琥珀色の戯言

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【読書感想】世界の果てのこどもたち ☆☆☆☆


世界の果てのこどもたち

世界の果てのこどもたち


Kindle版もあります。

世界の果てのこどもたち

世界の果てのこどもたち

内容(「BOOK」データベースより)
戦時中、高知県から親に連れられて満洲にやってきた珠子。言葉も通じない場所での新しい生活に馴染んでいく中、彼女は朝鮮人の美子と、恵まれた家庭で育った茉莉と出会う。お互いが何人なのかも知らなかった幼い三人は、あることをきっかけに友情で結ばれる。しかし終戦が訪れ、運命は三人を引きはなす。戦後の日本と中国で、三人は別々の人生を歩むことになった。戦時中の満洲で出会った、三人の物語。


 戦時中に満州に入植してきた高知の田舎出身の女の子と朝鮮出身の女の子、そして、横浜の「お嬢様」。
 彼女たちは、満州で出会い、忘れられない体験をすることになります。
 しかしながら、彼女たちは戦局の変化によって、離ればなれとなり、それぞれの人生を歩むことになっていくのです。
 
 
 正直なところ、この作品の前半部を読んでいて、「ああ、またこういう『女の子の友情物語』+『戦争』の話か……」と、いささか「うんざり」していたのも事実です。
 なんというか、「感動レセプター」を特異的に狙われているような気がして、「ベタなお涙頂戴小説か、うーん」という気分でした。
 でも、この小説には、その「お涙頂戴小説」にはおさまりきれない、ディテールの確かさや、「もうこれ以上読んでいるのはつらすぎる……」と思うような「あの時代」に満州に遺された人たちや空襲で身内を失った人々の声なき声が詰まっているんですよね。
 いまの時代の日本を生きていると、人の死というのは特別なものだし、悲しみに浸る時間があるのが「当然」だと思いこんでしまう。
 でも、いまから70年前を生きた「普通の人々」には、「日常と死が隣り合わせ」であり、「幼いもの、弱いもの」が命を落としていくのに、何もできない状況があったのです。
 それどころか、自分や自分の大切な人のために、「幼いもの、弱いもの」から奪って生き延びることを選ぶ人さえいました。
 僕はこの小説を読みながら、「なんで小さな子供に対して、大人たちが、そんな酷いことをするのだろう?」と憤り、その直後に「でも、自分だったら、どんなに自分が飢えているときでも、知らない子供の食糧を奪わないでいられるだろうか?」と怖くなったのです。
 多くの人は、自分自身が満腹であれば、いや、ちょっとお腹がすいたくらいなら、子供から食べ物を奪ったりしまいはずです。
 にもかかわらず、強い飢えや凍えにさらされると、そういう「大人として、人間としてのプライド」は、失われてしまう。
 

『夜と霧』のなかで、著者のヴィクトール・E・フランクルさんは、こう仰っています。

 収容所暮らしが何年も続き、あちこちたらい回しにされたあげく1ダースもの収容所で過ごしてきた被収容者はおおむね、生存競争のなかで良心を失い、暴力も仲間から物を盗むことも平気になってしまっていた。そういう者だけが命をつなぐことができたのだ。何千もの幸運な偶然によって、あるいはお望みなら神の奇跡によってと言ってもいいが、とにかく生きて帰ったわたしたちは、みなそのことを知っている。わたしたちはためらわずに言うことができる。いい人は帰ってこなかった、と。


 「生き延びるためには、しかたなかった」はずなのに、生き延びてみると、罪の意識にさいなまれてしまう。
 ときには、自分が生き残ってしまったこと、そのものに。


 戦争や国の都合に翻弄され続けた3人の女性たち。
 戦争があり、飢えや恐怖があれば、人は、他者に対して厳しくあたってしまう。
 あの戦争で、日本人は中国や朝鮮の人たちを差別したり、酷使したりしていたけれど、敗戦後は「復讐」されることになりました。
 あらためて考えてみれば、当時の日本人は「みんなと同じようにふるまっていた」だけだったし、復讐してきた人たちも「これまでの借りを返した」だけだったのです。
 恨みとか復讐の連鎖というのは、なかなか止めることができない。
 一度ついた傷跡は、そう簡単に消えはしない。
 もちろん、そんななかでも、「善意」を貫こうとする人たちは、存在していたのですけど(そして、その人たちは「帰ってこなかった」)。


 個人としての「誰か」のせいで、多くの居留者たちが見捨てられたり、飢えや病で亡くなったわけではない。
 「戦争」というのは、「一般人」にとってはこういうものなのであり、その状況下に置かれ、他者を差別したり、憎んだりしなければおさまらなくなった時点で、すでに「敗北」なのだと思うのです。
 戦時下での「稀有な善意」に期待するのは、間違っている。
 極限状態でも「善意」のもとに行動出来る人は、「偉人」なのです。
 それに対して、おいしいものが食べられて、安全がある程度保障されている状況であれば、よほどの人格破綻者でなければ、普通の人は、他人をむやみに傷つけようとはしません。


 人間の「強さ」と「弱さ」を痛感させられる作品なんですよ、これ。
 そして、「あの戦争とは、『普通の人たち』にとって、いったい何だったのか?」と、あらためて考えさせられます。
 戦争の記憶が薄れつつあるいまだからこそ、ひとりでも多くの人に、読んでみていただきたい。


 僕は、自分のこどもたちを、こんな目に遭わせたくない。
 こどものこどもたちも。
 でも、太平洋戦争のときの親たちも、きっとそう考えていたはずです。
 だからこそ、当時、満州で、そして日本で「あたりまえのように」起こったことを、いまを生きている人々は、知っておくべきだと思うのです。
 本当に「読むのがつらい」ところも、たくさんある小説なのだけれども。

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