琥珀色の戯言

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【読書感想】高校野球論 弱者のための勝負哲学 ☆☆☆



Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
弱小高校野球部の捕手兼四番兼主将兼監督だった野村克也。甲子園というはるか彼方の夢に近づくために、つねに知恵を絞っていた。それが野村ID野球の出発点であった。弱者が強者に勝つための秘策とは?


 野村克也(元)監督による、初の高校野球論(だそうです)。
 野村さん自身は、京都の弱小高校野球部で、しかも、「中学を卒業するときに、奉公に出されるはずだったのがお兄さんのおかげで、なんとか高校に進学できた」ということで、甲子園に縁はありませんでした。
 プロ野球に入ってからは、選手として、あるいは監督として甲子園でプレーされていたのですが。


 高校野球の話だからといって、これまでの「野村ID野球」がブレることはありませんし、「観察することと、自分で考えること、人間としての礼儀をわきまえること」というのは同じなんですよね。

 自分で問題点を抽出し、どうすればいいのか自分自身で考え、創意工夫し、さらに試行錯誤する習慣がついたのも高校時代の経験があったからだった。野村ID野球の原点といってもいいだろう。
 なにしろ、峰山高校には監督もコーチもいなかった。いや、一応部長と監督がいないと予選などの公式戦に出られないので、部長は清水先生にお願いしてなってもらい、監督は化学の先生に「ベンチに座っているだけでいいですから」と言って名前だけ貸してもらった。もちろん、ふたりともまったくの素人だった。西京極で予選があったとき、ノックする人がいないので、急遽立命館大学に入った先輩を引っ張り出したこともあった。ユニフォームがないから、私服でノックをしてもらったのを覚えている。
 だから、すべて自己流でやっていた。のちにプロ入りして先輩ピッチャーのボールを受けていたとき、私の返球が妙な変化をするというので、「おまえはどうやってボールを握っているんだ?」と訪ねられたことがある。握りを見せると、「おまえはボールの握り方も知らんのか!」と呆れられた。本来、ボールは人差し指と中指を縫い目にかけて投げる、つまりフォーシームで投げるものなのだが、私はツーシーム(人差し指と中指を縫い目に沿わせた握り方)でボールを握っていたのだ。誰も教えてくれなかったからだ。
 峰山高校で、私はキャプテンだけでなく、監督であり、部長であり、マネージャーでもあった。すべて自分で考え、創意工夫し、実行するしかなかった。


 正直、こういう環境で「伸びる」ことができる人というのは、そんなに多くないのでは、と思うのです。
 野村克也さんのような「自分でとことん考え抜く才能」がある人だったからこそ、この環境を活かせたのではないか、という気はします。
 でも、「すぐれた指導者がいないから」とか「チームが弱いから」というような言い訳ばかりしていても始まらない、というのもまた、事実なのでしょうね。
 やる人は、どんな環境でも、自分で課題を見つけて、克服していく。

 身体、すなわち基礎ができたら、次は「基本」、バッティングやピッチング、守備、走塁といった技術を教える。
 このとき大事なのは、繰り返し言っていることではあるが、教えすぎないことである。事実、メジャーリーグには、「教えないコーチが名コーチ」という言葉がある。
 指導者というものは、とかく教えたがる。まして高校生が相手となれば、おそらく言うことを素直に聞くので、手取り足取り教えてしまう。
 だが、それでは選手がみずから考えようとしなくなる。人間というのは、失敗することで自分の間違いに気づく。気づく前に指摘されても、本当には理解できない。失敗してはじめて、自分のやり方は間違っていたのではないか、もっと別のやり方があるのではないかと考える。はじめから何でも教えてしまうと、本人が問題意識をもって、自発的に創意工夫してみようという気持ちが起こってこない。指示を待っているだけになる。


 この「教えすぎない」という匙加減って難しいよな、と、子供に勉強を教えたり、後輩に仕事のやりかたを説明したりするときに、いつも考え込んでしまうのです。
 「教えすぎてはいけない」のは頭ではわかっているつもりでも、時間がかかってしまうと、つい自分で手を出したり、「自発性を育てる」という名目で、教えることをサボったりしてしまいます。
 実際に野村克也さんの監督時代のやり方をみると、僕のイメージからすれば、かなり「教えている」んですよね。とくに「考え方」については。
 基本的には、「相手任せ、ではなくて、教えられるところはキチンと教えた上で、最後のひらめき、みたいな部分は本人に委ねる」くらいの感じなのかな。


 カープファンとしては、長年チームをみてきて、「結局のところ、監督なんて、誰がやっても同じというか、資金力とか人脈が違いすぎるから、巨人とか阪神とかソフトバンクに勝つことなんてできないんだろうな……」と諦めていたのです。
 でも、野村さんが中学生のリトルシニアの監督を引き受けて1年目で、それまで10年以上予選も勝ち抜けなかった「港東リトルシニア」を、いきなり全国大会で準優勝させてしまった、というエピソードを読んで、「やっぱり、指導者の力っていうのは、大きいのだな」と思い知らされました。
 「普通の監督」でも優勝できるチームと、「名監督」じゃないと勝負にならないチームとでは、不公平であることは間違いないのだけどさ。


 この新書のなかでは、野村克也監督が、これまでの甲子園で印象に残った選手や、記憶にある試合についても語っておられます。
 1992年の星稜高校明徳義塾の試合は、松井秀喜選手の「5打席連続敬遠」が物議を醸しました。

 この敬遠策は、試合中からスタンドの怒号を呼び、グラウンドにはメガホンなどが投げ込まれた。一時は試合を中断せざるをえなくなっただけでなく、試合後は社会問題に発展した。おおむね、「高校野球にあるまじき行為」と批判のほうが多かったように思う。
 しかし、私は明徳義塾を支持する。高校野球は、負けたら終わりだ。勝つための作戦として、なんら非難されるところはない。
 プロ野球なら別だ。なぜなら、プロ野球は「魅せる」ためのものであるからだ。ファンはピッチャーとバッターが全力を尽くした戦いを望んでいるのであり、お金をもらっている以上、選手はそれに応えなくてはならない。
 けれども、繰り返すが、高校野球は負けたら終わりなのである。第三者から見れば、敬遠は、ましてや五打席連続の敬遠は、「高校生らしくない」と映るかもしれない。
 しかし、当事者である明徳の選手たちはどうか。どんなことをしても勝ちたいはずだ。


 あのときは「高校野球なんだから……」という意見が目立っていた記憶があるのですが、野村監督からすれば、「高校野球だからこそ、あの作戦は『あり』」なのです。
 「高校野球は教育の一環なのだから」なんて言う識者もいますが、プレーしている選手たちは、「教育されている」なんていう意識はないでしょうし。
 ただ、「美しい敗者」みたいなものも、観客からすれば、甲子園の魅力ではあるのだよなあ。
 

 高校野球シーズンに野村克也監督にインタビューして、手際よくつくった新書、という感じで、「ノムラの教え」を求めている人には物足りないと思われますが、野球好きにとっては、野村監督の思い出話に付き合うのも悪くないかな、と。

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