琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】君のクイズ ☆☆☆☆☆


Kindle版もあります。

『ゲームの王国』『嘘と正典』『地図と拳』。一作ごとに現代小説の到達点を更新し続ける著者の才気がほとばしる、唯一無二の<クイズ小説>が誕生しました。雑誌掲載時から共同通信図書新聞文芸時評等に取り上げられ、またSNSでも盛り上がりを見せる、話題沸騰の一冊です!

ストーリー:生放送のTV番組『Q-1グランプリ』決勝戦に出場したクイズプレーヤーの三島玲央は、対戦相手・本庄絆が、まだ一文字も問題が読まれぬうちに回答し正解し、優勝を果たすという不可解な事態をいぶかしむ。いったい彼はなぜ、正答できたのか? 真相を解明しようと彼について調べ、決勝戦を1問ずつ振り返る三島はやがて、自らの記憶も掘り起こしていくことになり――。読めば、クイズプレーヤーの思考と世界がまるごと体験できる。人生のある瞬間が鮮やかによみがえる。そして読後、あなたの「知る」は更新される! 「不可能犯罪」を解く一気読み必至の卓抜したミステリーにして、エモーショナルなのに知的興奮に満ちた超エンターテインメント!


 この本は面白かった!
 僕自身クイズが大好き、ということもあり、主人公に感情移入して解答者席に座っているような気持ちで一気読みしてしまいました。
 190ページくらいで、最近は長い本を読むのがつらくなってきた僕でも息切れせずに読み切れる長さでありながら、ものすごく密度が濃くて、「小川哲さん天才かよ!」と感心せずにはいられなかったのです。現役のクイズプレイヤーたちへのかなり綿密な取材もされたのだと思います。


 高額賞金がかかった、実力勝負のクイズ大会の最終問題。
 そこで起こった、信じられないような出来事。
 司会者が問題の最初の一文字を発するその前に、早押しボタンを押し、正解を言い当てたひとりのプレイヤー。
 彼は、なぜそんなことができたのか?

 最初にこの本のあらすじを知って思い浮かべたのは、ダニー・ボイル監督のアカデミー作品賞受賞作『スラムドッグ$ミリオネア』だったのです。


fujipon.hatenadiary.com


 解答者の人生とクイズの正解がリンクしていく、というこの作品、おそらく、この『君のクイズ』にもある程度影響を与えているとは思うのですが、この映画のノベライズみたいな小説なのでは、という僕の予想は大きく裏切られました。
 『スラムドッグ$ミリオネア』が「主人公がたどってきた人生がクイズになる話」だとすれば、この『君のクイズ』は、「主人公がクイズを解くことが、人生になっていった話」なのです。


 僕が小学生の頃、『アメリカ横断ウルトラクイズ』という番組が大きな話題となりました。
 後楽園球場に集まった挑戦者たちが、空港からアメリカに上陸し、各地のチェックポイントでさまざまな仕掛けのクイズでふるい落とされ、最終的にはニューヨークで豪華賞品をかけて1対1での決勝に臨む、というスケールの大きな番組でした。
 出場者たちが織り成す人間ドラマや罰ゲーム(砂漠にひとりで置き去りにされたり、すごく辛いものを食べさせられた吏するんですよ。僕はこの番組で『タバスコ』を知りました)に、毎週心躍らせ、「東京の大学に行って、『ウルトラクイズ』に出場するんだ!」と子ども心に固く誓っていたのです。
 結局、僕が大学に行く頃には番組は終わっており、僕も東京の大学には行かなかった(行けなかった)のですけどね。

 クイズには「確定ポイント」というものがある。──いや、正確には「ある」とされている。
 確定ポイントとは、問題文の中でクイズの答えが確定するポイントのことだ。問題が読まれる前、無限に存在していた選択肢は、問題が読まれるにしたがって選択肢の数を減らしていく。そしてどこかのタイミングで一つに絞られる。
 たとえば「タイトルは任務のタイムリミットである『0時1分』を意味している、ギャビン・ライアルのハードボイルド小説は何でしょう?」というクイズがあったとする。「タイトルは任務のタイムリミットである『0時1分』を意味している」の時点で、この問題の答えは「『深夜プラス1』」以外にありえないとわかる。


 クイズ番組では、大橋巨泉さんが司会をやっていて、番組内で『 笑ゥせぇるすまん 』のアニメを放送していた『ギミア・ぶれいく』の企画として開催された『史上最強のクイズ王決定戦』も記憶に残っています。
 さまざまな番組の優勝経験者たち、クイズの猛者たちが「実力勝負」をするという企画だったのですが、問題を読むアナウンサーが「問題です。アマゾン川の…」まで読んだところで解答者が一斉にボタンを押し、正解していくことに驚かされました。
 アマゾン川「の」か、アマゾン川「で」か、アマゾン川「は」か、その後に続く助詞で、その後の問題の内容と解答がわからなければ勝負にならない、クイズ王の世界は、そんな超人的なものになっていたのです。
 まあでも実際のところ、それは「競技」としての緊張感はすごかったものの、テレビ番組としては、視聴者が置き去りにされてしまったような感じもありました。
 その後、「おバカ回答」がもてはやされたり、クイズ番組や芸能人が解答者として面白いことを言ったり、番組の宣伝をしたりするようなバラエティ系のクイズ番組が主流になっていったのです。
 その一方で、ストイックに「早押しクイズの実力を競う」学生やアマチュアたちは現在も少なからず存在していて、「競技クイズ」を続けています。

 僕はクイズは大好きだし、さまざまな雑学も頭に入れてきたつもりで、「自分はクイズが得意だ」と思っていました。
 でも、『史上最強のクイズ王決定戦』を観て、打ちのめされたのです。
 これはもう、僕がイメージしていたような「知識を競う、知っているか、いないかの『クイズ』じゃなくて、すべてをこれに賭けた者だけがたどり着ける領域なんだな」と。

 
 こんなの、番組側との癒着でもなければ、超能力とかじゃないと、ありえないんじゃない? 
 そう思いながら、読みはじめました。
 そんなオチだったら嫌だなあ、もしかして、「叙述トリック」なのか?

 あれこれ書くとネタバレになりますが、読み進めていくうちに、難解な証明問題が見事に解かれていくような快感がありました。
 まさかこんなに、ちゃんと「(将棋の)詰み」になるなんて。

 問題を作る側と解答する側の無言の駆け引きも興味深いものでした。
 僕も学生のテスト問題を作ったことがあるのですが「それなりの歯ごたえがあって、ちゃんと正解してもらえる問題」って、なかなかうまくできなかったのを思い出しました。

 僕は当たり前の前提に気がつく。クイズに正解できたときは。正解することができた理由がある。何かの経験があって、その経験のおかげで答えを口にすることができる。経験がなければ正解できない。当たり前だ。
 クイズに答えているとき、自分という金網を使って、世界をすくいあげているような気分になることがある。僕たちが生きるということは、金網を大きく、目を細かくしていくことだ。今まで気づかなかった世界の豊かさに気がつくようになり、僕たちは戦慄する。戦慄の数が、クイズの強さになる。

 ああ、なんだかこの『君のクイズ』の話じゃなくて、「僕のクイズ」の話ばかり書いてしまった。
 読んでいるうちに、自分の人生を振り返ってしまうきっかけ」になる小説なんですよ、これ。
 たしかに、人生というのは、つねに、何かを問われ続けている、とも言える。
 ただし、正解の「ピンポン」は、どこからも聞こえない。


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