準々決勝PL学園高との試合では13安打を浴びて7点を失っている他、それ以外の試合でも完璧に抑えた試合というのは意外と少ない。
それに対して、江川は負けた試合も含めほとんど打たれていない。桑田や松坂と対戦するチームの監督が「いかにして打ち崩すか」を考えたのに対し、江川と対戦するチームの監督は、「江川を打てるわけがない。どうすれば打たずに勝てるか」を考えたのである。
江川の(高校3年時の)県大会の成績は、全5試合のうち3試合がノーヒットノーランで、打たれたヒットはわずかに2本。県大会被安打2本で甲子園に出場したチームはあとにも先にも全くない。たとえば、横浜高の松坂は東神奈川大会4試合で24イニング投げて被安打は14、三年夏の桑田は大阪府大会7試合で54イニング投げて被安打35。江川の被安打2というのが、どれくらいすごいかは一目瞭然だ。
江川投手がプロ入りするくらいの時期になって、野球に興味を持つようになった僕にとっては、「ズルをして巨人に入った卑怯者」だったんですよ。
でも、いくら神奈川や大阪とは出場校のレベルの差があったとしても、5試合でわずか2安打しか打たれなかったというのは、あまりにも次元が違いすぎる。
江川卓というのは、まさに「不世出の投手」だったのだなあ、高校時代の江川をリアルタイムで観てみたかったなあ、と思います。
僕が高校野球をテレビで観はじめたのって、小学校低学年くらいからで、池田高校が畠山、水野、江上らの活躍で圧倒的な力をみせていたころでした。
あの頃は、ビデオもテレビゲームもなく、テレビで野球を観るというのは、友達と遊ぶ以外の、数少ない娯楽だったのです。
桑田・清原のPL学園コンビから、星稜高校・松井秀喜の5打席連続敬遠。
そして、松坂大輔の横浜高校の時代へ。
準々決勝、PL学園との延長17回の死闘で完投した松坂は、その翌日、準決勝・明徳義塾戦での先発を回避します。
明徳は容赦なく点を取り、8回表が終わった時点では、6−0で、明徳が6点のリード。
8回の裏に横浜が3点を返したところで、ブルペンに松坂が向かいます。
このとき、ブルペンの松坂がテーピングを外し、最終回での登板に備えてブルペンで投球練習を開始すると球場の雰囲気が一変した。球場全体から、「うぉー」というどよめきの声が地鳴りのように響いたのだ。この声を聞いた明徳義塾高の選手はブルペンの松坂を見て、突然萎縮してしまったのである。
僕はそのとき、仕事をしていたのですが、テレビのスピーカーからの地鳴りのような歓声とともに、待合室にいた人たちも「おおっ!」と声をあげていたのを覚えています。
ひとりのカリスマが「空気を変える」ということがあるのだな、と、すごく印象に残ったんですよね。
試合は、9回の裏に横浜が逆転サヨナラ勝ち。
続く決勝戦では、松坂はなんとノーヒットノーランを達成してしまいます。
決勝戦で、ですよ。
松坂は、本当にすごいピッチャーだった(いまも現役なんですけどね)。
このような高校野球の数々の「伝説の名場面」だけではなく、巻末には、さまざまな「高校野球100年のデータ」が収められています。
僕の母校は甲子園に出場したことはないのですが、こんなデータが紹介されています。
それでは、予選に参加している学校のうち何割が甲子園に出場したことがあるのだろうか。予選参加校の総数は、2002年と2003年の4163校をピークに減少に転じ、2014年夏の各地の予選に参加した高校は計3917校。このうち、995校が甲子園に出場したことがあるので、比率は25.4%。実に4校に1校は甲子園に出場したことがあるという計算になる。
これを読んで、「そんなに高い割合なのか」と、ちょっと驚きました。
甲子園に行くのって、ごくひとにぎりの「常連校」ばかりだと思っていたので。
これには地域差がかなりあり、神奈川県では予選参加190校中、出場経験校は19校で10%しかないのですが、全国最少の24校参加の鳥取県では、13校に出場経験があり、50%をこえています。
傾向としては、出場校が多く、強豪校が多い都会のほうが、低い割合になっているようです。
それにしても、「案外、多くの高校に、甲子園出場経験がある」のですね。
今年で100年という高校野球。
僕も子どもの頃のように、テレビにかじりついて観戦することはなくなりましたが、なんのかんの言いながらも「気になる」のはたしかです。
もう、自分の子どもが出場していてもおかしくないくらいの年齢に、僕もなってしまいましたし(実際の僕の子どもたちは、まだ幼いのですが)。
昔の甲子園の名場面を思い出すときには、当時の自分や家族の姿が、一緒に立ち上がってくるのです。
清原が引退したあと迷走してしまったり、松坂がいま苦しんだりしているのをみると、人生って、一筋縄じゃいかないよな、と考えずにはいられなくなります。