
- 作者: パオロマッツァリーノ,Paolo Mazzarino
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2016/11/07
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。

- 作者: パオロ・マッツァリーノ
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2016/12/16
- メディア: Kindle版
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内容紹介
日本人の道徳心は本当に低下しているの? 小中学校での道徳教科必修化の前に、道徳のしくみをくわしく勉強してみよう! 学校では教えてくれない、道徳の「なぜ?」がわかります。
いまの日本人の「道徳心」はどんどん衰退してきている、もっと「心の教育」が必要だ。太平洋戦争前の日本人のように!
……という「大人」、あなたの周りにいませんか?
そういう人をみると、その人自身が戦前の教育を受けてきたわけではないし、周囲の高齢者を大事にしているわけでもない。
「このごろの子どもたちは、自由をはきちがえていて、口先ばかりで実行がともなわない。また自由、自由とばかりいって、責任ということを考えない。これでは、放任の教育だ」
こんな意見を、みなさんも何度か耳にしたことがあるはずです。昨年、先月、もしかしたら昨日聞いたかもしれない、ってくらいにありふれた意見です。
どれくらいありふれているかといいますと、じつは冒頭の文章は、1957(昭和32)年に出版された『新しい道徳教育』という本から引用したものなんです。
著者は、冒頭で、こんな話をしています。
「いまの若者はなっとらん!」というのは、少なくとも人類が文字を発明した時代から、ずっと年長者が言い続けていることなんですね。
ちなみに、この『新しい道徳教育』を書いた人は、このありきたりな意見を述べるためにではなく、これを否定するために自著に引用しているのだそうです。
道徳は、とても特殊な科目です。
数学の先生は、数学が得意で数学をよく勉強した人です。そういう人が教師になって教えます。国語、社会、理科、英語、どの科目も同じです。学校以外の習い事もまた同様に、なにかが得意な人が得意でない人に教えて得意になってもらう。これが万国共通の、基本的な教育のしくみです。
体育やスポーツなんていうのは、その傾向が強いですね。体育大の出身者のような、運動やスポーツが得意な人が実技と理論を学んで体育の先生になります。地元の少年サッカーチームのコーチや監督もたいてい、サッカーの元選手や経験者です。サッカーが得意な人が、得意になりたいこどもたちに教えてるのです。
「道徳」って、少なくとも義務教育レベルでは、専門の先生がいるわけではなく、担任の先生がやっているところが多いようです。
もちろん、その先生たちは「道徳の専門家」ではありません。
哲学者とか宗教家というのが「道徳について学んできた人」ではないかと思いますが、彼らが道徳の授業をやることはまずありません。
この新書で、著者は、「道徳の教科書(副読本)には、どんなことが書かれているのか?」を検証しているのですが、教科書をつくるほうも、歯切れが悪いというか、試行錯誤しているんだな、と感じます。
それこそ、太平洋戦争直前の日本のように「ひとつの絶対的な価値観を植え付け、優秀な兵隊をつくる」という目的がはっきりしていれば、やりやすいのでしょうけど。
いまのように「多様な価値観を認めあいましょう」という世の中で、「これが道徳的なのだ」という考えを表明することには、かなり無理がありそうです。
『なんと いいますか』(教育出版1年)
小学1年生の教科書という配慮からでしょうか、見開き二ページの二コマ漫画のような構成で、文字による説明はありません。
まず一コマ目。小一の女の子がお母さんとと弟と買い物に行ったその帰り道、荷物をたくさん抱えて足下が見えなくなっていた女の子は、たまたま道にいたワニさんのしっぽを踏んづけてしまいます。
しっぽを踏まれたワニさんは、痛みにのけぞり、驚きに目を丸く見開き、口を大きく開けてます。お母さんと弟も唖然とした表情。
二コマ目。女の子は頭を下げてなにか言葉を発したようです。それによってワニさんは機嫌を直し、ニコニコと笑ってます。お母さんと弟にも笑顔が戻りました。
まあ要するに、うっかり他人の足などを踏んでしまったときは、すぐに「ごめんなさい」といいましょう、素直に謝れば相手は許してくれますよ、と教えるのがこのお話の狙いと見てまちがいないでしょう。
でも設定があまりにぶっとびすぎたため、つっこみを誘発してるとしか思えない内容になってしまいました。
そもそも道にワニがいるのに、女の子もお母さんもそこに驚かないのはなぜ? 日頃から見慣れているってことですか。舞台はフロリダなのでしょうか。まれに、湿地に住むワニが町に迷い出てくるそうですから。
ワニのしっぽをうっかり踏んづけてしまったら、全力で逃げるべきです。必要なのは道徳ではなくサバイバル。怒ったワニにごめんなさいと謝ったところで、野生の爬虫類と心を通わせるチャンスは万が一にもありません。このお話に三コマ目があったとしたら、その絵は想像したくないものになるはずです。
息子とベネッセの『こどもチャレンジ』を一緒に読んでいると、『しまじろう』とか、まさにこんな話ばっかりなんですよね。
ただ、『しまじろう』の場合は、主人公は人間じゃなくて虎なので、多少ひどいことをしても、相手にやられることはないと思われますが。
この副読本をつくった人たちって、幼児向けの教材も参考にして、こんな中途半端なものをつくってしまったのかもしれません。
しかし、こういうのって、なんで「人間が人間の足を踏んだ話」ではダメなのでしょうか?
『はしのうえのおおかみ』(東京書籍1年他)
丸太の一本橋をうさぎが渡ろうとすると、反対側からおおかみが歩いてきて、じゃまだどけ、とうさぎを追い立てました。
おおかみはこれがおもしろかったので、きつねやたぬきにも同じことをします。
あるとき、橋の向こうから大きなくまがきたので、これはかなわないと思ったおおかみが回れ右をして戻ろうとすると、くまはおおかみを抱えて持ち上げ、反対側におろしてくれました。
それ以来、おおかみは橋でうさぎたちと鉢合わせすると、抱きかかえて反対側におろしてやるようになったのでした。
東京書籍の昭和46年度版には、「一ぽんばしのやぎ」として収録されてます。
一本橋の両側から二匹のやぎが来て、橋の真ん中でにらみ合ったまま動けなくなってしまったあげく、二匹とも川に落ちてしまうという、マヌケすぎる結末です。
その後「はしのうえのおおかみ」に差し替えられてからは、現在まで多くの道徳教材に採録され続けている定番中の定番となりました。
やぎの話では問題の打開策がまったく見出せないまま終わってしまいますけど、おおかみの話では解決してますし、なにより物語としての出来が格段にすぐれてます。取って代わられたのも納得です。でも……
「丸太橋をもう一本かければいいんじゃね?」
ですよねえ。そうすればみんながスムーズにストレスなく、橋を渡れるのに。
このお話の作者は、生活の不便は助けあいや譲りあいの精神によって解決されるべきだと訴えたいようです。だけどこの場合は、橋を増やすという手段こそがみんなをハッピーにする、まさに建設的な方法です。
いやまあ本当に「そのとおり」なんですよね……
でも、正直なところ、学校で先生が「譲り合うよりも、もう一本橋をかけたほうが良い」って子どもたちに教えているのを想像すると、なんとなく「それでいいのかな……」とも感じます。
そもそも、日本人の道徳心やモラルは本当に「低下」しているのか?
著者は、「むかしに比べて低下したという証拠は見つかりません。むしろ向上したことを示す例ばかりです」と述べています。
わかりやすい例をひとつあげましょう。お笑い芸人の人たちがよく、こんなグチをこぼしてます。むかしとちがって、テレビでギャグやコントがやりにくくなった。最近はちょっとでも不謹慎なネタをやると、すぐに視聴者から苦情がくる。だから自主規制がきびしくてやりたい笑いが自由にできない。
これはまさに日本人の道徳心がむかしより強くなっていることを示しています。もしも道徳心が低下しているのなら、低俗な番組を求める声が増えて、そういう番組がもっと増えているはずですよね。しかし現実は逆なんです。
テレビの自主規制は1970年代後半からじょじょに強まりはじめ、2000年前後から一層きびしくなりました。
昭和のテレビ番組には、こどもたちが見ている時間帯でもおっぱい丸出しの女性が頻繁に登場してましたし、差別的な言葉を使うドラマや暴力的なお笑いバラエティが日常的に放送されてました。テレビ文化史を研究している上滝徹也さんはある座談会でこう指摘してます。1960年代にはいまから考えるとヒドい内容の番組がたくさんあったが、テレビの歴史をまとまた本には優れた番組のことしか書かれない。大量に存在したくだらない番組のことは無視されている。
むかしのテレビには、いまよりもずっと下品で俗悪な番組が多かったのです。当然、そういった番組に対する苦情や批判もありました。しかしテレビ局はそういう苦情を真剣に受け止めず、受け流してました。
『池上彰の「経済学」講義 歴史編 戦後70年 世界経済の歩み』という本のなかで、こんなエピソードが紹介されています。
東京オリンピックが1964年(昭和39)年に開かれました。その前に、これからは外国からのお客さまを迎え入れるのだから、町をきれいにしようという一大運動が起こりました。町じゅうでそこらにぺっぺっと痰を吐かないように、という一大キャンペーンです。国鉄の各駅のホームには、白い陶磁器の痰壷というのが置かれて、「痰はここに吐きましょう」という一大キャンペーンがありました。信じられないでしょう? みんな、ゴミは道路にポイポイ捨てていたのですね。ゴミは道路に捨てるのが当たり前の状態。それが1964年、外国からお客さまが来るときに、町じゅうゴミだらけではみっともない。ゴミは町に捨てないようにちゃんと持ち帰りましょう、あるいはゴミ箱に捨てましょうという一大キャンペーンが張られ、やがて日本全国、町がきれいになっていったのです。
いまでこそみなさんは当たり前、日本は昔からそうだと思っているかもしれませんが、そうじゃないのですね。高度経済成長、とりわけ東京オリンピックをきっかけに、日本は劇的に変わり、人々の意識も変わっていったのです。
むしろ、日本人の「道徳心」「公共心」(公共マナー、と言い換えても良いかもしれません)は、総合的に考えれば、向上してきているのです。
中国人観光客のマナーの悪さが批判されることがありますが、あれはまさに、高度成長期の日本人が、パリのブランドショップで「爆買い」していたのを経済成長によって追いかけているんですよね。
そんなに心配する必要はない、というか、年長者に「道徳」を語る資格があるのか、とも思うのです。
まあでも、いまの世の中で、年長者が若者に対して優越感に浸れるのって、「『道徳』を語ってみせること」くらいしかないからなあ……

池上彰の「経済学」講義 歴史編 戦後70年 世界経済の歩み<池上彰の「経済学」講義> (単行本)
- 作者: 池上彰
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川マガジンズ
- 発売日: 2015/11/16
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