琥珀色の戯言

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【読書感想】現代アートをたのしむ 人生を豊かに変える5つの扉 ☆☆☆☆

内容(「BOOK」データベースより)
両著者は、東京・森美術館設立準備室で、ともに日々を過ごした旧知の間柄。そんなふたりが、あなたと現代アートとの「距離を縮める」ために、アーティストや各地の美術館、展覧会を案内する。二〇一四年十二月刊行の単行本『すべてのドアは、入り口である。』を大幅に加筆・修正。香港(高橋)とヴェニス(原田)の最新報告も収録した。「わからない」が「面白い」に変わる、現代アートのガイダンス


 元キュレーターで作家の原田マハさんと、長年の友人で、現在は香港のCHAT (Centre for Heritage, Arts and Textile)でディレクターを務めておられる高橋瑞木さんの共著です。

 ここ数年、「現代アート」の入門書が多く上梓されるようになってきているんですよね。
 「現代アート」=「敷居が高くて、何がやりたいのかよくわからない小難しいもの」というイメージは、かなり払拭されつつあるように感じます。
 東京にある森美術館現代アートの展覧会に大勢の鑑賞者が集まっているのをみると、「やっぱり東京と地方ではアートへの理解度が違うのかな」とも思うのですが。

 「インスタ映え」を求めて現代アートの展覧会を訪れる人が増えたというのも大きな理由のひとつで、美術館側もそれを狙って撮影を許可し、SNSでの拡散を推奨しているのです。

 この本を読んで思ったのは、「すべての作品は、それが生まれた時代には『現代アート』だった」ということと、第2次世界大戦後の作品を「現代アート」とするのは、もう、幅が広くなりすぎている、ということでした。
 
 

高橋瑞木:でも、「現代アートとは何か」という一見素朴な疑問は、じつは専門家でも答えにくいところにきているんですよ。


原田マハというと?


高橋:第二次世界大戦後といったところで、もう七十年経ってますよね?


原田:「現代」も終わったかもしれない。


高橋:現在、コンテンポラリー・アートと呼ばれているものの呼び名が変わるかもしれないですね。コンテンポラリーは同時代という意味だから、いつでも「そのとき」を指します。だから、モダン(近代)のあとにポスト・モダン(近代の次)という時代があり、そのあとの時代に新しい呼び名ができるのかもしれない。


原田:すでに、クラシック・コンテンポラリーという呼び方もありますよね?


高橋:古典なの? 新しいの? どっちなの? という言葉ですね。


 「アート」の概念も、この七十年で大きく変貌してきていて、美術館の館内に収まらないものや、「美術作品」というより「関係性を示す概念」を示すようなものが多くなっているのです。
 アンディ・ウォーホルも、「現代」というよりは、「現代につながる扉を開いた歴史的な存在」ですよね、実感としては。


 この本、美術好き、現代美術好きのお二人の対談がメインになっているのですが、正直、「好きな人が好きなことを語る」というのは、そのジャンルに興味がある人にとっては楽しいけれど、「現代アートの入口に立っている人たち」にとっては、置いてけぼりにされているような感じがするのではないかと思います。
 いやまあ、「全く現代アートに興味がない人」は、この本を手に取ることはないのでしょうけど。


 ちなみに、「これまで興味がなかったけれど、現代アートの見かたをイチから知りたい」という人には、この本をおすすめしておきます。


fujipon.hatenadiary.com


 高橋さんは、学生時代(1997年)に廣瀬智央さんというアーティストの展示を見にいったときのことを語っておられます。

高橋:しかも、廣瀬さんの場合は、レモンの匂いという嗅覚への刺激も含めてアートなんだっていうのが新鮮だったんですよね。そのとき、たまたま廣瀬さんがギャラリーにいらしたんです。廣瀬さんはすごく温和な方で。私は「すごくびっくりした」とか「感激した」という拙い感想をいったと思う。でも、廣瀬さんはすごく気さくに話を聞いてくれて、アーティストと直接話せるということにも驚きました。なにしろ、私はルネサンスの美術を勉強していたから、レオナルド・ダ・ヴィンチなんて……。


原田:イタコを呼ばないと会えない(笑)。


高橋:モナ・リザって、実際のところ誰なんですか?」なんて聞けないでしょう(笑)。


原田:そうですよ。作品について知りたいことがあったとき、本人の口から聞ける可能性があるというのは、同時代だからこそです。


高橋:目の前にある作品をつくった人が自分と同じ時代を生きていて、話せるということに気づいたとき、興奮した覚えがありますね。


原田:現代アーティストには、会えるチャンスがある。直接でなくても、トークイベントやテレビで姿を見ることができる人もいるし、情報が更新されるから、ライブ感があります。私は、好きなアーティストや好きな作品に出会ったとき、次はどんな作品を発表するんだろうかと考えるとわくわくしますよ。


 現代アートにおけるアーティストというのは、「会いに行けるアイドル」みたいなものなのかもしれませんね。
 「同時代」だからこそ、直接本人の話を聞くこともできるのです。
 これはまさに「現代アートならではの面白さ」と言えるのではないでしょうか。


 この本の「第3のドア」では、お二人が「いま知っておきたいアーティスト」を紹介しているのですが、僕にとっては、この章がいちばん興味深いものでした。
 アンディ・ウォーホルから、Chim↑Pomまで。
 僕もこうして現代アート好きっぽいことを書いていますが、正直、作品も作家もほとんど知らないので、こんなことをやっている人がいるんだ!という発見がたくさんありました。


 宮島達男さんの項より。

高橋:水戸芸術館での個展に際して2008年に実施したワークショップでは、参加者の人体にカウンターをボディ・ペイントしました。数字って、身体のもつ生々しさとは対極にあるものですよね。でも、宮島さんって初期に路上パフォーマンスをやっているから、身体的なことにも関心があるんだと再認識しました。
 あと、洗面器に液体を入れておいて、「1、2、3……」と「9」までカウントしたら、「0」のときにがばっとその液体に顔をつけるというビデオ作品がありましたね。
 

原田:それは、私も見たことがある。


高橋:「カウンター・ヴォイス」というシリーズになっていて、ワインや牛乳など、その土地にゆかりのある液体を入れていることが多いんです。福岡でやったとき、洗面器に何を入れたと思います?


原田:なんだろう? どぶろく


高橋:なんと豚骨スープ。参加者の顔じゅうがベタベタになってた。


 濃厚な豚骨スープに顔をつけたら、ニオイやベタつきで、とんでもないことになりそうです……なんておそろしいアート!

 これを読んで、僕は「世界のナベアツ」さんの「3の倍数でアホになります」というネタを思い出したのですが、ナベアツさんは2007年の後半から、この名義で活動されていたそうですから、もしかしたら宮島さんのビデオをどこかで見たか、宮島さんのほうが影響されたか、というのがあるかもしれませんね。


 おすすめの美術館の章では、東京都現代美術館が採りあげられているのですが、高橋さんは、この美術館の学芸員の薮前知子さんに聞いた話を紹介しています。

 現代アートというと、絵画や彫刻だけでなく、デジタル映像や電子機器を素材とした作品も少なくない。こうしたニューメディアでは、次々と新しい機器が開発されていく。たとえば映像メディアだけを考えてみても、フィルムからビデオテープ、そしてDVDやブルーレイ、ハードディスクと、この数十年の間にめまぐるしく変化しており、新しいメディアが発売されると、古いメディアを再生するための装置はどんどん生産中止になっていき、同時に故障したときの交換部品もなくなってしまうのだ。
 こうした状況に対して、最近は「作品のリタイア」という考え方が出てきているのだという。つまり、作品を起動したり、再生するための機材が故障し、どうにも制作された当時の状態と同じように展示ができなくなったときに、その作品は役割を果たしたと見なし、展示という「現役」から引退していただく、という考えだ。作品自体は機械でできているのに、なんとも、切ない話ではないか! もっとも、薮前さんはこの「作品の引退」という考え方にはやや疑問があるらしく、「現役と同じように動かなくなったときまで見越して、どう作品を後世に伝えるか、アーティストと十分に話し合って収蔵するべきではないか」と、作品を後世にちゃんと伝えようとする学芸員の矜持が感じられる発言をしていた。


 紙に書かれた絵や彫刻は、時間の経過による劣化はあるにせよ、基本的には、そのままの形で残るのです。
 でも、現代アートは、電子機器が壊れてしまったり、再生装置が失われてしまったりすることによって、失われてしまう可能性もあるのです。
 なんだか、デジカメで写真をたくさん撮りまくっているはずなのに、いつのまにか、昔の写真がどこに行ったかわからなくなってしまうような話だよなあ。


現代アートとは何か

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空をゆく巨人 (集英社学芸単行本)

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