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【読書感想】吃音: 伝えられないもどかしさ ☆☆☆☆

吃音: 伝えられないもどかしさ

吃音: 伝えられないもどかしさ

  • 作者:近藤 雄生
  • 発売日: 2019/01/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


Kindle版もあります。

吃音―伝えられないもどかしさ―

吃音―伝えられないもどかしさ―

内容(「BOOK」データベースより)
国内に100万人―それぞれを孤独に追いやる「どもる」ことの軋轢とは。頭の中に伝えたい言葉ははっきりとあるのに、相手に伝える前に詰まってしまう―それが吃音だ。店での注文や電話の着信に怯え、コミュニケーションがうまくいかないことで、離職、家庭の危機、時に自殺にまで追い込まれることさえある。自らも悩んだ著者が、80人以上に丹念に話を聞き、当事者の現実に迫るノンフィクション!


 僕自身、人と話すのは苦手で、話そうとして言葉に詰まったり、店で注文するときに不安になったりするので、「吃音(きつおん)」というのは、そんなに自分から遠いものとは感じていなかったのです。この本には、医学的な根拠には乏しいとされていますが、もともと左利きだった子どもが右利きに矯正されると、吃音が起こりやすい、なんて話も出てきますし(僕も「矯正された子ども」だったのです)。

 ただ、僕自身の対人恐怖みたいなものは、年とともにマシになってきているし、この本で紹介されている事例を読むと、少なくとも、僕が「共感する」なんていうのは傲慢だな、とも思うのです。

 吃音を発症するのは、幼少期の子どものおよそ20人に1人、約5%と言われている。そのうち8割ぐらいは成長とともに自然に消えるが、それ以外は消えずに残る。その結果、どんな集団にも概ね100人に1人、つまり約1%の割合で吃音のある人がいるとされる。これまでにアメリカやヨーロッパ各国、オーストラリア、南アフリカ、エジプト、日本といった国々で各種調査が行われていて、その結果が裏付けとなっている。最近では、幼少期に発症する割合は5%よりも多く、その一方、吃音のある人が全人口に占める割合は1%より少ないとも言われるようになっているが、およそこの程度の割合であるとすると、日本ではざっと100万人が吃音を抱えている計算になる。
 ひと言で吃音と言っても、症状は多彩だ。大きくは三種に分けられる。「ぼ、ぼ、ぼ、ぼく」のように繰り返す「連発」、「ぼーーくは」と伸ばす「伸発」、「………(ぼ)くは」と出だしなどの音が出ない「難発」。連発が一番吃音と認識されやすいものの、連発から伸発、さらに難発へと症状が進んでいくケースが多く、一般には、難発がもっとも進行した状態だとされる。
 緊張してスムーズに話せなかったり、話すときに「かむ」といった誰にでもある現象と同等に考えられることも少なくないが、吃音はそれらとは明確に異なる。ある言葉を言おうとするときやなんらかの状況下において、喉や口元が強張って硬直し、どうしても動かなくなるのだ。言葉で説明するのは難しいが、鍵がかかったドアを必死に開けようとするときの感覚に近いように思う。そして、話している最中にその感覚に襲われるのではないかという恐怖や不安が頭から離れなくなり、当事者を深い苦悩へと陥れる。


 約100人に1人、吃音の人がいるのであれば、もっと日常生活で、そういう人の困難に遭遇しているはずではないか、と思ったのです。でも、記憶を辿っても、大学時代くらいに、吃音で悩んでいる同級生がいたな、という感じなんですよ。
 ただ、この本を読むと、それは、吃音で困っている人が少ない、というわけではなくて、吃音でコミュニケーションがうまくいかないことに絶望して、人前で積極的に喋らなくなってしまうからなのだということがわかりました。
 
 そして、この病気に対する、世間の理解は、まだ進んでいないのです。
 リラックスすればうまく喋れるはず、とか、人前で話す練習をすればいい、とか、音楽療法とか、ちょっと考え方を変えれば「治る」はず、努力が足りない、と考えている人が多いのです。

 それが、吃音の当事者たちを、さらに絶望させている。


 吃音の治療法として、さまざまな試みがなされているのですが、まだ、確実な方法はない、というのが現状です。
 トレーニングによって、ある程度流暢に話せるようになる人もいるのですが、少しトレーニングを休むと、元に戻ってしまうことも多いのだとか。
 著者自身も、吃音に悩まされてきたそうですが、中国で生活しているときに突然、スムースに喋れるようになった、と述べています。
 何が原因なのか、どうすれば良くなるのか、よくわからない。
 それでも、いつの間にか「治って」しまう人もいる。
 
 そして、自分なりに「治った」と考えている人が、困っている人たちに「自己流の治療法」を教えて、高いお金を取っている場合もあるのです。
 それで改善されれば良いのだけれど、なかなかうまくはいかない。
 でも、その結果に対して、「あなたの努力が足りないから改善しない」で済まされてしまうという事例の多さを著者は告発しています。

 著者が取材した高橋啓太さんは、厳しいトレーニングで少し吃音が改善した際に、こんな話をされています。

「お久しぶりです」
 そう言った後に出てきた彼の才能は、想像していた以上に流暢だった。どもってはいる。けれども、半年前にコメダ珈琲店で話を聞いたときとは大きく違う。同じ時間内に彼の口から発せられる言葉の数が、何倍にもなっている。感じたままの印象を伝えると、高橋は言った。
「そうですか、そう思ってもらえて、よかったです。でも、これでも、いまはいつもより、どもって、しまっているんです」
 ハンドルを握りながら、顔をほころばせて嬉しそうに笑った。半年前には見られなかった表情だった。そして、途中で立ち寄ったドーナツ店では、こんな話もしてくれた。
「『アメリカンドッグ』という言葉が、言えなくて、10年以上、買うことができなかった、んですが、それがいまは、買えるように、なったんです。羽佐田さんの教室に、行くときはいつも、コンビニで、アメリカン、ドッグを、二つ買っていく、という、ことを自分に課して、練習して、いるんです」


 少しどもるくらいなら、そんなに日常生活に影響ないのでは?なんて思っていた僕の考えの浅さを思い知らされました。
 ゆっくり言えば、紙に書いて見せれば、指差せば?
 そんな話じゃなくて、「うまく伝えられないもどかしさ」は、コミュニケーションへの意欲を奪ってしまうのです。

 問題の大きな部分は、まさに「スムーズに言葉を発せない”だけ”に見える」ことにあるとも言える。吃音当事者の抱える問題は、じっくりと話を聞かないとわからないことが少なくない。それゆえ、就職の面接などでも、本人の側から積極的に吃音について伝えなければ、状況を理解してもらうのは難しい。さらに、吃音者としては、説明しても理解してもらうのは容易ではないゆえに隠せるならば隠しておきたい、という意識が働く場合も多く、吃音について相手に伝えること自体がそもそも簡単ではない。すると結果として、相手から見たら、コミュニケーションが苦手である人、という以上には判断ができず、何か特別な理解や配慮を求めることは難しくなる。実際、ある吃音当事者はこうも話す。
「面接で、吃音があってうまく話せないために落とされたとしても、それを単純に不当だと言うことは難しいと思います。身体が細くて力がなさそうだから肉体労働には向かないだろうと判断されるのと、ある意味同じと言えるからです」
 一方、自分の吃音は障害である、と自身で認識し、公的にもそう判断してもらえるように手続きをし、障害者として生きるという方法も一つではある。しかし吃音は、症状に波がある上、また、生活に大きな影響を与えていたとしても、症状自体は、自分は障害者であると認められるほどには重くない場合の方が多いぐらいかもしれない。そのような状態で、障害者であるという認定を受けることは、可能ではあったとしても、容易にできる選択ではないだろう。
 曖昧な状態ゆえに、当事者自身、向き合い方が定まらない。そして周囲も、当事者にどう接するべきか、問題はどこにあるのかを理解しづらいという困難があるのだ。
 吃音のない知人の1人は、吃音者と接する状況についてこう話す。
「そのままじっと待っているのがいいのか、それとも言おうとしている言葉を推測してこちらから言った方がいいのか。吃音のある人が会話の中で言葉が出ずにいて沈黙が続いたとき、どう振る舞ったらいいのかがわからないのです」
 その点だけについて考えても、人によっても場面によっても、または双方の関係性によっても違ってくる。こうすればいい、という正解はない。


 この本は、吃音の当事者に丁寧に取材し、話を聞いているのですが、彼らを「かわいそうな被害者」として、社会の無理解を断罪する、という態度で書かれてはいません。
 当事者に寄り添いつつも、「周囲も、吃音の現実を知らないがために、困惑し、善意でやっているはずのことで、結果的に当事者を傷つけている」というのをしっかり見据えているのです。

 看護師になった吃音の男性が、就職先で厳しい指導を受けて、数カ月で自殺してしまった事例が紹介されています。
 なんでこんなイジメのような「指導」をしたのか、と僕も読みながら憤っていたのですが、医療の現場の「新人への指導」って、イジメ、シゴキまがいのものが今でも少なくないんですよね。それはもう、吃音の有無にかかわらず。
 「患者さんの命がかかっているのだから、コミュニケーションのトラブルは許されない」と言われると(まあ、実際は誰がどうやっても、コミュニケーションはうまくいかないときはいかないんですけどね)、言い返すのは難しい。
 教える側も、そういう「指導」を受けてきた経験があるだけに、そんな負の連鎖を断ちきれなくなっているのです。
「弱者のために尽くす」ための仕事のはずなのに、「それをやるのは、完璧な人間じゃないといけない」というのは、おかしな話だとは思うのですが……

 著者自身も書いているのですが、この本には、決定的な解決法や「正しい答え」はありません。
 今、ここにある問題が、そのまま掬い上げられているだけです。
 だからこそ、すごく貴重な本だと思うし、多くの人に、読んでみてほしいのです。


遊牧夫婦

遊牧夫婦

中国でお尻を手術。 (遊牧夫婦、アジアを行く)

中国でお尻を手術。 (遊牧夫婦、アジアを行く)

  • 作者:近藤雄生
  • 発売日: 2011/10/21
  • メディア: 単行本

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