Kindle版もあります。
四六時中、非常事態! 漫画家・桜玉吉が伊豆から届ける哀歌!!
年々こたえる夏の日差し、冬山の底冷え、そして忍び寄る新型ウイルスの脅威。それなのに、嗚呼、今月も〆切がやってきた!!
伊豆山中で自粛生活を送りながらも常に緊急事態宣言出っぱなし!!
ギャグ漫画家・桜玉吉による魂の哀歌!!
Amazonレビューには、高評価ながらも、「お布施です」「生存確認」なんて言葉が並んでいる桜玉吉先生の新刊。
新刊が出るたびに、薄くなっているような気がするし、『読もう!コミックビーム!』の四コマで1ページ、各話の間にも水増しっぽい空白ページと、「なんとか頑張って1冊のコミックにしました感」が漂っているのですが、読者である僕のほうも、半ばクラウドファンディングのお返しみたいな気分で読んでいるのです。
これほど敬愛され、読者とともに年齢を重ねている漫画家って、唯一無二なんじゃないか、とさえ思います。
オビの「桜玉吉、御年60歳」というのを見たときには、わかっているつもりでも、さすがに「そうか、もう60歳なのか……」と、感慨深いものがあったのですけど。
僕が『ファミ通』を読んでいたときに、『しあわせのかたち』で、「べるのむらまきこ」とか描いていた玉吉さん。次第に日常日記漫画にシフトしていって、お互いに、これから人生どうなるんだろうなあ、なんて思っていたら、なんだか、どうなるんだろうなあ、とか言っているうちに、いつのまにかここまで来てしまった、としか言いようがないのです。
多くの人生って、こうやって過ぎ去っていく、あるいは、浪費されていくのか……
ちょっと色気がある時期はあったけれど、ずっと意識低い系で伊豆での暮らしを続けている玉吉さんの存在は、「ああ、人間って、こんなふうにも生きていけるのだな」ってホッとさせられるところがあるのです。
僕は玉吉さんに関する言葉でものすごく記憶に残っているものがあるんですよね。
それは、桜玉吉さんが売れまくっていたときに出した本『桜玉吉のかたち』に書かれていたものです。
玉吉さんの昔からの友人が、玉吉さんを評した言葉なのですが、彼は、玉吉さんのことを、
適当に遊んでいて、仕事もソツなくやって、人付き合いもよくて、誰からも嫌われることもなく…自分の知り合いのなかで、あんなにバランスが取れた人間はいなかったと思う。
と語っていたのです。
その後、玉吉さんは、鬱になり、ちょっと浮いては沈み……という人生を繰り返しながら、漫画を描き続けています。
「バランスがとれているひと」でも、鬱になるのか……
いや、実は、「バランスが取れすぎている」というのは、「全く拠り所が無い」というのと同じことなのかもしれませんね。
とはいえ、還暦になっても、玉吉さんは「悟った」わけではないのです。
この本の最初の作品には、クリスマスの温泉施設で起こった悲劇が描かれているのですが、僕は爆笑しながら、「なんでこんな小学生みたいなネタがツボにはまってしまうんだ自分!」と思っていたのです。というか、リアル小学生である僕の子どもが読んでも、ここまで笑わなかったのではなかろうか。
結局、僕が中学生の頃からの付き合いだと、60歳(玉吉さん)と50歳(僕)になっても、「面白い」と感じることって、そんなに変わらないのかもしれませんね。
たぶん、桜玉吉さんを知らない人が『伊豆漫玉』シリーズから読み始めたら、「何このコスパの悪いマンガ……」って思うのではなかろうか。
でも、長年の読者はもう、玉吉さんが生きて、書き続けてくれているだけで嬉しいし、有難いんだよね。
ちなみに、新型コロナウイルスによるステイホーム生活について、玉吉さんはこう書いておられます。
俺、六年以上「一人緊急事態宣言発令された暮らし」してるし…ビックリする程何も変わらない」
「コンビニで揚げ物とカフェラテ買って、駐車場でYouTube観る生活」を60歳の玉吉さんがおくっているというのを読むと、「習慣」の力を痛感します。
人間というのは、年を重ねると趣味がおっさん、おばさんじみたものになる、というのではなくて、若い頃からずっと同じことを続けているだけなのに、世間からは「昔のものが好きな人」と見なされるようになっていくのかな、とも思いました。
僕の父親が野球中継や時代劇ばかり観ていたのも、「古いものが好き」だったわけじゃなくて、「ずっと自分が好きなコンテンツを選び続けていただけ」なんだろうな。
こういうのは、自分が年を取ってみないとわからないものですね……