- 作者: 氏原英明
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2018/08/08
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- 作者: 氏原英明
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内容紹介
夏の甲子園は、二〇一八年の大会で第100回を数える。これまでにいくつもの「感動のドラマ」を生んできたことは確かだが、一方で「不都合な真実」に光が当たることは少ない。本来高校野球は「部活」であり「教育の一環」である。勝利至上主義の指導者が、絶対服従を要求して「考えない選手」を量産したり、肩や肘を壊してもエースに投げさせたりするシステムは根本的に間違っているのだ。監督・選手に徹底取材。甲子園の魅力と魔力を知り尽くしたジャーナリストによる「甲子園改革」の提言。
今年、2018年に第100回の記念大会を迎えた夏の全国高校野球選手権大会。
酷暑で世間では熱中症予防が叫ばれているなか、日中に野球の試合をやる。それも、勝ち進むと連戦になるし、延長戦もある。ピッチャーには球数制限もない。
今年の大会は、熱中症で倒れる選手が続出するのではないか、と危惧していたのですが、危ないな、と思う場面はいくつかあったものの、ここまでは大きな事故もなく大会は進んでいます。
具合が悪くなった相手チームの選手をすぐに助けてあげたチームの行動が美談として語られてもいましたよね。
すごいな、最近はそういうリスクマネージメントもしっかりしているんだな、と感心したのと同時に、日頃から、ああいう場面にすぐに動けるくらいの厳しい練習をやって、慣れているんだな、と思い知らされます。
僕だったら、あの炎天下に2時間いるだけでぶっ倒れそうなのに、野球をやるっていうんだから本当にすごい。
大会前には、酷暑のなかの大会を不安視する声がけっこうあったにもかかわらず、大会がはじまってみると、今回は、例年に増して盛り上がっているようにも感じます。
記念大会で出場校が増えたということもあるでしょうし、地元の大阪桐蔭が勝ち進んでいったことも大きかった。
野球をプレーする子どもたちの人口は減っているにもかかわらず、高校野球は人気を保っています。
このあいだのサッカー・男子ワールドカップにしてもそうだけど、実際に大会がはじまると、けっこう楽しんでしまうのだよなあ。もちろん、楽しむのが悪いわけじゃないのだけれど。
ジャーナリズムに沿って考えれば、常軌を逸した無茶は容認してはいけない。しかし、大舞台を前にした高校球児のメンタリティは底が知れず、時にとんでもないドラマが生まれる。甲子園メディアは、そこに追随せざるを得ず、その根底に横たわる本当の問題には目を向けないのだ。
かくいう私も、そのうちの一人だった。
あるメジャーリーグのスカウトは、甲子園を取り巻く環境のことをこう表現している。
『child abuse(チャイルド・アビュース)」
児童虐待という意味だ。私がその言葉を理解し、甲子園の見方が180度変わったのは、現在プロ野球で活躍しているある投手が、高校時代に発した言葉の怖さを考えるようになってからだ。彼はこう言った。
「腕が壊れても最後までマウンドにいたかった。今日が人生最後の試合になってもいいと思いました」
大粒の涙を流した彼の言葉に感動した人は少なくなかった。仲間との時間を大切にして、高校野球に人生を懸けて戦う姿は美しくみえる。
しかし、冷静に振り返ってみれば、ぞっとする話である。
その投手、現在は西武ライオンズのエースを務める菊池雄星(当時は花巻東)が、あの瞬間に野球人生を終えたとしたならば……。
菊池雄星投手の場合は、幸いなことに野球人生が終わってしまうような大事には至らなかったのですが、この本のなかで、著者は、何人もの「甲子園に行き、そこでチームを勝利に導くために致命的な怪我をした」選手たちを取材しています。
ただし、その選手たちの大部分は、そこまでして甲子園で投げ抜いたことを(少なくとも著者の取材に対しては)後悔していない、もう一度同じ状況になったら、やっぱり同じことをする、と答えているのです。
高校野球は、「甲子園に出る、活躍する」ということが、あまりに重くなってしまったがために、勝利至上主義が蔓延し、練習試合でも「負けない実績をつくって自信とつけさせる」とか「エースを投げさせないと相手校に失礼」とかいう理由で、ピッチャーが酷使されてしまいます。
甲子園で活躍しないと、世間からは注目されないし、「楽しく野球をやって、部員を増やす」ような指導をしても、監督やコーチも評価されない。
選手にとっても、甲子園で活躍することは、ドラフトで指名され、野球で食べていくための手段でもあるのです。
高校野球ファンだって、選手たちが炎天下で苦しみながら勝利をめざしてがんばる姿に「感動」したがっている。
大怪我をしたり、再帰不能になってしまったりのは困るけれど、「これ、大丈夫なのか?」とハラハラさせられるような「ドラマ」を見たいと思っているわけです。
高校球児にとっては、甲子園は「すべて」だし、そこで投げられれば、後のことはどうなってもいい、と思う気持ちはわかる。監督やチームメイトのことも考えれば、「自分が温存されて負ける」のは、あまりにもつらすぎる。
著者は、再三、「プレイヤーである高校生が自分で判断するのは無理だから、大人が守ってあげなくては」と述べていますし、僕もそう思うんですよ。
でも、これが勝負事である以上、どこまでが「セーフ」かというのは線引きが難しい。ひとりひとり、選手の体質も違いますし。結果的に大きな怪我につながらなかったからセーフ、という酷使の事例もあれば、注意して起用していたのに、うまくいかなかった、というケースもあるのです。
日本の若者の人口減のペース以上に、野球人口が減っているということも考えると、「楽しんでスポーツをやりたい若者たちは、どんどん野球から離れている」とも言えそうです。
ただし、指導者たちや運営側も次第に変わってきてはいるのです。
今大会からタイブレーク制が導入されていますし、球数制限も近い将来に導入したい、という意思はあるようです。
昔はひとりの突出したエースが全試合投げきるのが「当たり前」であり「甲子園で勝つための戦略」だったのですが、いまでは複数の好投手を擁していることが甲子園で勝ち進むうえで重要になってきています。
そういう「改革」や「改善」が今のペースで間に合うのか、と著者は危惧しているのですが。
元阪急ブレーブスの投手であり、市立尼崎高校を甲子園に導いた竹本修監督は、金刃憲人(元楽天)、宮西尚生(日本ハム)という2人の教え子をプロ野球選手にしました。
金刃投手は、宮西投手の1年先輩にあたり、同じチームでプレーしていたのです。
竹本がプロ入りした二人の指導の際に施したのは、人間の心の育成と技術指導だ。投球フォームがある程度できあがっていた金刃にはマウンド上での振る舞い、人としての在り方を教えた。宮西は金刃の一学年下であったため、金刃の背中を見て育ったから、逆に技術指導に力を入れた。
ただこれらは、どちらも竹本のプロ経験があったからこそのレベルの高い指導だ。竹本は人間の心が育成できていないと技術は伸びないと、自身の経験則を教材に指導したと語る。
「プロで二軍に落ちてくる選手には二通りありました。『あんなところで起用されて力が発揮できるはずがない』と起用についてぐちぐち言っている選手、二軍に落ちてきても声を張り上げて若手の先頭に立って練習する選手です。前者はいつまでも二軍のままだし、後者は一軍にまた上がって定着していくんです」
竹本は前者だった。プロは力がすべて。練習をして力をつけてのし上がったやつだけが大金を手にして夢をつかんでいく。人間性など野球には関係ないと思っていたが、そのような姿勢では上手くいかないのである。
「僕は気に食わないことがあるとグラブを叩きつけるような選手でした。球団職員になって人の在り方を学びましたけど、振り返って自分の現役時代は考え違いを起こしていたなと思いました。だから、それを選手には教えました」
金刃に伝えたのは「投手はマウンドで不貞腐れたらアカン」「前を向いてやらなアカン」「バックに心配かけるような仕草をしたらアカン」「一喜一憂したらアカン」という姿勢の話ばかり。
「態度や行動は人の心を変えるんです。マウンドや普段の生活でも、やることを一定にさせていくと、気持ちも一定になっていく。人としての姿勢が向上していくと、金刃はどんどん成長していきました」
一方の宮西は金刃に比べると投球フォームに欠点があった。投球動作に入ると右肩がセンター方向に入り、体重移動の際に、身体が開くのだ。しかし、竹本は自身のプロ経験から投球フォームの癖を矯正すると選手が混乱するということを知っていた。トレーニングから意識を変えていったという。
著者はたくさんの高校球児や指導者、現役の野球選手、将来を嘱望されながら、うまくいかなかった選手を取材しているのですが、将来を考えると、高校時代に大事なのは、技術的な面よりも、「指導者の言いなりではなくて、自分で考えられる姿勢を身につけること」や「目の前の勝ち負けに一喜一憂しないこと」なんですよね。
にもかかわらず、甲子園があまりに重くなってしまっているために、それとは真逆のことを、多くの有望な高校生が強いられているのです。
今大会でも大活躍している大阪桐蔭の根尾昴選手の話を読むと、世の中には「規格外」のすごい人がいるものだな、と圧倒されるのです。
大阪桐蔭の根尾にも、安田(尚憲・現ロッテ)と同じ大人びた印象を受ける。
ただ彼の場合、高校入学まですべての強化で「オール5」を取る秀才でありながら、もう一つ、選手の育成を考えるうえで革新的な取り組みをしているという事実も見逃せない。その取り組みとは幼少期からスポーツのシーズン制を導入し、冬場はアルペンスキーを競技者としてプレーしていたことだ。
シーズン制とはアメリカの高校や大学などで取り入れられていて、選手たちが季節によって取り組む競技を変える。例えば春から夏までは野球をやり、秋はサッカー、冬はアメリカンフットボールというように、だ。アメリカではMLBとNFLの両方のドラフトに掛けられる選手がいるが、日本ではまず聞くことがない。それはシーズン制が定着しているか否かに違いがあるといえる。
根尾の場合、中学までであるものの、スポーツのシーズン制に取り組んできた。春から秋まで野球に取り組み、中学生の日本代表として世界大会に出場している。冬場は雪上に足を運んで全国中学校アルペンスキー大会で優勝し、こちらでも世界大会に出場している。
著者は、さらに、自立心、自制心が強く、文武ともに貪欲な根尾選手の姿を紹介しているのです。
どこのマンガの主人公なんだ根尾選手……というか、いまの時代では、こんな完璧超人はマンガに出てきても「リアリティがない」とか言われるのでは……
高校野球が変われないところ、変わろうとしてもがいているところ、そんななかでも、変わってきているとことが丁寧に書かれている新書です。
- 作者: 中村計
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