琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

【読書感想】ヘンな日本美術史 ☆☆☆☆


ヘンな日本美術史

ヘンな日本美術史

内容(「BOOK」データベースより)
自分が描いたということにこだわらなかった「鳥獣戯画」の作者たち。人も文字もデザイン化された白描画の快楽。「伝源頼朝像」を見た時のがっかり感の理由。終生「こけつまろびつ」の破綻ぶりで疾走した雪舟のすごさ。グーグルマップに負けない「洛中洛外図」の空間性。「彦根屏風」など、デッサンなんかクソくらえと云わんばかりのヘンな絵の数々。そして月岡芳年や川村清雄ら、西洋的写実を知ってしまった時代の日本人絵師たちの苦悩と試行錯誤…。絵描きの視点だからこそ見えてきた、まったく新しい日本美術史。

書店で見かけて購入。
著者のことも全然知らなかったのですが、先日、安部龍太郎さんの『等伯』を読んだこともあり、僕のなかで「日本の絵」に興味がわいていたこともあり、すごく楽しめました。


洋画の場合、ピカソとかゴッホルノワールといった「画家の名前」で、作品をある程度「序列化」できるのです。
でも、日本画の場合は予備知識がほとんど無いので、美術館に行っても、「どれが気合いを入れて見るべき絵」なのか、サッパリ解らない。
もちろん、「そんな先入観など捨てて、好きな絵を好きなように見れば良い」のかもしれませんが……


この本、画家・山口晃さんが、「数年前にカルチャースクールで『私見 にっぽんの古い絵』として語った事をもとに、内容を追加してまとめたもの」なのだそうです。
専門家、あるいはその予備軍相手の「講義」ではないため、非常に読みやすく、わかりやすく、面白い内容になっています。
正直、これが個々の作品についての「一般的な美術評論家の見解」ではないのだろうとは思いますが、まちがいなく、興味はわいてきますし、「日本画っていうのも楽しいなあ」と思えてくるのです。


著者の「実作者」ならではの絵に対する見方も面白い。

 少し話が逸れますが、絵の上手い下手と云うのは客観的に判じられるものかと言うと、なかなかそうではないと思います。例えば、この「(『洛中洛外図屏風』の)高津本」の下手さと云うのは、素人の方がもっとも嫌う下手さなのです。
 普段絵をあまり描かれない方に接すると、「上手く描けないから」と自分の絵が下手である事を恥じている一方で、少し絵をかじっているくらいの人の「小上手い」絵を絶賛していらっしゃるのを見かけます。それを見るにつけ、私はこの国の美術教育は間違っているのではないかと心底思います。
 実はこうした中途半端な「上手さ」と云うのは、プロから見れば一番どうしようもないもので、それならば下手さを受け容れて好きに描いていた方が余程マシです(もちろん、技術的に途上であることがいけないと申しているのではありません)。


この本のなかでは『鳥獣戯画』や『伝源頼朝像』、雪舟の『天橋立図』『洛中洛外図』などの有名な日本画について、「美術史的な重要性」だけではなく「絵を描く人間にとって、面白いと思うポイント」が語られています。

僕はこれまで、雪舟の絵の凄さって、よくわからなかったのだけれども、この本で紹介されている『慧可断臂図(えかだんぴず)』を見て(ちなみに『慧可断臂図』はこの絵です)、ようやくその魅力が少しわかったような気がしました。

「慧可断臂図」を見た時にまず思ったのは、この絵の「莫迦っぽさ」と云うのはどこから来るのだろうと云う事です。
莫迦っぽさ」などと言うと怒られてしまうかもしれませんが、何やらドデカいものが盛り込まれていそうだけれども、尺を測りかねる所があって、口をあんぐり開けてぽかんとする他ない――そういう対象としての形容です。もちろん、禅僧が達磨大師を描くのですから、大真面目に違いないのでしょうけれども、見れば見るほどやはりヘンです。
 と申しますのも、洞窟の岩肌のうねりと人物の平面的な感じが同じ空間にあると云うのは、普通に考えればおかしい訳で、これができてしまう絵画意識は凄いものです。
 全く異なる解像度の組合せ、喩えれば、背景はハイビジョン放送の電波で送りながら、人物の特徴は手旗信号で伝えようとしているようなものです。これは、雪舟独自のものと云う訳ではなく、漢画の花鳥図などでは割と見られる傾向ですが、それにしても雪舟はそれを極限まで推し進めた感があります。

ぜひ、先ほどのリンク先の『慧可断臂図』を見ていただきたいのですが、この絵のインパクトを「莫迦っぽさ」と表現した著者の言葉のセンスには脱帽します。
ああ、そんなふうに言ってしまっても良いんだ!っていう快哉もこめて。
もちろん、この場合の「莫迦」は、「バカにしている」わけではないのですけど。


この本、紹介されている絵のカラー写真が、かなり豊富に収録されているのも魅力です。
手元に置いておきたくなります。


また、著者の「寄り道」が、けっこう面白いんですよね。
「不遇の芸術家が必要以上に持ち上げられる風潮」に対しては、こんなふうに述べています。

 再評価と言うと、その絵には当時は時流に隠れて見えなかった普遍性があったからだという話になりがちですが、そこには、近代以降の悪しき芸術神話が潜んでいるように感じます。基本的に、残っている作品と云うのは、生きている時からそれなりの評価や知名度があったものです。その時代の誰かが残そうと思わないと、あんな紙っぺらや布っぺらはそうそう残るものではありません。
 極貧の中で制作したモディリアーニだとか、生前は一枚しか絵が売れなかったゴッホだとか云う話は、単に彼らの作品が朽ち果てる前に発見されただけの事ですし、売れないながら、やはり残そうと思った人がいたのです。発見が可能だったのは、近代以降、美術が学問として「研究」されるようになったと云うのが大きいように思います。ゴッホなどはあと十年生きていたら、当代の売れっ子になっていたかもしれません。
 基本的に絵描きというものは、売れて、あるいは知名度があって当たり前なのです。画僧やお金持ちでもない限り、描き続けることは困難です。そして売れる物と云うのは、必然的にその時代の空気を非常に反映しているものではないでしょうか。一方、その時代と云っても、そこは人の世です。その時代をきちんと掘り下げて、人の世の基底部に届いていれば、現在性と普遍性は両立するのです。
 けれども、日本は特にそれが顕著なのかもしれませんが、こうした不遇の芸術家を必要以上に持ち上げてしまう傾向があります。ルネッサンス当時の絵描きは職人や教会に雇われた画僧だったのですから、作品が残っている人なんて云うのは、生きていた時に売れていない人はほとんどいない訳です。


 僕は自分で絵を描くことがありませんし、そういうセンスもないので、「いまの画家からみた昔の日本画の技術的な面白さ」というのを自分で発見するのは至難です。
 この本は、あくまでも「著者からみた日本画の世界」であり、教科書的なものとは異なるのかもしれませんが、読んでいて、すごく楽しかったのです。
もっとこの人の話を聴きたいなあ、と思うし、もっと日本画をこれからは見てみようかな、とも思いました。


美術マニアには向かない本かもしれませんが、「ちょっと日本の美術にも興味があるんだけど、どこから手をつけてみたら良いのか、よくわからない」という人は、ぜひ一度読んでみてください。オススメです。

アクセスカウンター