Kindle版もあります。
映像業界の異端児は、どこへ向かうのか――。
ネットファースト展開というビジネスモデルでエンターテインメント業界へ風穴を開け、既存の慣習を壊しながら驚異的な成長を遂げている米動画配信大手ネットフリックス。
『ハウス・オブ・カード』の成功から、2019年には『ROMA/ローマ』でアカデミー賞を受賞。日本でも『全裸監督』や『愛の不時着』で話題をさらった。オリジナルコンテンツでヒット作を生み続ける彼らの、独自の戦略と流儀とは何か。その全貌と裏側に迫る。
『NETFLIX』に、加入していますか?
僕自身は、ずっと気になってはいるものの「入ったとしても、莫大なコンテンツを消化する時間が無さそうだものなあ、もともとドラマとかもそんなに見ないし……」とか考えているうちに、加入しないままここまで来てしまった、という感じです。
『ハウス・オブ・カード』とか『アイリッシュマン』、『全裸監督』を観てみたい、とは思うんですけどね……Amazon Prime VIdeoだけでお腹いっぱい、ではあるのだよなあ。
僕が子どもの頃からずっと、1日は24時間だし寿命も劇的に伸びているわけではないのに、手軽に消費できるコンテンツはものすごく増えましたよね。40年前は、夜に寝つけないときには、本を読むかラジオの深夜番組を聴くしかなかったのに。
世界中の企業がコロナ禍に見舞われている時でさえ、ネットフリックスは驚異的な成長を見せつけている。新型コロナウイルスが世界的に拡大していった2020年1~3月期には1600万人近い新規有料加入者を獲得し、過去最大の加入者数増を記録した。同年3月末の段階で既にネットフリックスの有料会員総数は1億8286万人に上った。動画配信サービス全体で10億人規模の市場を作り出した、その牽引力を担っているのは現状、間違いなくネットフリックスである。
新型コロナウイルスの感染拡大は、ネットフリックスにとっては、会員数増の契機となったのです。外出が極力控えられ、娯楽が限定されるなか、動画配信サービスにお金を使う人が増えたのは理解できますよね。
著者は、ネットフリックスの戦略の特色として、「ネットファースト」「ユーザー第一主義」「ローカル発グローバル」の3つを挙げており、この3つについての詳説が、この新書の主題でもあるのです。
ネットフリックスといえば、『ハウス・オブ・カード』をはじめとする、ハリウッドの有名俳優・監督を起用したドラマのイメージが強かったのですが、近年は、日本の『全裸監督』、韓国の『愛の不時着』などの、アメリカではない国から発信された作品が目立ってきているのです。
2020年6月29日から7月3日まで5日間にわたってオンライン上でAVIAが主宰した「OTTバーチャル・サミット」を取材した時に、既にネットフリックスのローカル強化戦略の重要性は語られていた。初日に行われたアジアストリーミング市場のトップ対談に登壇した当時のネットフリックス・アジア太平洋事業開発担当ヴァイスプレジデントのトニー・ザメツコウスキー氏が、ネットフリックスが2016年以降にアジアで成長している理由を語った時だった。「キーワードはハイパーローカル。アジアで成功するためには、アジアのストーリーに投資する必要がある。アジア市場への参入後、すぐにそれを認識し、アジア発の企画は200本に上った」というのだ。そして、その真意をうかがわせる言葉が続いた。「アジアコンテンツはかなり長い間、国内ビジネスで発展してきたが、アカデミー賞を受賞した韓国映画『パラサイト』のような作品が全世界で成功したことで、アジアのコンテンツに対する需要が世界的に非常に高まっている。このアジアのストーリーを世界に届けるために、ストリーミング業界が果たすべき役割は大きいと感じている」と。これはネットフリックスが今後もローカルコンテンツに集中投下していく考えがあることを示していた。
ハイパーローカル戦略は、現地の出演者が現地語で語る現地ならではのストーリーを作り出すことと解釈できる。ローカルの視聴者は自国のローカルコンテンツをより好む傾向がある。ローカルの視聴者を納得させることを前提に、全世界同時配信を可能にした環境も活かした上で、ハイパーローカルコンテンツを提供するのがネットフリックスというプラットフォームの強みなのである。
譬えるなら、全世界の食が並ぶ巨大なフードコートのイメージだ。
『全裸監督』は、アダルトビデオ業界というニッチなテーマを扱っていることもあり、日本国内でのユーザー獲得を狙ったものかと思いきや、世界各国で高い評価を受け、視聴されているというのをこの本を読んで知りました。
「ローカルの面白いもの」は、その国の文化への興味も含めて、世界中で評価されるのです。
また、ネットフリックスは、「世界中で通用するコンテンツ」として、アニメにも力を入れていて、お金をかけたオリジナル作品も生み出してきています。
アメリカ以外の国では「ローカルAND THEN グローバル」が有効な策である。ネットフリックス台頭以前は、ローカルでヒットさせ、海外への進出の道を探るといった流れが一般的だった。リメイクという手法もあり、展開する国に合わせてローカライズしたものをヒットさせることが英語圏以外の国ではよくみられる。言語や文化、習慣の障壁を取り除くことができる大きなメリットを持ち合わせるが、時間と手間がかかることもあり、成功事例を次から次へと生み出しにくいデメリットもある。
では、ネットフリックス流の「ローカルANDグローバル」とは何か。ローカル市場とグローバル市場の両方を同時に見据えて作るのが「ローカルANDグローバル」の基本形。これは190か国、地域、全世界同時配信を実現するプラットフォームを持つネットフリックスならではの戦略なのである。時間をかけて、海外進出を探り、セールスし、放送にこぎつけるまでしなくとも、棚に並べた瞬間に世界のネットフリックス会員が視聴できる仕組みを作ったのだ。
ネットの時代はSNS上で発信すれば、全世界のユーザーに届くことが当たり前。番組コンテンツをネットで届けることそのものはYouTubeが先行していたが、それをネット上で定額制サービスのビジネスとして成立させた功績は大きい。ネットフリックスは市場のニーズを見据え、先見の明があったことに尽きる。だが、仕組みだけでなく、コンテンツ戦略のポリシーが「ローカルANDグローバル」にあることが成功の大きな要因だ。
ネットフリックスは、テレビドラマのような放送時間に縛られない、「一気に全話を視聴する」というような視聴方法の革命を起こしたのとともに、「全世界同時配信」をも実現したのです。
もちろん、ただそれだけでは、圧倒的なコンテンツの量に視聴者はどれを観たらいいのかわからなくなるのだけれど、それをサポートするレコメンド機能も常にアップデートされ続けています。
伝統的な映画産業からは、異端、侵略者のような扱いを受けることもあるネットフリックスなのですが、それまでのハリウッドの「習慣や既存の勢力」にとらわれない、スポンサーの意向や「公序良俗」に縛られない、自由な発想の作品がつくれるということで、クリエイターから支持されてもいるのです。もちろん「ネットフリックスの仕事は予算も潤沢だし、報酬も期待できる」。
『全裸監督』も、テレビドラマではスポンサーが付かないだろうし、テレビ局も二の足を踏むでしょう。映画にするには長すぎるし、僕のようなオッサンが映画館に観に行くのも、ちょっと恥ずかしい、かもしれません。
『全裸監督』を通じてネットフリックス・オリジナル作品に携わったことで、武(正晴)監督は日本の映画業界の未来に危機感を抱いてもいた。それはどういうことかというと、コンテンツ制作の現場が深刻な人材不足に直面しているということである。「いまは日本の映像業界そのものに魅力を感じてもらっていない。だから若い人がこの業界に入ってこなくなっています。期待されていないからでしょうね。配信の時代がこれからというタイミングで、10~20年後につくり手がいなくなってしまっては元も子もない。歯止めをかけないと、才能が枯渇していく状況に陥る可能性さえあります」。かねてより言われてきたことだが、ネットフリックスと仕事をしたことで、より一層実感した様子だった。
当たり前だったことが当たり前でなくなっている現実があることがそう思わせていた。
「脚本からセット作りに至るまで、あらゆる作業に手間と時間をかけることができました。作品をプランニングする段階からしっかり予算が組まれています。30年くらい前は、日本の映画づくりも、それが”普通”でした。ところが、ここ20年くらいは予算的に厳しい状況が続き、『普通じゃない』と感じることも多くなってきた。だから、久しぶりに”普通”に仕事ができた。ストレスなくできたというのが、いちばんの感想です。今の日本の映画業界はお金をかけないことに走り過ぎてしまい、情けないことにネットフリックスのやり方が特別なことだと感じてしまったほどです」と話していたわけだが、なんとも皮肉な話である。ネットフリックス・オリジナルシリーズといえば、ドラマ1話あたり数億円以上の予算を投じ、ハリウッド映画1本並みの予算がかけられたクオリティの高さが売りのひとつでもある。『全裸監督』は1話あたり5000万円ほどと言われており、NHKの大河ドラマ並みの予算規模である。欧米や韓国の超大作と比較すると、驚くほどの制作費ではないが、大掛かりな歴史ものでもない。武監督が「予算でしょうね。すべての大きな違いは」と話していたことからも、ヒューマンドラマとしては十分な制作費を掛けられていたことがわかる。
「すべてはお金」というのは、悲しくなってきますが、たしかにその通りなのでしょうね。
現状、ネットフリックスは「多くのユーザーを獲得して集めたお金をしっかり投じて優れた作品をつくり、それがまた新しいユーザーを得る原資になっている」という好循環をみせています。
逆に言えば、テレビ番組では「無料で観られるけれど、CMが必要で、スポンサーの意向には逆らえない」状況だったのが、ネットフリックスのような映像配信の世界では、「視聴者がお金を出すことによって、より自由で多様なコンテンツを観ることができる」ようになった、とも言えそうです。
もちろん「お金を払わなければ観られない」というのは、社会的インフラとしては問題があって、テレビ局やテレビ番組がすぐに無くなってしまうとは思えないし、ネットフリックスも「人気最優先」に陥ってしまうリスクもあるのですが。
ただ、さまざまな人気コンテンツの紹介を読むと、視聴者というのは、優れた作品であれば、ドキュメンタリーとか社会派ドラマもちゃんと観てくれるのだな、とも感じるのです。
こんなにコンテンツが豊富な時代を生きていく、僕の子どもたちが、正直、羨ましくも思えますし、僕もリタイアしたら、ネットフリックス三昧の生活を送ろうかな、なんて考えながら読みました。