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内容紹介
なぜ、ローマは帝国になり得たのか。なぜ、ローマ帝国は滅びたのか。
王政から共和政を経て帝政へ、多神教世界帝国から一神教世界帝国へ。古代ローマ史研究の第一人者が、長きにわたって古代を生き延びたローマの歴史とその新しい「読み方」を語り尽くす。
建国時の混乱、強敵との戦い、国家の再建、跡継ぎ問題、異民族の侵入、文明の変質……。ありとあらゆることを経験したローマの長い歴史は、現代を考える上での大きな羅針盤となり、混迷する現代を生きる我々に多くの示唆を与えてくれる。ローマ史のみならず、世界史や現代社会の理解をより深めることにも繋がる一冊。
僕にとっての身近な「ローマ史」といえば、塩野七生さんの『ローマ人の物語』なのですが、かなりの大著なので、通読しようとしても『ハンニバル戦記』くらいまで読んでは休憩、というのを繰り返している気がします。
『ハンニバル戦記』って、本当に最初のほうなんですけどね。僕は子供の頃に『タクティクス』というボードゲーム雑誌に載っていた「ポエニ戦争」の話を読んで以来、カルタゴの名将・ハンニバルのファンなのです。
何度も直接対決でローマに勝利し、ローマを追い詰めたにもかかわらず、なぜ、ハンニバルは「勝ちきる」ことができなかったのか?
ファンとしてはもどかしいところではあったのですが、その「勝ちきれなかった理由」こそが、ローマの強みだったのでしょう。
ちょっと脱線してしまいましたが、この本の序章で、著者は、こう述べているのです。
ローマの歴史に触れるとき、誰もが疑問に感じることが二つあります。
一つは、「なぜ、ローマは帝国になり得たのか」。
もう一つは、「なぜ、ローマ帝国は滅びたのか」です。
ローマがイタリア半島で、小さな都市国家(ポリス)として産声を上げたとき、地中海世界には少なく見積もって千数百個もの都市国家が存在していました。その中にはローマよりも文化的に秀でていたものもあれば、技術的に進んでいたものも、人口の多いものもありました。しかし、そうした都市国家をすべて飲み込み、大帝国を築き上げたのはローマでした。
紀元前二世紀のギリシアの歴史家ポリュビオスは、世界で初めて「なぜ、ローマは帝国になり得たのか」という問いに真剣に向き合った歴史家かも知れません。ギリシア人であった彼は、先進国であるギリシアの諸国家が成しえなかったことを、なぜローマはできたのかという問いの答えを、ギリシアとローマを比較することで見出そうとしました。
もう一つの「なぜ、ローマ帝国は滅びたのか」という疑問も、十八世紀のイギリスの歴史家エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』を筆頭に、多くの歴史家が取り組んできた問題です。
これから新しい国や組織をつくっていこうとする人たちは、「ローマが帝国になれた理由」を探ろうとし、すでに完成された大国や大きな組織の人たちは、「ローマが滅んだ理由」に学ぼうとしてきました。
著者は、こう述べています。
「ローマは一日にしてならず」という言葉がありますが、ローマは帝国になるまでに、いくつもの「試練とその克服」を経験しています。その中のどれかひとつでも克服できなかったとしたら、ローマ帝国になることはできなかったでしょう。
長い年月をかけて帝国に成長したローマは、やはり長い年月をかけて滅びの道を歩んでいきます。以前、わたしは著書の中で、「ローマの滅亡は老衰のようなもの」だと述べたことがあります。それは、ローマの滅亡には、それを決定づけるようなドラマチックな事件がないからです。ローマは、さまざまな要因が複雑に絡み合い、少しずつ、少しずつ、体力が衰えていき、滅亡に至っています。
結局のところ、現在まで、死ななかった人も、滅びなかった国家も人類が知る限りは存在しないわけで、「老衰」だというのは、わかるような気がします。どんなに優秀だった権力者も、長くその地位にいれば、腐敗が目立ったり、反対派を弾圧したりしがちなものですし。
ローマは、必ずしも「理想の国家」ではなかったけれど、少なくとも最盛期にはギリシアのような衆愚制に陥ることもなく、平和と繁栄を謳歌していたのです。
ただし、ローマという国が成り立っていくためには奴隷を必要としていましたし、現在のような男女平等の思想もありませんでした。
ローマでは勇気を持って戦ったことが証明されれば、敗戦将軍であっても受け入れられ、再び戦列に復帰し、リベンジする機会も与えられました。「勇気」はローマにおいて、結果の勝敗とは別の次元で、賞賛されるべきものだったからです。
しかし、そんなローマだからこそ、卑怯な行いや勇気を欠く行いは厳しく戒められていました。
その象徴とも言えるのが、ローマ軍の「10分の1刑」です。「10分の1刑」は、ラテン語で「デキマティオ/decimatio」と言います。
これは、今風に言えば連帯責任に基づく刑です。
たとえば、一隊100人で戦っていたとしましょう。
一人ひとりは勇敢に一生懸命戦っていたとしても、全体として足並みが乱れていたり、統率が乱れてしまうこともあります。または、隊の中の何人かがだらしなく戦ってしまったために、隊全体の動きがだらしなくなってしまったとき、その100人の隊員の中から、無作為で10人を選び処刑するのです。
だらしなく戦った者や、隊の統率を乱した者を処刑するというのであればわかるのですが、これは無作為に選んだ10人、つまり隊の10分の1を処刑するという、ある意味理不尽な刑でした。
そのため、勇敢に戦った者が処刑されることもあれば、だらしなく戦った者が生き残るということも起きてしまいます。
それでも不満が出なかったのは、無作為に選ぶのに「籤(くじ)」が用いられたことに関係していると思われます。
なぜ籤だと不満が出ないのかというと、誰が当たり籤を引くことになるかは、神のみぞ知ることだからです。つまり、無作為に選ばれた10人は、別の言い方をすれば神が選んだ10人なのです。
現代的な感覚でいえば、「こんなの理不尽」ですよね。
自分がいくら頑張って戦っても、だらしない連中のおかげで処刑されるかもしれないのだから。しかも、そのだらしない連中のほうが生き残る可能性もある。
ただ、これは理不尽だからこそ、手抜きができない、だらしないところは見せられない、というプレッシャーも強そうです。
自分のせいで、自分自身が処刑されるのならともかく(それだって嫌には決まっているけれど)、無関係の人が殺されてしまうというのは、さすがにいたたまれませんよね。
著者によると、この刑の威力は大きくて、共和政期だけでなく帝政期に入ってからもデキマティオが行われた記録があるそうです。
著者は、このようなローマを「単なる共和政ではなく、共和政ファシズムとして読み解く必要があるのではないか」と述べています。
そして、その「ファシズム的な部分」が、ローマをあまたの国のなかから、世界帝国に押し上げていった要因である可能性を指摘しているのです。
ローマは経済的にも繁栄し、キリスト教も広まっていきます。
その一方で、「個人の権利意識」も拡大し、人々は自由を求めるようになっていったのです。
そういう時代のほうが、個々のローマ帝国民は幸せだったのではないかと思うんですよ。
しかしながら、時代の変化によって国家としての規律が緩んできたことが、ローマ帝国の滅亡につながっていくのです。
とくに興味深かったのは、五賢帝のひとり、アントニヌス・ピウス(86~161/在位138~161)について書かれたところでした。
アントニヌス・ピウスの23年の治世は、事件が少なく、「歴史がない」と、しばしば評されるそうです。
アントニヌス・ピウスとは、どのような人物だったのでしょう。
アントニヌスの後継者となった、マルクス・アウレリウスは『自省録』の中で次のように語っています。
父からは、温和であること、熟慮の結果決断したことはゆるぎなく守り通すこと。いわゆる名誉に関して空しい虚栄心をいだかぬこと。労働を愛する心と根気強さ。公益のために忠言を呈する人びとに耳をかすこと。各人にあくまでも公平にその価値相応のものを分け与えること。いつ緊張し、いつ緊張を弛めるべきかを経験によって知ること。少年への恋愛を止めさせること。
彼は粗暴なところも、厚顔なところも、烈しいところもなく、いわゆる「汗みどろ」の状態になることもなかった。彼の行動はすべて一つ一つ別々に、いわば暇にまかせてというように、静かに、秩序正しく、力強く、終始一貫して考慮された。ソークラテースについて伝えられていることは彼にもあてはまるであろう。それは、大部分の人間が節するには弱すぎ、享楽するには耽溺しすぎるようなことを、彼は節することも享楽することもできた、という点である。いずれの場合においても強く忍耐深く節制を守ることは、完全不屈の魂を持った人間の特徴で、〔最後の病における彼は〕その例である。 (『自省録』マルクス・アウレーリウス著・神谷美恵子訳・岩波文庫)
マルクス・アウレリウスの言葉は、追従ではありません。実際にアントニヌスは慈愛に満ちた政策をいくつも行っています。
たとえば、奴隷への虐待を禁じる法律を制定したり、即位三年目に妻を亡くすと、妻のファウスティナの遺産に自分の資産を加え、貧しい家庭の子供たちを支援する「ファウスティナ財団」を設立したりしています。
161年、アントニヌスは亡くなりますが、その死は彼の治世同様静かなものでした。
ある日、夕食でチーズを食べ過ぎ、翌日になって嘔吐と発熱。その翌日になって、病状が悪化したので、政権を養子であり、娘婿でもあるマルクス・アウレリウスに引き継ぎ、その後、眠るように静かに息を引き取ったと伝えられています。
史上、「名君」と称えられる人でも、ここまで長い間、平和と安定をもたらしたまま安らかに亡くなったのは、アントニヌス・ピウスだけではないかと思います。
この後やってくる軍人皇帝時代の血なまぐささを知ると、なおさら、時代背景と優れた皇帝が噛み合った、稀有な時代だったのだことを思い知らされるのです。
僕自身が「教養」として身につけられたかどうかはさておき、何かひとつの国の興亡に沿って歴史を学ぶとしたら、やっぱり「ローマ史」なんですよね、きっと。
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