琥珀色の戯言

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【読書感想】誰が国家を殺すのか 日本人へV ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

資源のない日本は「人材」こそ「資源」とせよ!
古代ギリシア人やローマ人は「危機」という言葉に「甦生」の意味も合わせ持たせた――「知恵」を働かせる以外に日本の未来はない。

「長く歴史に親しんでつくづく考えるのは、民族は、興隆した後に必ず衰退を迎えるものであること。興隆と衰退の間に長い安定期を享受できた民族は、実にまれにしか存在しなかった」――古代ギリシア古代ローマ、中世ルネサンスから日本を思う。

月刊「文藝春秋」の好評連載「日本人へ」第5弾。


 僕は『芥川賞』の受賞作掲載号くらいしか、月刊『文藝春秋』を買わないのですが、塩野七生さんの連載エッセイを読むたびに、塩野さんは、本当にいつも背筋を伸ばして生きている人で、ずっと変わらないなあ、と嬉しくなるのです。
 『ローマ人の物語』の単行本は1992年から2006年にかけて、年に1巻ずつ上梓されていったのですが、1937年生まれの塩野さんが、この仕事を完結できるのだろうか、と不安に感じていたのを思い出します。
 僕自身は、完結後も何度も最初から読み返そうとしては、ハンニバルが出てくる『ポエニ戦記』の巻くらいまで読んで(けっこう最初のほうなのですが)、なんとなく満足して中断してしまう、というのを繰り返しています。
 歴史家たちには、「あれは『歴史書』とは言い難い。事実と異なることや作者の想像で補われたぶぶんが多すぎる」という批判もあるようですが、僕は塩野さんの作品が大好きですし、その作品のおかげで多くの歴史上の人物に興味を持つようになりました。
 塩野さんが住んでいるイタリアで、コロナ禍の中、転んで大腿骨骨折で入院した、という話には、やはり「寄る年波」みたいなものを感じずにはいられませんでしたし、その一方で、患者としての入院生活を文章にしているのを読むと、その観察力や「医療者側もまた、患者さんに見られているのだな」と思い知らされました。


 2018年3月に政権交代が起こった、イタリアの総選挙についての回より。

 ガラガラポンという感じで与党と野党が入れ代わったのが今回の総選挙の結果だが、その要因の第三には、ツイッター選挙であったことがあげられるだろう。
 この舌戦の主役は、五つ星のトップと北部同盟のトップの二人だが、エスカレートする一方になったツイッター合戦には、下院議長と小党派の右派の党首という女二人も活躍する。年齢的には、若い世代の男二人と中年の女二人という形だが、女対男ではなく、四人はそれぞれ入り乱れての舌戦。
 これを眺めていて、ツイッターで勝つにはどう振る舞うべきかが、アナログそのものの私にもわかったのだった。
 第一に、短文でなければ、やるだけ無駄であること。
 第二は、写真よりも動画のほうがインパクトが強いこと。
 第三に、口調は常に攻撃的でケンカ腰であること。
 第四は、舌戦の場からは絶対に退場しないこと。それどころか、相手の攻撃には時をおかずに反撃し、しかも言説に誤りがあっても訂正などはせず、繰り返し波状攻撃をつづけること。
 今回の総選挙の投票率は7割をはるかに越えていたのだ。もはやイタリアでは、ネット世代でなくても新聞は読まずテレビの解説も聴かなくなっていたからである。
 そして、このツイッター合戦が投票に影響を与えたのは、既成のマスコミまでが舌戦の一部始終を、自分たちの媒体で流し始めたからであった。結果は、すべてのメディアの週刊誌化。こうなると、広い視野に立っての考察などは居場所を失ってしまう。
 どこかの国でも起ってはいませんか?

 どこで読んだのかは忘れたが、それを言った人は覚えている。元大阪市長橋下徹氏で、彼自身の体験に基づいて、国民投票なり市民投票なり住民投票なりについて、次のように言っていた。
 票を投ずる人の三分の一はそれに賛成な人々。他の三分の一は反対の人々。ただし、残りの三分の一は、提案されているテーマについての賛否ではなく、提案した人への好悪の感情で投票するのだ、と。至言、だと思う。


 「何を言ったか」ではなく「誰が言ったか」で判断する人が、三分の一くらいはいる。それは、僕にも理解できるような気がします。インターネットでは、発言者の年齢や性別、社会的な立場、有名・無名にこだわらない議論が可能なのではないか、とネット黎明期の僕は夢想していたのですが、実際はそうはなりませんでした。むしろ、あまりにも多くの人の言葉がタイムラインを流れていくため、「誰が言ったのか」が、より大事になったようにさえ思われます。
 同じ意味のことを言っても、賞賛される人がいれば、叩かれる人もいる。
 サッカー・ワールドカップの日本代表のサポーターたちの「後片付け」を揶揄して炎上した元社長がいましたが、「無償の善行」や「サービス残業」みたいなものがネットでは否定されることが多いのだから、「そんなことは入場料を払っている客がやることじゃない」というのも、ひとつの「意見」として検討してみるべきではなかろうか。
 でも、「日頃から偉そうでムカつくことばかり言っている、ギャンブル狂いの元社長」の発言だと、「妄言」として門前払いされるんですよね。
 まあ、あの元社長に関しては、僕も「自業自得」な気はするのですが。

 同じ人であっても、「好感度」が高い時期だと、何を言っても「その率直さが良い」と受け入れられ、世間の風向きが変わったり、何かの事件などで負のイメージを持たれたりすると、「何をやってもダメ」になってしまうこともあります。
インフルエンサー」として生きていくのは、嵐の海を航海していくようなものではなかろうか。

 塩野七生さんや伊集院静さんをみていると、「前時代的な男女観、人生観を持っている人でも、スジを通し続け、言動がブレなければ、中途半端に時代に迎合しようとする人よりも敬意を払われる」のかもしれません。
 人は、結局、好き嫌いで動く生き物だし、リーダーにとっていちばん大事なのは「この人のために何かをしてあげたい」「この人を盛り立てたい」と思わせるような「人間力」ではないか、と、たくさんの、そして大小のリーダーをみてきた僕は思うのです。


 塩野さんは、ヴェネツィア共和国がペストの大流行時に構築した検疫システムを紹介しています。

 具体的には、ヴェネツィアの町が浮かぶ湾の中に入っても、直ちに商船用の船着場に着岸できるわけではない。まず、すべての船は、リドの島にある検疫所で、航海中に寄港した他国の様子とか、船内の病人の有無を問われる。生むだけでなく、病人が病床にあった日数まで問われる。質問するのも医師。それに答えるのも、海賊対策もあって五隻から十隻の船団で公開するのが常の商船団では、必ず一人は乗っていた医師。着岸を許されるのは、この検査にパスした船のみ。
 少しでも疑いを持たれた船は、それ用の島に着岸させられ、船員も船荷も、四十日間の隔離を強いられる。現代でも「検疫」を意味する英語の「Quarantine」の語源は、ヴェネツィア方言の「四十日」からきているのである。症状がなくても四十日の間、波の向こうに見えるヴェネツィアの町を遠眺しながら我慢していたということ。病状が明らかな場合は直ちに、湾内の別の島に移されて治療を受ける。会うのは、医師と看護人のみ。こうも徹底すれば、勢い医療水準も向上す流。イタリアでは二番目に古いパドヴァ大学の医学部の名声が、飛躍的に上がったのもペスト対策のおかげ、としてもよいくらいに。
 このヴェネツィア共和国の疫病対策は、しかし、リスクゼロは始めから狙っていない。経済人の国だけに、リスクがゼロなんて有りえないことを、ヴェネツィア人は肌で知っていたからである。だから、この水際対策で、疫病が完全に根治されたわけではない。ペストに代表される流行病は、その後もしばしば起こった。それでもヴェネツィアはこのシステムを、しぶとくつづける。大流行にはならないことのみを目標にしながら。


 ヴェネツィアは、東西貿易の要衝として栄えていた都市で、人の出入りを閉ざしてしまえば、経済的に成り立たなくなってしまう、という現実的な制約もありました。
 現代のように医学も公衆衛生学も進んでいなかった時代でも、人間は疫病の脅威と現実の生活の折り合いをなんとかつけて生きていこうとしていたのです。

 読んでいて、ずっと歴史上の指導者たちのことを書いてきた塩野さんの「上から目線」というか、「大局的、俯瞰的すぎるものの見かた」が、気になるところはあるのです。
 しかしながら、エッセイの諸所に挟まれているさまざまな歴史や塩野さんが出会った人々のエピソードはすごく魅力的で、「読んで良かった」と唸らされます。

 一度だけ、生前の司馬遼太郎と、じっくり話をしたことがある。対談のような仕事の場ではない。同席者も私をはじめて先生に紹介した人なので、この大作家に対しても、正直に率直に質問した。先生にとって最も嬉しい読者はどんな人ですか、と。書く自分の意図を正確に受け取ってくれる人、という答えを予想していたのだが、先生の答えはちがった。「司馬遼太郎は今、こういうことが書きたかったのだな、と思いながら読んでくれる人」であったのだから。
 まったく同感です、と言った私だが、重ねて質問した。「ならば、嬉しくない読者はどんな人たちですか」と。先生は穏やかな笑顔は変えずにそれにも答えてくれた。「司馬遼太郎らしくないとか、こういう作品を司馬遼太郎からは期待していない、とか言う人たち」
 これにも、同感です、と言うしかなかったのだが、その私を少しばかり揶揄うように、先生はつけ加えたのだ。「でも、嬉しい読者となると三百人、というところかな」
 こっちのほうには仰天した。口にも出した。「先生が三百人なら私なんて三十人にも満たない!」司馬遼太郎はあいかわらず笑顔のままで言った。「そんなもんですよ」


 こういう話を読めただけで、なんだか得したな、という気持ちになるのです。
 「人気」が重要な仕事では、ずっと同じことをやり続けていれば飽きられるし、新しいことをやろうとすれば「らしくない」と否定される。
 とはいえ、「自分がやることは、なんでも素直に受け入れてくれ」と言われると、読者としては、「それは傲慢ではないか」とも思うのです。

 何かをずっと好きでいることって、けっこう難しい。
 「結果」を出し続けるということも。


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