琥珀色の戯言

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【読書感想】SMAPと、とあるファンの物語 -あの頃の未来に私たちは立ってはいないけど ☆☆☆☆☆

SMAPと、とあるファンの物語 -あの頃の未来に私たちは立ってはいないけど-

SMAPと、とあるファンの物語 -あの頃の未来に私たちは立ってはいないけど-


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
転校を繰り返し、不登校にもなってしまった。思い焦がれた上京は、失敗した。生まれた町に、思い出の影すら残っていない。誰だって、願ったとおりの現実を生きるは難しい。だけど。小学校低学年から30歳に至るまで、とある女性の人生に“ずっと”寄り添っていたのは、アイドルだった。雑誌やテレビ、ラジオでのSMAPの発言や行動から彼らの歴史を振り返り、同時代を生きたファンの目線とその思い出からアイドルの意味と意義を読み解く一冊。


 SMAP木村拓哉さんと、たぶん同学年の中年男が読んでみました。
 SMAPというのは、僕にとっての極北の存在だったんですよね。
 カッコ良くて、女の子にキャーキャー言われ、みんなに注目されて、大金を稼いで……という。
 光GENJISMAPみたいになれなかったから、なんとか「人並みの人生」くらいは確保したいと、勉強したり、苦手な人付き合いに気を配ったりしていたとも言えます。
 嫉妬の対象にすらならないほど、違う世界を生きている人たち、だった。

 
 そんな僕でも、SMAPの代表曲を誰かがカラオケで歌っていると一緒に口ずさんでしまうし、「解散」が発表されたときには、なんだか切ない気持ちになりました。
 そりゃ、人間って、変わっていくものだけれど、せめて君たちくらいは、ずっと仲間のフリでもしていてほしかった、と思ったのです。
 そして、いろんなしがらみや解散をめぐるドロドロとしたやりとりが伝えられるにつれ、僕とSMAPの距離は近づいたような気がします。
 ああ、彼らは至高のアイドルであるのと同時に、40代の男でもあるのだな。


 『SMAP×SMAP』の最終回は、まあ、ネタにでもなるかな、と思いながら観はじめたのだけれど、メンバーがひとりもおらず、スタジオで懐かしのVTRをみていくという、まるで追悼番組のような内容でした。
 にもかかわらず、僕は画面のなかでの彼らの「成長と成熟と葛藤」に、引き込まれていったのです。


fujipon.hatenablog.com



 僕は、「アイドルや芸能人のファンとして生きるということ」に、若い頃、ずっと反発していました。
 何かのファンになるということは、自分の弱点を増やすようなものではないのか。
 誰かを応援するんじゃなくて、自分が主役になるような生き方のほうが「正しい」のではないか。
 広瀬すずさんが、「なんで照明さんになろうと思ったんですか?」と訊ねて炎上していましたが、あの気持ち、僕はけっこうわかります。直接本人に訊ねるかどうかは別として。


fujipon.hatenablog.com


 この本では、さまざまな資料や著者が見たステージを通じての「SMAPの歴史」と、著者の人生が交互に描かれます。
 「あらすじ」を読んだときには、もっと著者自身のことが前面に押し出されていて、「SMAPのおかげでお肌スベスベ!」みたいな内容かと思ったんですよ。
 実際に読んでみると、著者は、あくまでも「一ファン」であり、ずっと、ステージの上のSMAPを大勢の観客のひとりとして観てきた「だけ」です。
 だからこそ、著者の話は「沁みる」のだと思う。
 これまで、「当事者」や「関係者」の証言として語られることがほとんどだった、アイドルの姿が、ここでは、「僕たちが観ていたのと同じ目線」で語られているから。


 著者は1995年の5月3日に、はじめて芸能人のコンサートに行ったときのことをこんなふうに記しています。

 そしてもう一つはコンサートの終盤、SMAPが自分の目を見て手を振ってくれたこと。
 草彅君だった。
 それは衝撃だった。
 何者でもないちっぽけな私をSMAPがステージから見つけ、手を振る。その額にはテレビでは見たことのない汗がたくさんにじんでいた。
 やがて遠くに行くと私たちと同じように、SMAPも小さくなる。空想的なのに、すごく現実的だった。
 気づけば心を掴まれた。
 あのキラキラしているはずの世界は、実は私たちと地続きの、同じ今にあるものだとその時初めて知ったのだ。


 あの偶然のコンサートを境に、私はすっかりSMAPの、あのお兄さんたちのファンになっていた。
 それまで存在も知らなかったアイドル誌やテレビ誌をチェックするようになり、家に帰るとすぐに歌番組を録画したビデオテープを繰り返し視聴する。
 そして夢中になれるものがあって明るい歌を聴いていると、性格も少し明るくなれたようで、私は生まれて初めて髪を短く切った。
 引っ越し当初はまったく慣れなかった自分の部屋もコンサートで買ったポスターを貼るとずいぶん華やかになり、おかげで帰るのが楽しみになっていた。
 ポスターを眺めていると、どんな時もいつも楽しかった記憶を思い出す。
 もっともっとSMAPのことを知りたいと思った。
 そのためにはもう一度、あのコンサートに行きたい。


 子どもの頃、転校が多かった僕は、家に帰って、本やテレビゲームをやることだけが楽しみで、なんとか学校に通っていたことを思い出しました。
 人生が、すべてうまく行って、学校や仕事が100%楽しければ良いけれど、現実には、そんな時期はほとんどありません。
 そんななかで、当時の僕には、マイコンや本やカープの試合結果が、生きていくための「灯台」だった。
 それらは、僕の現実とは無関係で、僕が何をしても揺るがないからこそ、それに頼ることができたのです。
 人は、何かを自分の灯台にしないと、なかなかうまく生きられない。
 

 この本のなかでは、自分たちもひとりの人間であるのと同時に、みんなの「道標」として、変わらずそこに立っていることを求められる「アイドルの苦悩」も記録されています。


 2004年の大河ドラマ新選組!』の撮影中、近藤勇役で主演していた香取慎吾さんに起こった「異変」について。

 その日も渋谷のNHKで「新選組!」の撮影が予定されていた。
 気づけば代々木公園のベンチに座っている。
 隣にある撮影スタジオの予定入り時刻はもうとっくに過ぎていた。
 しかし足は動かない。
「何で引き受けてしまったんだ。もう耐えられない」


 思いつめた表情で一人ベンチに座り込む香取に最初に声をかけたのは、同業者でも、スタッフでもなく、たまたま同じベンチに座っていた、隣の若い男性だった。
 香取がそれとなく事情を話すと、男性も言葉を続ける。
「僕も今日、仕事をバックレてきて…」
 思わず話し込む香取の姿を今度は子供連れの女性たちが見つけ、声をかけてきた。
 話を聞いた女性たちは励ましとともに「ちゃんと行ってきなさい」と背中を押し、ここで香取はついに、ベンチから立ち上がりスタジオへと向かう。
 その前年に香取のこんな言葉があった。
「昔は、街を歩いて人に囲まれるのも苦手だったけど、ここ数年は平気」
「テレビで『応援してね!』って言うでしょ。それをみんな見ていて、街で僕を見かけたら『慎吾ちゃん、見てるよ!』『おっはー』って声かけるのが普通だよなと気づいた」
 好意を持って話しかけられて不機嫌になるのはおかしい、とまで彼は言い切っている。それは単なる綺麗事を超えた、アイドルとして懸命に人生を生きてきた人の言葉だ。
 幼い頃から芸能界で育ってきたSMAP香取慎吾は、その励ましは遠いようでもっとも近い隣人たちの声であることを、誰よりも知っていたのだ。


 この話、読んでいたら、なんだか泣けてきて。
 アイドルは「与えてくれるだけの存在」じゃないし、ファンは「与えられることだけを望んでいる人たち」じゃない。
 人って、自分が思っている以上に、いろんなものに支えられ、いろんなものを支えている。

 この数年で、SMAPにはテレビに映らぬ小さな変化が起きていた。
「ツアーでは、みんながオトナになって自己管理をするようになった気がします。以前は全員でごはんを食べて酔っ払ったりしてたんだけど」(香取)
 最年少の香取が酒を飲めるようになった頃のインタビューやテレビ番組では、20代のメンバーがSMAP全員が参加する打ち上げの様子を楽しそうにしゃべっていた。しかし特に30代に差し掛かった頃から、彼らはライブが終わっても連れ立って以前のように打ち上げをするようなことはほとんどなくなっていった。
 その関係性の変化を木村は「自然でいるのが最良で最善」と説明している。
「チームやコンビとしての関係が成立していればいるほど、意味のない会話はしないと思う。もちろん、冗談を言ったりはするけどね」
 年齢を重ねるたびに国民的アイドルグループが見据え始めていたもの、それは目に見える交流ではなく、「SMAPがこれからも続いていくための今」だった。
 人はやがて成熟の中に、「続けることが何よりも難しい」ことを知る。そしてそれを決してゴールのないエンターテインメントの世界で知ったからこそ、馴れ合いの関係性よりも距離を置いて互いを認め合うことを、30代のSMAPは自然と欲するようになった。
 もうすぐ35歳になろうとしている中居がこの2007年、昔の自分を振り返りながら「SMAPがずっと続いてほしいという願いは叶ってよかった」と話していたことがある。
 そして同じ年、30歳になった香取も夢を聞かれて、はっきりこう答えていた。
「死ぬまでSMAP


 SMAPの解散騒動に対して、一抹の寂しさを感じながらも、僕は、少しだけ彼らに親しみも覚えていたのです。
 ここまできたら、ビジネスとして割り切って、仲が良いフリをしていたほうが、たぶんトクなはずなのに、それでも、こんなふうに一度ズレを生じたら、修復できないのが「人間」なんだよね……って。
 多くの人が、自分たちに期待していることは百も承知で、それでもガマンできないことがある。
 ふだんからベタベタしているわけじゃなくても、長い間、信頼し、本当のピンチにはお互いに助け合ってきた仲間であっても……
 どうして、こんなことになってしまったのだろう?
 信頼しあっていたからこそ、小さな亀裂でも許せない、と思い、かえって傷を広げてしまったのか。
 あるいは、このままだと、本当に相手のことを許せなくなってしまうと感じたから、今のうちに離れ離れになることを選んだのか。


 ただひとつだけ言えることは、こんな僕にとってさえ、SMAPが存在した世界は、そうでない世界よりも、少しだけ楽しかったのではないか、ということです。
 アイドルにはアイドルの人生があり、ファンにはファンの人生がある。
 でも、それは一方的に与えられるとか搾取されるというものじゃなくて、お互いに、見えないところで、支え合っているのですよね。


 なんだか、良いものを読ませてもらったな、うん。
 録画している『SMAP×SMAP』の最終回をもう一度観なおしてみようかな。


世界に一つだけの花

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