琥珀色の戯言

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【読書感想】百貨店・デパート興亡史 ☆☆☆☆

百貨店・デパート興亡史 (イースト新書)

百貨店・デパート興亡史 (イースト新書)

  • 作者:梅咲恵司
  • 発売日: 2020/04/10
  • メディア: 新書


Kindle版もあります。

江戸時代から続く「小売の王様」は、その使命を終えたのか?  
三越伊勢丹、髙島屋、松坂屋、大丸、西武、東急、阪急……
変革はいつ止まったのか、再び革新は起こるのか。

江戸時代の呉服屋に起源を持ち、およそ四〇〇年の歴史を誇る百貨店。近代小売業の先駆、業界のトップとして、日本の消費文化を創ってきた。しかし、いまや経営は厳しさを増す一方で、その存在が揺らいできている。三越伊勢丹、髙島屋、松坂屋、大丸、西武、東急、阪急……。かつて隆盛を極めた百貨店は、商品販売で、宣伝戦略で、豪華施設で、文化催事で、いかにして日本社会を牽引してきたのか。「モノが売れない」時代となり、デジタル化が進む現代において、何を武器に活路を拓くのか。「週刊東洋経済」副編集長が、その歴史と展望に迫る。


 僕が子どもだった1980年代のはじめは、月に1回か2回、地方都市の中心部にある「デパート」に出かけていたものです。
 洋服や台所用品を選ぶ母親に、買い物が遅い!と不機嫌になる父親、大きな書店やおもちゃ売り場、屋上のゲームセンターを楽しみにしている子どもたち。
 そんな僕の記憶にあるデパートも、今や、ほとんど残っていません。
 いま、デパート(百貨店)に行くのは、何か贈り物をするときか、「デパ地下」で食料品を選ぶときくらいで、あとは近所にあるスーパーやショッピングモールで買い物をしています。

 この本のタイトルをみて、以前放送されていたテレビ番組『カノッサの屈辱』のように、百貨店業界での有名店のそれぞれの戦略や栄枯盛衰をまとめたものだと思ったんですよ。
 読んでみると、伊勢丹や西武のような個々の店の話ではなくて、「百貨店という業態が生まれて大勢のお客さんを集めるようになり、その後、スーパーマーケットや郊外型ショッピングモール、Amazonに押され、衰退していくまで」が書かれていました。

「小売の王様」として、かつて隆盛を極めた百貨店が、ここ数年は「衰退している」と言われることが多くなった。
 日本百貨店協会の推計によると、2018年の全国百貨店売上高は、前年比0.8%減の5兆8870億円だった。これはピークだった1991年の9兆7131億円と比べると、約6割の水準だ。全国の百貨店の数も、1999年には311店舗あったが、現在は202店舗に減っている(2019年5月時点)。
 販売不振が深刻になった2000年以降、百貨店業界では、経営難の会社を軸に企業合併が相次ぎ、業界大再編が起こった。
 そごうと西武百貨店は、2001年に包括的業務提携を締結、その後持ち株会社を設立し、現在はセブン&アイ・ホールディングス傘下にある。2007年には関西の雄である阪急百貨店と阪神百貨店が統合し、エイチ・ツー・オー・リテイリングが発足。同じく2007年に、老舗百貨店の大丸と松坂屋が結びつき、J・フロント・リテイリングが生まれた。そして、2008年に三越伊勢丹が統合し、三越伊勢丹ホールディングスが誕生している。
 業界再編が起きても、百貨店の販売が回復することはなかった。少子高齢化や地方景気の冷え込みを反映し、主力の衣類・アパレル商品が売れなくなった。パイが小さくなる中で、ショッピングモールなど他業態との競争が激しくなっていった。さらに、ここ数年はEC(ネット通販)が台頭。多くの消費者はネットで詳しい商品情報を集め、比較購買するようになった。百貨店はこういった環境の変化に、うまく対応できない場面が増えていった。
 底堅い富裕消費者や、旺盛な訪日外国人客の需要に支えられている都心部の百貨店は、それほど深刻な状況ではない。しかし、外国人客需要などの恩恵が少ない地方・郊外型百貨店は悲鳴を上げている。2016年には千葉パルコ、2017年には千葉三越、2018年には丸栄、山口井筒屋宇部店といった地方・郊外の有力百貨店が店を閉じていった。そして、2020年1月には1700年創業の大沼が自己破産を申請。320年の歴史に幕を下ろした。


 僕は地方都市で生活しているので、都市のデパートの賑わい、というのが想像できないのです。僕が知っている今のデパートは、平日には地下の食料品売り場以外にはほとんどお客さんがおらず、店員さんもヒマそう。この10年でも、何軒か閉店したり、規模を縮小したりしています。
 デパートはけっこう値段が高いし、店員さんが丁寧に接客してくれるのが、かえって面倒くさいところもあるんですよね。

 日本でデパートが誕生したのは、1904年に三越呉服店が「デパートメントストア宣言」をしたときとされているそうです。
 ちなみに、世界で最初の百貨店は、フランス・パリの「ル・ボン・マルシェ」で、1852年に「定価明示」「現金販売」「返品可」「入店自由」という販売方式を採用したときとされています。
 これらは、今の僕の感覚からすれば、目新しくもなんともないのですが、当時は画期的なことだったのです。
 現在では、少し敷居が高めの「百貨店」なのですが、誕生した際には、「入りやすく、買い物しやすい店」と見なされていました。

 最後に、百貨店の特徴として、「対面販売」をあげておきたい。これは、他の小売業態ではあまり見られない、百貨店の大きな特徴の一つとなっている。
 後に誕生するスーパーやコンビニエンスストア、ショッピングセンター、そしてカテゴリーキラーと呼ばれる専門量販店は、顧客が買い物かごを持ち、自分で商品をレジに持っていく「セルフサービス」を採用するケースがほとんどだ。これに対して、百貨店では店員が顧客と対面し、商品の説明をしたり、買い物の相談に乗ったりしながら販売をする。
 例えば、百貨店とGMS(総合スーパー)を比べると、高級な商品を揃えるか、比較的安い価格の商品展開に重点を置くかといった取扱商品の違いだけでなく、接客をしながらの対面販売を主とするか、顧客が商品をレジに持っていくセルフ販売を主とするかが、両者の大きな違いになっている。


 良くも悪くも、この「対面販売」というのが百貨店の特徴であり、僕にとっては「面倒くさい」ところでもあるのですが、商品知識があって、自分の好みを知っている人が対応してくれることがメリットだという人も多いのです。
 百貨店側も、「お得意様のデータ」を持っていることを活かして、これからの生き残りをはかろうとしています。

 百貨店の地下の食料品街、いわゆる「デパ地下」が生まれたのは、百貨店が、都心の地下鉄の駅の建設に一部出資することによって、駅から自分の店に直結する動線をつくっていったのがきっかけでした。

 日本で初めて、デパ地下のスタイルを築いたのは松坂屋名古屋店、と言われている。1936年、地価フロアを食品売り場に変え、「東西名物街」としてオープンした。京都の和菓子、東京の洋菓子やつくだ煮、大阪の昆布など、東西の名店を開設して、顧客を呼び込んだ。
 松坂屋名古屋店は現在でも、地下一階、地下二階で「ごちそうパラダイス」と称して飲食店や食料品売り場を展開しており、多くの来店客で賑わっている。名古屋周辺で本格的な地下街が姿を現す前に、松坂屋名古屋店の地下フロアでは、食料品を顧客誘致の「呼び水」にしていたのだ。
 名古屋では1957年に、本格的な地下街「サンロード」が誕生した。同時期に名古屋地下街が開設され、それに合わせて名古屋駅地下街と栄地下街が整備されていった。現在も名古屋駅前と栄を中心とする地下街は、豪華なモーニングを出すことで有名な喫茶店や、きしめん、ひつまぶしといった「名古屋めし」の飲食店などが集まって、地下街自体が街の代名詞のような存在になっている。
 その後、百貨店の地下を食料品や各種食材を売るフロアにすることが、日本全国の百貨店で主流になっていく。「百貨店の地下は食料品フロア」という現在のスタイルが確立されていったのだ。
 なお、デパ地下という言葉が一般的に使われるようになったのは、ごくごく最近のようだ。渋谷駅に直結する東急百貨店東横店が、2000年に「東急フードショー」を開催した際に独自商品を並べ、またいくつかの街の人気店を誘致し、イートインコーナーなども設けた。これがマスメディアによって「デパ地下」との名称で報道され、その後のブームの火付け役になったとされる。


 「デパートの地下の食料品街」はけっこう前から存在していたのですが、「デパ地下」という呼ばれ方をするようになったのは、ほぼ、21世紀に入ってから、ということみたいです。
 著者は、地方の百貨店では、専門店は閑散としていても、「デパ地下」は賑わっていることが多いので、これをうまく利用できないものか、とも述べています。
 いっそのこと、「地下だけ」にしてしまうわけにはいかないのだろうか。

 僕自身、子どもの頃に家族でデパートに「お出かけ」していた記憶がずっと残っているので、百貨店がなくなっていくのは寂しいのです。自分ではあまり利用しないので、虫がいい話ではありますが。

 Amazonのようなネット通販が買い物の主流になっていくと、逆に、対面販売を必要とする人が浮き彫りにされていくのではないか、とも思うのです。
 でも、人口と富裕層が多い都会じゃないと、百貨店の存続は難しいだろうなあ。
 

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