- 作者: 新谷学
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2017/03/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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Kindle版もあります。
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内容(「BOOK」データベースより)
人脈・企画・交渉・組織・決断・戦略など、現役編集長が裏側を全公開!すごい結果を出す、門外不出85の奥義。
2012年から編集長をつとめている著者による『週刊文春』の仕事術。
僕はこういうメディア側の人の熱意がこもった話を読むたびに、「やっぱり『知る権利』って大事だよなあ」とか、「大手事務所や政界の圧力に負けずにスクープを連発している『文春』頑張れ!」と思う一方で、「伝えられる側」の「追いかけられたり、バッシングされたりしてつらかった話」を聞くと「ほんとにこれを報道することが必要なのかなあ」と疑問になるんですよね。
結局、どちらかが正しいとかいうよりも、記事そのものの面白さとか、対象になっている人物への個人的な好感度で、「正しさ」を判断しているような気がします。
実際は、多くの人が、そんな感じなのだとも思うのです。
これを読んで感じたのは、他の週刊誌はさておき、『文春』は、きちんと取材や裏取りをして記事を書いているというのと、大手事務所や政治家の「圧力」に屈しない稀有なメディアなのだ、ということでした。
元巨人軍の笠原将生投手が野球賭博で逮捕された事件があった。2015年に失格処分になった後に、多くのメディアが彼にインタビューを依頼した。しかし、本人はどこにも応じなかった。
週刊文春の記者は、何とか彼に食い込んで接触しようと考えていた。人づてにいろいろ調べていくと、笠原氏はカラオケバーでアルバイトをしていることがわかった。記者はそこに客として通い詰めた。歌ったり飲んだりしながら、笠原氏とだんだん顔見知りになり、「人と人」として仲良くなった。「今度麻雀しましょうか」という話になり、彼と徹マンまでしたという。
そうして信頼関係が築けたところで「実は週刊文春の記者なんです」と告げた。笠原氏は当然のけぞったが、そこで「ウチで全部本当のことをしゃべってください」とお願いした。もちろんすぐに承諾してくれたわけではないが、自らも野球少年だったその記者の熱意が最後には通じた。笠原氏は「わかった。あんたいい人だし、信用できるからしゃべるよ」と言ってくれた。「ぼくも読売から直接ファンの人に向けてお詫びする機会をもらえなかったんで、しゃべります」と。笠原氏はそれだけではなく「じゃあ、後輩にもしゃべらせます」と、同じく失格処分になっていた松本竜也投手にも告白するよう説得してくれた。そうした取材の流れの中で高木京介投手の名前も出てきて、巨人軍の渡辺恒雄氏が球団最高顧問を辞任する事態にまで発展したわけだ。
『週刊文春』の記者たちは、ここまで地道に取材対象に近づいて信頼を得て、スクープに結びつけているのです。
でも、こういうのって、対象者も「実は記者だった、なんて、騙していたのか!」って怒りそうなものなのですが、そう思わせないくらい「いい人」なのか、それとも「しゃべりたい気持ち」もどこかにあるから、なのか。
この本には、著者がさまざまな人や組織を取材していく過程で身につけたノウハウも紹介されています。
大企業のトップや大物政治家など、大きな権力や影響力を持っている人には、秘書や広報など何人かの「取り巻き」が必ずいる。その取り巻きの赤でも最重要人物は誰なのかを、しっかり見極めないとダメだ。「誰を通すとすぐ本人に届くのか」「誰からの依頼だと断りづらいのか」。ホットラインがどこにあるのかを探るのだ。
大きな企業には、秘書室にたいていベテランの女性がいる。この人がキーマンであることが多い。彼女を通せばいちばん話が早いのだ。これはよくある話だが、一般の社員はいかに彼女が重要人物かを知らず、「単なる一秘書」として平気で不躾な態度をとる。当然ながらその社員に対するネガティブな情報はすぐにトップに伝わってしまう。権力の在り処と、情報の流れを把握していなければ取り返しのつかないことになる。
対外的な肩書きとは別に「トップに直結している本当のキーマン」が大きな組織には必ずいる。女性の秘書も含めて「裏広報」や「裏総務」のような百戦錬磨のベテランである。かつては首相官邸にもいたし、自民党の幹事長室にもいた。「トップが誰を信頼しているのか」「どのボタンを押すと直で通じるのか」を把握しておくことは、組織を相手に、あるいは組織の中で仕事をする上で極めて重要なポイントなのだ。
ああ、この「秘書がキーマン」っていうのは、けっこう「偉い人によくある話」だなあ、と思いながら読みました。
肩書きだけにとらわれて、こういう「トップに影響力を持っている人」をぞんざいに扱っている人って、けっこういるんですよね。
取材する側として、数々の「デキる人」と接しての実感も書かれています。
日々いろいろな世界のキーマンとお会いするが、そういったすごい人には共通点がある。普通の人は「今度飯行きましょう」とか「また改めて」というセリフを社交辞令として言いがちだ。しかし、私が尊敬するすごい人たちは、社交辞令で終わらせない。「やりましょう」と言ったら、すぐ「じゃあ、いつやろうか?」と日程調整に入るのだ。
どんな仕事であれ、どんな立場であれ、ようするに「何のために働いているのか」を常に考えておくべきだ。自分が少しでも世の中の役に立ちたい、人々の幸せな暮らしに寄与したいと思ったときに、この目の前の仕事がそこにどう関係するのか。そのことについて自分で納得できるかどうかだ。それは週刊文春の記者にとっても全く同じだ。最初から誰かを傷つけようとか、誰かの人生を目茶苦茶にしようと考えて取材している記者は少なくとも週刊文春には一人もいない。この記事を世の中に伝える意義、意味とは何か、それぞれの記者が日々、自問自答を繰り返している。
「何のために働いているのか」を示すのは、リーダーの仕事でもある。菅義偉さんが官房長官としてあれだけ高い評価を受けているのはなぜか。菅さんのもとで働いている人たちに話を聞くと、共通して返ってくる答えがある。「菅さんの指示にはゴールがある」と言うのだ。「何々をしてくれ」と言われたときに、その仕事をした先にどういうゴールがあるのかという到達点まできちんと示してもらえるから、目の前の仕事の意味がよくわかる。目指すゴールが明確だと目の前の仕事に取り組む姿勢も変わってくる。その仕事のクオリティも当然変わってくるだろう。
偉くなる人って、たしかに、マメなんですよね。
僕など、社交辞令ばかりで、それも、その場をやりすごすための社交辞令になってしまうことが多いのです。
この菅官房長官のゴールのある指示の出し方、なんていうのは、誰かの下で働いているときには、みんなが思っていることのはずなのに、自分がリーダーになってしまうと「説明する必要性」を感じなくなってしまうものみたいです。
こういうことに注意するだけでも、指示を受ける側のモチベーションは、大きく変わってきそうです。
ちなみに、ベッキーさんの記事でのLINE画像の公開について、著者はこう述べています。
週刊文春はベッキーさんと川谷絵音さんが交わしていたLINEの会話を掲載した。そのプライバシーの取り扱いをめぐり、ネットを中心に議論が起きた。識者がLINEのトークの流出方法を考察したり、LINE株式会社が公式見解を述べる事態にもなった。LINEの画面の掲載はやりすぎではないかという声も多かった。
ベッキーさんの記事の第1弾でもLINEの画像は掲載しているが、大きく話題になったのは、「センテンススプリング」「ありがとう文春」のやりとりがあった第3弾だ。第1弾の段階では顧問弁護士と相談の上、記事の信憑性を裏づける目的で最低限の公開にとどめた。ところがベッキーさんがその発売前日の会見で記事の内容を否定するような発言をした。そこで我々は改めて顧問弁護士と相談し、「単なるお友だち」ではないことを示すために新たなLINE画像を掲載したのだ。
こうして文春側から経緯をみてみると、ベッキーさんと川谷さんは記事を否定しようとして、かえって自分たちの首をしめる結果になってしまったように思われます。
むしろ、「センテンススプリング」「ありがとう文春」のほうが、流行語になってしまいました。
文春側も、第2弾、3弾くらいの記事はもともと準備していたとは思われますが、それにしても、追加の「燃料」を自ら投下してしまったのです。
ここは大切なので明確にしておきたいが、週刊文春の方針として「ネタは金で買わない」。これは大前提だ。最初からお金目的で編集部にネタを持ち込む人間に関しては基本的に断る。駆け引きでお金を吊り上げようとする人も同じだ。
なぜそうした人を排除するのか。それは、情報提供の動機がお金だと、お金のために嘘をつく可能性があるからだ。
「ゲスなスクープ週刊誌」だというイメージがありますが、人間の隠された部分を、ちゃんと取材をして伝え続けている週刊文春というのは、いまの日本のなかで、数少ない「反骨のメディア」でもあるのです。
取材する側もされる側も大変そうなので、読むだけ、というのがいちばんラクだよなあ、これは。