琥珀色の戯言

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【読書感想】日本の戦争映画 ☆☆☆☆

日本の戦争映画 (文春新書)

日本の戦争映画 (文春新書)


Kindle版もあります。

日本の戦争映画 (文春新書)

日本の戦争映画 (文春新書)

『暁の脱走』『独立愚連隊』から『この世界の片隅に』まで――。
日本映画はいかに戦争と向き合ってきたか?
元特攻隊の脚本家、学徒兵だったプロデューサー、戦地から生還した映画監督が
映画に込めた、自らの戦争への想いとは?
特別対談として、『この世界の片隅に片渕須直監督も登場!


 1970年代はじめに生まれた、いわゆる「団塊ジュニア世代」の僕にとっては、「戦争映画」というのは、どう観るか迷ってしまうところがあるのです(どの世代にとってもそうなのかもしれませんが)。
 「神風特攻隊」について描かれた作品などは、「あの時代の戦争責任者たちの無策や周囲の同調圧力の犠牲になった特攻隊員たちを美化するなんて」という批判と、「故郷の人たちを守るために自分を犠牲にした人たちを映画で描いて感謝することの何が悪い?」という考えが、ずっと衝突し続けてきたのです。
 「戦争は悪」「戦争は悲惨なもの」であることは間違いないのだろうけれど、戦争という極限状態での人間の行動は、「ドラマチック」であることもまた事実なんですよね。
 個人的には、子どもの頃テレビで観た『二百三高地』という映画がなんだかとても印象に残っているんですよね。とくに、さだまさしさんの「愛は死にま~すか~」という主題歌(『防人の歌』)が。
 子供心に、「戦争映画」というのは、「戦争反対の気持ちで観なければいけないけれど、なんだかとても気分が高揚したり、登場人物の自己犠牲がカッコよく思えたりして、ちょっと困る作品」が多かったのです。


 この新書では、著者が太平王戦争後に日本で作られた「戦争映画」を観返しながら、その時代による変遷を追っていきます。
 

 日本の戦争映画は、少しでも軍人を格好よく描いたり娯楽性を盛り込めば、左派から「あれは戦争を美化している」。日本軍の行いを批判的に描いたり軍の非人間性を訴えかければ、右派から「あれは左翼のプロパガンダだ」。戦後すぐから現代に至るまで、左右双方からの批判に付きまとわれてきました。
 本書は、そうした思想信条ありきの論評はしません。ニュートラルな視点から戦争映画と向き合い、戦後五十年の変遷を俯瞰して検証することを目指しています。そして、検証しているのは、あくまで「映画」であり「映画の作り手」です。「戦争そのもの」ではありません。


 しかしながら、著者がそういうスタンスであろうとすればするほど、「戦争を描く」ということは、とくに「あの戦争で敗れ、思想的にも大きな転換を余儀なくされた日本人」にとっては、「ニュートラルな視点で描いた戦争映画」なんてものはあり得ないのではないか、と思えてくるのです。
 そもそも、「戦争」に対してなんらかの思い入れがない人間が、批判を受けやすく、予算もかかりそうな「戦争映画」をあえて撮ることはないだろうと思うし。
 おそらく、著者はそんなことは百も承知なのでしょう。その上で、評者のイデオロギーや政治的な立場で語られがちな戦争映画について、あらためて「いろんな作品や観かたがある」ことを知ってほしい、と述べているのです。

 太平洋戦争直後の映画は、GHQの検閲もあって、「日本の兵士たちや国民は、無能で理不尽な指導者たちの犠牲者」という視点で、戦争の悲惨さを訴えたものがほとんどでした。

 1950年に公開された『暁の脱走』(谷口千吉監督)の紹介のなかで、著者はこの作品以降の戦争映画の基本となる構図を次のように述べています。

 一つは「軍の上層部は理不尽で身勝手な絶対悪」
 一つは「主人公は善人で、上層部の被害者」
 一つは「最後に主人公は悲劇的な結末を迎える。後味は悪い」


 僕も、こういう戦争映画をたくさん観てきたなあ、と思いました。
 それは一面の真実ではあるけれど、本当に当時の日本人は、そんなに客観的に、あるいは冷静に「戦時下の日本国民」として生きていたのか、という気もするんですよ。
 戦争が終わってしまえば、多くの人が「勝てるわけないと思っていた」「戦争は悲劇だ」と言うけれど。


 1953年に公開された、『ひめゆりの塔』(今井正監督)については、こんな話が紹介されています。

 今井(監督)は、(公開)当時も寄せられていたという「共産党員だから反米映画を撮った」という批評に対して、明確に否定しています。

「反米とかなんとかいう問題ではなく、僕は戦争の悲しみとか、戦争にたいする憎しみとかを描きたかったのです」(『今井正の映画人生』)

 さらに、自身の意図を次のように語っています。

「これを作ったころは、警察予備隊という『軍隊』(いまの自衛隊)がつくられたときです。戦争というものが悲惨だということ、そして上部のいいなりになってそういう悲惨をなめた人たちの悲劇……それを訴えたくて撮った映画です」(『今井正の映画人生』)


 『ひめゆりの塔』の脚本を書いた水木洋子さんは、「ひめゆり」の生き残りたちに取材した時のことを、こう述べていたそうです。

「わたしが関心を抱いたのは、ひめゆり部隊の人たちが、どんな思いであの戦争の時代を生きていたのかということでした。
 若い女のひとりとして、他人事とは思えませんでした。
 薬も食料もなくなっていく前線、続々と運び込まれる負傷兵、傷つき倒れていく仲間たち──あの激戦の沖縄で、看護婦として動員されながら、彼女たちはいったい何を思って毎日暮らしていたのだろうか」
「ところが、彼女たちは意外なほど淡々としていました。悲惨な体験をしたような人にはとても見えないし、彼女ら自身、特別な体験をしたという意識がないらしいのです。
 拍子抜けするほどでした。
 でも、考えてみたら当然のことかもしれません。
 わたしたちは皆、等しく戦争を体験しました。村でも町でも、生徒たちは動員され、働かされました。
 たしかに、沖縄の事情は特殊ではありましたが、あの時期の沖縄にいた者は皆、多かれ少なかれ似たような境遇にいたのです。自分が特殊な体験の持ち主だという自覚がないのは、当たり前のことではないでしょうか。
 そんなわけで、ことさらに特殊な描き方をしないというのが、脚本を書くうえでの方針になりました。あの時期のごくふつうの女学生の行動を描けばいいのだと思い至ったのです」(『クロニクル東映』)


 リアルタイムでは、みんなそれが「当たり前のこと」だと思っていたのです。
 そして、それこそが、「戦争の悲劇性」とか「人間が戦争を繰り返している理由」のような気がします。
 
 そして、「戦争」=「悲劇」「悪いこと」と思考停止してしまいがちな中で、「戦争」のなかにも人々の生活や娯楽もあった、ということも事実なのです。

 この本の巻末に、『この世界の片隅で』の片渕須直監督と著者の対談が収められています。

春日太一戦時中について、手触りがつかみにくかったのは、どのへんだったのでしょうか。


片渕須直もうちょっと遡ると大正デモクラシーの時代じゃないですか。「わずかな時間で、そんなに人の意識は変わるものなのかな。なんであんなふうに唯々諾々ともんぺ姿になるとか、急に全然違う世の中になっていったんだろう」というのを手触りというか、気持ちの上で撫でてみたいというようなところがありました。
この世界の片隅に』で助かったのは、こうの(史代)さんの原作は「何年何月」って、章ごとに全て時間を特定してサブタイトルに書いてますでしょ。「戦争中」であっても、「何年何月」と別の「何年何月」では「違う」っていう前提なんです。「戦争中」と一つ言葉でくくらない。


春日:なるほど。教科書だと「戦時中」の一言で済まされるところが、実はその中に段階というかグラデーションがあったということですね。


片渕:それが面白くて、たとえば、胸に「血液型A型」とか書いた札を縫いつけたり、窓に紙テープみたいなのを米印のような形に貼ったり、もんぺを穿くことだったり、そういうのを一つ一つ、「あれ、いつからやり始めたのかな」って全部調べていきました。


 この対談のなかでは、『この世界の片隅に』の主人公「すず」について、片渕監督は、こう仰っています。

春日:すずさんのキャラクターについてうかがいます。ずっとのんびりした感じで来たのが、晴美さんの死を経て、それから戦況の悪化につれて──僕の見方だと、ニヒルになっていってる感じに伝わりました。世の中に対して、引いた目線っていうんですかね。「これはうちらの戦いですけぇ」って言ったり、「そんな暴力に屈するもんかね」って言ったり、どこか強いことは言うんだけど、そこには無力感が漂う。


片渕:そうですね。水原哲(すずの幼なじみで水兵になった)に「お前だけは、最後まで普通のままでいてくれ」って言われた「普通」から逸脱していってるんですよね。逸脱していって──原作にはないんですよ、「なんでも使こうてくらし続けるのがうちらの戦いですけぇ」って。


春日:あの時の顔とセリフが凄くゾクッときました。


片渕:宣伝スタッフからは「『なんでも使こうてくらし続ける』っていうところが、すずさんの生活感を表してますね」って言われたのですが、「いや、違うんだ」って。あそこで「戦い」っていう言葉を言いだしているすずさんは、水原哲が言っている「普通」の世界からはみ出しちゃってるわけですよ。はみ出ちゃっているからこそ、自分がはみ出たことで泣くんだろうなと思うんですね。


春日:その前に、すずさんが「のんびりした女の子のままでいられれば」みたいなセリフを言っています。本人としても変わってしまったことを分かっているんですよね。


片渕:自分が、水原哲が言ってたような存在じゃなくなってしまっていることを分かっているわけですよね。

春日:日常を暮らしてはいるんだけれども、日常そのものがもう変わってしまっている。


片渕:「こんな『日常』っておかしいだろう」っていうことです。


春日:絶えず日常を生きてはいるわけですから、一見すると変わってないように見えるけれども、実はそれは戦争によって歪められてしまった。


片渕:あと肯定的な感想でも「そういうふうに思われちゃうのか」と思ったのはあります。「ああいう中で、ずっと自分を貫いて生きてるすずさん、強い」って。全然貫けてないんだよなぁと思うんですよ。


 同じ場面をみても、受け手によって、さまざまな受け止め方があるのだよなあ、と考えずにはいられません。
 この本を読むと、戦争映画をつくっている人たちの「思い」というのは、なかなかストレートには伝わらないものなのだなあ、と考えさせられます。戦争万歳!なんていう人は誰もいないのに……
 人は、自分が見たいものを見る、それは、映画に対しても同じことなのだよなあ。


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