琥珀色の戯言

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【読書感想】1R1分34秒 ☆☆☆

第160回芥川賞受賞 1R1分34秒

第160回芥川賞受賞 1R1分34秒


Kindle版もあります。

1R1分34秒

1R1分34秒

内容(「BOOK」データベースより)
デビュー戦を初回KOで飾ってから三敗一分。当たったかもしれないパンチ、これをしておけば勝てたかもしれない練習。考えすぎてばかりいる、21歳プロボクサーのぼくは自分の弱さに、その人生に厭きていた。長年のトレーナーにも見捨てられ、現役ボクサーで駆け出しトレーナーの変わり者、ウメキチとの練習の日々が、ぼくを、その心身を、世界を変えていく―。第160回芥川賞受賞作。


 第160回芥川賞受賞作。
 上田岳弘さんの『ニムロッド』と同時受賞だったのですが、『ニムロッド』が仮想通貨とかiPhoneとかがどんどん出てくる、「バーチャルな世界で生きている人々」を扱った作品であるのに対して、この『1R1分34秒』はボクシングが題材ということで、「バーチャル」vs「人間の身体性」の対比なのかな、と思いつつ読みました。
 でも、実際に読んでみると、なんというか、なんてまわりくどい小説なんだ……と思わずにはいられなかったんですよね。
 さっさと試合しろよ!と、ちょっとイライラもしたのです。
 もっとも、この小説は、ボクシングという人間の身体性の極みのような競技における身体と心の動きを、ある無名のボクサーを題材に、なるべく丁寧に言語化したものなので、勝った、負けたというのは、そんなに大きな問題ではないのです。
 僕みたいに、ヘミングウェイの『老人と海』を読んで、「結局、老漁師が海に出て、魚を獲って帰ってくるだけの話なのか……」とがっかりしてしまうタイプの本読みには、向いていない作品ではあります。
 『老人と海』の描写のすばらしさに酔える人には、けっこう楽しめる小説ではなかろうか。


fujipon.hatenadiary.com


 正直、「内容は面白いとは思えない」のですが、僕はこれを読みながら、自分自身も弓道をやっていたときに、こういう「雑念を振り払えずに、試合中にあれこれ考えすぎてしまうタイプ」だったことを思い出さずにはいられませんでした。

 インファイトはよまれていた。試合中にではない。最初からだ。ワンツーで中間距離の恐怖を植えつけてから、インファイトでは更にガードを固め、クリンチワークにも隙がなかった。がっちり首を抱えられ、脇腹から反則ぎみに腎臓を打っても、顔にパンチを返す隙間は与えてもらえない。さらにワンツーのツーをボディにもらって、相手の足腰と体幹の安定を思いしった。質の高い走り込みは充分だ。ただ漠然と走っているボクサーの踏み込みではない。これではスタミナも絶対に切れない。ボディストレートは見た目より利く。膝をおおきく曲げる必要も生じ打つほうも疲れるし、ちゃんと肩を入れないとカウンターフックを食う危険もある。しかし青志くんにそういった隙はなかった。くついたときにはレバーを狙われ、相手方のセコンドの指示がボディにあることがわかった。スタミナの不安を見抜かれている。恐怖は精神力では克服できない。というより、精神力なんてものはない。あるのは圧倒的な技術に対する信心、不信、それに付随する肉体のストレス、そして全身の反射だけだ。相手のつよさからだが勝手に感じとってしまったら、肉体は従順に消耗してゆく。きもちでふるいたたせられる範囲なんて、モチベーション以外なにもない。モチベーションは重要だけど……
 だって、ボクシングを愛するきもち、なりあがりたいきもち、バカにされた悔しさから周囲を見返したいきもち、なんて、だれしもが持っているはずなんだし……


 上手い人は、もっと今やるべきことに集中していて、僕みたいに前の人がどうこうとか、ここで外すと苦しくなるな、とか、そういうことは考えないのだろうな、と思っていたのです。
 でも、この小説を読んでいると、そこまで悟っているプレイヤーというのは、何の競技でも、ごく一握りなのかもしれませんね。
 著者自身もボクシング経験があり、他のボクサーにも取材して書かれたそうですし。
 双葉山の「いまだ木鶏ならず」という言葉からすると、あれだけの人でも、完全に雑念を消し去ることは難しかったのかな、と。
 雰囲気としては、ちょっとジョイスの『ユリシーズ』っぽくもあります。
 ただし、この小説に関しては、こういう気持の流れを「リアルタイムなもの」として描いているわけでもないのです。そのへんが、ちょっとトリッキーなんだよなあ。

 「身体性」とかいうけれど、人間は、なかなか「無心」ではいられないし、こういう「邪念」もまた、人間らしさなのかもしれません。
 「俺は野獣だ!相手をぶっ倒してやる!」みたいなボクサーばかりではない、というか、むしろ、ボクサーというのは、自分自身の声と闘っていることが多いのだな、と。
 試合は3分×長くても12ラウンドだけれど、試合の準備には何週間、何か月とかけるのだから。

 この「考えすぎなアスリート」って、実際に高いレベルで競技をやっている人にとって、共感できるものなのだろうか。
 それは、けっこう気になるのです。


ニムロッド

ニムロッド

青が破れる

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