琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】若冲のひみつ 奇想の絵師はなぜ海外で人気があるのか ☆☆☆


Kindle版もあります。

著者は、クリスティーズに入社後、長らくオークションを担当したのち、6年前からプライベートセール(売り手と買い手が市場を介さず直接、話を進める)専門となった。
これは一般的なオークションとは違い、その分野の査定ができるスペシャリストであるとともに、自分で買い手を探すため、人脈を持っていないとできない仕事である。
世界中のコレクターや美術館とつながりを持ち、超一級品にじかに触れ、作品が収まる歴史的な瞬間を見守ってきた。
なかでも奇想の作品を中心に収集してきたプライス・コレクションから、若冲作品190点が2019年に日本へ里帰りを果たした。
本書では、厳選した若冲作品の15点をカラー掲載、納入に至るまでの知られざるエピソードも振り返る。


 僕が伊藤若冲を美術展ではじめて見たときの印象は、「こんなに緻密なマンガみたいな絵を描く人が、日本にもいたのか」というものだったのです。
 当時の伊藤若冲は今ほど注目されておらず、僕は掘り出し物を見つけたような気分になったんですよね。

 著者は、長年クリスティーズで日本美術に携わってきた人です。

「奇想」の絵師の代表とも言えるのが伊藤若冲(1716~1800年)です。ここ数年、日本での若冲の人気は高まる一方ですが、日本美術史の研究の本流は長らく、絵画では狩野派や土佐派あるいは中世の絵巻や屏風絵であり、彫刻では奈良・平安彫刻や運慶、快慶に代表される、アカデミックな流派やアーティストでした。
 昔はアカデミズムの世界で、若冲や曽我蕭白のような奇想の絵師が研究対象になることはほとんどなく、当然きちんとした評価もされてきませんでした。
 そこに光を当てたのが、美術史家で東京大学名誉教授の辻惟雄先生です。辻先生は1970年に『奇想の系譜』という本を書かれ、伊藤若冲、曽我蕭白岩佐又兵衛らの魅力を紹介しました。そしてこの本が、一つのエポックメイキングとなったのです。
『奇想の系譜』が出版されるまで、一般の人はもちろん、多くの専門家にとっても、奇想の絵師たちは「これって誰?」と言われるような存在でした。どこか気持ちの悪い、毒々しい、猥雑な絵を描く絵師という認識はあっても、学術的な研究には値しないと考えられていたのでしょう。それが、日本美術史アカデミズムの中心にいる辻先生が注目したことで、奇想の絵師たちは一気に見直されることになりました。
 さて、ボストン美術館が曽我蕭白の大きな屏風を所蔵しているように、海外にも奇想の作品はたくさんあります。かつての日本では、奇想の作品は狩野派などの正統派の日本画に比べて人気がなく、値段も安かったので、海外の美術館や日本美術コレクターが日本から持ち帰りやすかったのです。また世界有数の日本美術コレクターである、エツコ&ジョー・プライス夫妻が、若冲を中心とした奇想の絵画を評価し、積極的に作品を収集していたことは、逆に日本の人たちが興味を持つ大きなきっかけになりました。


 もう20年近く前の話になりますが、その曽我蕭白の屏風をボストン美術館で観た記憶があるのです。当時は、曽我蕭白って誰?って感じだったのですが。
 ボストン美術館は日本美術の収集で有名なのですが、実際に訪れたときには、日本美術のコーナーは閑散としていて、「こんなに人気がないのなら、日本に返してくればいいのに」と思っていました。ボストン美術館でも、人が集まっていたのは印象派のコーナーだったのです。
 いまはどうなっているのだろうなあ。

 近年、日本で行われた伊藤若冲展の大混雑を目の当たりにすると、アートに対する人々の評価も時代や流行で変わるものなのだと思い知らされます。

 著者の解説を読むと、僕が若冲の絵をはじめて見たときには、再評価がすでに進みつつあった、ということのようです。

 アートの評価には「国力」も反映されるのです。

 世界のアートマーケットにおいて、日本美術の占める割合はごく小さなものです。クリスティーズの社内を見ても、たとえば、印象派絵画の部門は、シュールレアリズム、紙作品、価値の高い作品など、いくつかのグループに分かれていて、何十人もの専門家がいる大きな組織ですが、日本美術のスペシャリストは日本には私一人、ニューヨークにもう一人いるだけです。
 日本美術のマーケットが成長しない最大の理由は、作品の絶対数が少ないことで、ある程度の作品数がないと世界的なマーケットは形成されません、それに加えて、日本の景気低迷も原因の一つになっています。日本の古美術は、今でも国内でさえ活発に売り買いされているとは思えません。盛んに売買されている中国美術とはまったく違う状況なのです。
 今、海外では日本美術より中国美術のほうが人気を集めています。「侘び・寂び」といった微妙な感覚が必要とされる日本美術よりも分かりやすく、魅力が伝わりやすいのでしょう。中国の古い焼き物や絵画などは高価になりすぎて、中国人コレクター以外は買えなくなっているほどです。


 僕にとっては、中国美術って、焼き物、とか……?という感じなのですが(あとは故宮博物院の「翠玉白菜」と「肉形石」くらいしか思いつかない)、中国の経済力上昇にともなって、自国の美術品を集める中国人コレクターも増えているのです。日本人もバブル時代は、海外の有名画家の作品をものすごい値段で買っていましたよね。

 伊藤若冲に関しては、本が書けるほどの「伝記」はなく、この本は著者と海外の日本美術コレクターの交流や作品紹介がメインになっています。
 いちばんの見どころは、若冲の作品を著者の主観で番付しているところで、上位の作品はカラーで紹介されているのです。東(国内)の横綱は『動植綵絵』、西(海外)の横綱は『月梅図』。東の「張出横綱」の『釈迦十六羅漢図屏風』は、現在行方不明なのだそうです。
 『動植綵絵』は、図鑑に載っている絵みたいなのですが、それでいて、ただ「写実的」なだけでもないのです。
 東の関脇『象と鯨図屏風』の、モノクロの象と鯨がお互いを呼び合っているような不思議な世界も印象的で、本物を観てみたくなりました。

 伊藤若冲の作品に興味はあるけれど、いきなり画集を買うほどではない、という人の「入門編」として、ちょうどいい新書だと思います。
 

若冲 (文春文庫)

若冲 (文春文庫)

アクセスカウンター