琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】本音 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

小倉智昭」と聞いて、どんなイメージが浮かびますか? 舌鋒の鋭さ、ふてぶてしさ? でも、その実人生はアップダウンの連続です。吃音(きつおん)だった少年時代、局アナからフリーに転じた後の貧乏暮らし、22年にも及んだ「とくダネ!」MC、がん闘病……そんな「まさか」の人生を、「とくダネ!」コメンテイターで年の離れた友人・古市憲寿さんを聞き手に振り返ります。驚きのエピソード、イメージとは違う意外な面が続々! 

今だから語れるあの時の本音のホンネ
生い立ちから芸能界、死生観までしゃべった!

三途の川を見たことで人生観はどう変わったか?
吃音の少年が実況のプロに…「とくダネ!」の栄光と炎上
老後は思い通りにならないもの…。笑いあり涙ありの人生賛歌!


 僕は『とくダネ!』が朝の情報番組の中ではわりと好きで、平日の朝に家にいるときには(そんなに高頻度ではなかったのですが)、『めざましテレビ』『とくダネ』が流れていることが多かったし、通勤中に『とくダネ』の音だけ聴いていたこともありました。
 『とくダネ』は、放送期間の後期は、けっこう「いまネットで話題のネタ」を採りあげていて、僕にとっては親和性が高かったのです。この本での小倉智昭さんの話を読むと、そういう変化は、司会者としての小倉さんには、必ずしも好ましいものではなかったのかもしれませんが。
 
 僕が小倉智昭という存在を認識したのは、大橋巨泉さんが司会、小倉さんがナレーションをやっていた『世界まるごとHOWマッチ』という番組でした。
 1983年から1990年まで放送されていた世界の様々なものの「値段」を当てる、というクイズ番組だったのですが、大橋巨泉さん、石坂浩二さん、ビートたけしさんの掛け合い、そして、小倉さんの、アメリカっぽい軽妙なナレーションが記憶に残っています。
 
 小倉さんは、大橋巨泉さんの「手下」みたいなイメージだったのですが、この本の中で、小倉さんは巨泉さんに対する気持ちもけっこう語っておられます。

 さっきも話した通り、巨泉さんがアナウンサー辞めてタレントにならないか、よかったらうちの事務所に来いよって誘ってくれたのは事実。だけど、最初から仕事を回してくれたわけではない。9年間は食えなかったわけですしね。
世界まるごとHOWマッチ」のナレーションで当てた時に、巨泉さんは「ほら見ろ、小倉はこういうナレーションがいいんだ」みたいなことを言っていたんだけど、実はそんなアドバイスを彼に言われたことないんだから。
 あの小倉節と言われるようなナレーションは、こういう風にしたら面白いだろうなと自分で独自に考えたものです。「ほら見ろ」なんて、巨泉さんが自分で手柄とっちゃったみたいな感じ。
 実際、巨泉さんにアドバイスもされなかったし、良くも悪くも口出しもしてこなかった。


 もっと「恩人」みたいな感じたのかと思いきや、ドライな関係の仕事仲間だった、と小倉さんは考えておられるようです。僕からみると、大きな影響を受けていて、「巨泉スタイル」の最後の伝承者が小倉さんだったのではないか、と思うのですが。

 小倉さんに対しては、以前、公園の遊具で事故が起こった際に、『とくダネ』のなかで、「事故は本当に残念なことだけれど、事故が起こるかもしれない、ということでどんどん遊具が撤去されていったら、子供たちが遊べなくなってしまう。『不幸な事故』を完全に無くすことはできないのだから、なんでも撤去すればいい、というのはどうなのだろうか」というようなことを仰っていたのを聞いて、「MCとして、言うべきと思ったことは批判されるリスクも承知で言う人なんだな」と感じた記憶があります。

 有名スポーツ選手への番組内での「○○ちゃん!」みたいな馴れ馴れしすぎる態度には辟易していましたし、昭和生まれの僕にとっては、「懐かしくもあり、うざったくもあり」と言うのが正直なところです。でも、自分の言葉で喋っている、という点では、「嫌いじゃなかった」かな。

 この古市憲寿さんがインタビュアーとなった新書には『本音』というタイトルがつけられているのですが、読んでいると、「新書に載せられる程度の本音」にとどまっているようには感じます。
 人間の「本音」って、みんなもっと毒々しい、どす黒いものを期待してしまうけれど、実際はそんなに極端な善意や悪意に満ちたものじゃないのかもしれませんね。
 僕だって、日頃考えているのは「仕事めんどくさいな」とか「あの人苦手だな」とか「早く給料日にならないかな」とかいう、ありきたりなことばかりですし。

 古市さんは、小倉さんとの初対面と、その後の印象について、こんなふうに述べておられます。

 僕が小倉さんと初めて会ったのは、2012年秋のことだ。『絶望の国の幸福な若者たち』という本が話題になり、少しずつメディアに出始めた頃だった。
「とくダネ!」に出演してみないかと声をかけられた。もちろん番組の存在は知っていた。だが実は一度、僕はその依頼を断っている。テレビを通して観る小倉さんは、あまりにもアクが強く、とても自分と相性がいいとは思えなかったのだ。
 結局、まずはお試しということでフジテレビへ行くのだが、想像していた小倉智昭とのギャップに驚いたことを覚えている。
 本番前の打ち合わせでは、ぼそっと冗談を言ったりするが、基本的には物静か。その日は、中国の反日デモに参加する若者を特集していたが、僕の発言にもじっくりと耳を傾けてくれた。
 一緒のエレベーターに乗り、目が合った時なんて、恥ずかしそうに顔を背けられた。所構わずスタッフを大声で怒鳴りつけるような「意地悪じじい」だと思っていたのに、心優しきシャイガイだったのだ。
「とくダネ!」に出演を続けてわかったことだが、とにかく小倉さんは出演者やスタッフに好かれている。テレビでしか小倉さんを知らない人からは「嘘だろう」と思われそうだ。そういえば嫌いな司会者ランキングでも、小倉さんはいつも上位にいた。
 もしかしたら仲間思いの性格が、小倉さんをことさら「嫌な奴」に見せていたのかも知れない。
 たとえば番組でスタッフがミスをした時も、いつも視聴者に対して謝るのは小倉さんだった。他人に責任を押し付けることがなかった。世間にどう見られるかを気にせず、いつも身近な人を大切にしていた。自分が悪者になってもいいと思っていたのだろう。
 嘘がない人だった。知ったかぶりをしなかった。わからないことはわからないと言った。常に純粋な視点で、社会に疑問を持ち続けていた。だから衝突も多かった。偉い人や権威との喧嘩もいとわかなった。

 僕も「意地悪じじい」に一票入れていたのを思い出しました。

 古市さんはこのあと、「弔辞みたいになってしまった」と苦笑されているのですが、小倉さんの膀胱がんでの闘病もあり「弔辞も冗談にならない可能性もあった」とあらためて仰っています。
 かなり長い間(5年間)番組で共演されていた菊川怜さんが、小倉さんへの感謝を語っておられるのをみて、僕は「社交辞令だろう」と思っていたのですが、小倉さんは本当に「身内」に慕われていたようです。


 菊川さんとは、こんなエピソードもありました。
www.sponichi.co.jp


 小倉さんはもともと吃音があったそうで、それが悔しくて、あえて喋る仕事を選んだ、と仰っています。

 いや、克服はしていないんです。今でも、女房と話したり、マネジャーと話したり、気を緩めて話したりするときは、もうすごいよ。録音を聞き直すと、ああ、こんなに俺どもるんだって思うくらい。番組でも、自分の想定しなかったことが突然起こった場合、必ず頭の言葉がつかえますね。出てこない。
 そう見えないのは、普段はいろいろなことを想定して身構えているから。だから気楽に話しているようだけど、案外気楽に話してないんだよ。呼吸法とか発声を考えておかないと、やっぱりすぐ、どもってしまうんで。


 小倉さんは、準備を綿密に行い、さまざまな状況を想定しておくことで、なるべく吃音が目立たないようにしてきたそうです。もちろん、吃音の程度による、という面はあるのでしょうけど、精神論に頼らず、技術と準備でカバーしてきたのです。


 古市さんは、ジャニーズ事務所の「事件」についても、小倉さんに問いかけています。

古市:「メディアは知っていたのに伝えなかったじゃないか」「積極的に取材しなかったじゃないか」という点を問題視する人もいます。もしも、今「とくダネ!」が続いていたらどうなったでしょう。ジャニーズに対して「叱るべきことは叱る」という姿勢で厳しい指摘をしても、「小倉さんだって、前から知ってたでしょう」と批判されかねない。そんな批判に対して、キャスターとしてどう答えたと思いますか?


小倉:知っていることを何でもかんでもテレビでしゃべることができるなんて思ったら大間違いだよって、正直に言いますよ。知ってることを全部言うわけねえだろう、って。
 古市くんも言ったように、噂を耳にしていたからって、放送で言えるものではないし。
 現代の感覚で見れば酷い、ということが昔は多かったでしょう。興行がらみのことは暴力団と結びついていたわけだからね。小林旭美空ひばりの結婚だって、そっちの力で結婚させられたんだから。そんなの怖くて断れないじゃない。
 メディアを変に神聖視するのはおかしいと思う。ロシアのメディアなんか見たらよくわかるよ。


 いまも『とくダネ!』が続いていたら、小倉さんは本当にこう「正直に」言ったのだろうか?
 これはこれで「正直」ではあるけれど、「じゃあ、マスメディアっていうのは、何のために存在しているんだ?」とも思うのです。
 「圧力」や「権力への忖度」で覆い隠されたものをみんなに「伝える」のが「報道」の役割ではないのか?
 それが「理想論」であり「綺麗事」であるのは事実でしょう。自分自身の安全だけならともかく、家族や同僚に危害が加えられたり、仕事を失ってしまうかも、という状況で、その「理想」に殉じることができるのか。ある程度のリスクは負うとしても、自分も焼け死ぬ可能性が高い火事のなかに、人命救助のために消防士は突入しなければならないのか?

 複雑な、というか「それでいいのか本当に」と言いたくはなりますが、「現実はそういうもの」だと公言する人の存在は、情報を受ける側の「解析力」を向上させてはくれるような気はします。

 そういうマスメディアの「忖度」に風穴をあけてくれるはずだったネットも、お金が稼げるようになると、「スポンサー」や「再生数」「PV(ページビュー)」に気を遣う「みんながダメだと言っていたマスメディア」と同じ状況になっています。デマを流すのが簡単、という点では、テレビよりもタチが悪いのです。


 あの小倉さんだから、良くも悪くも、もっとツッコミどころが多い本なのでは、と思っていたのですが、小倉さんも古市さんも、根本的には「常識人」なのだな、と感じました。
 まあ、そうじゃないと朝のテレビ番組を20年以上(1999年から2021年まで)もやれないよね。


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