琥珀色の戯言

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【読書感想】虚空の人 清原和博を巡る旅 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

大宅賞受賞『嫌われた監督』著者による最新作!】

なぜ、清原和博に引き寄せられるのか? その内面 を覗いてみたいという衝動に駆られるのか? 清原が覚醒剤取締法違反の容疑で逮捕された後、初めて接点をもっ た著者は、堕ちた英雄の心に空いた穴=虚空を巡る旅に出た。
前人未到の 13 本塁打を放った甲子園のヒーローの残像、いまだ心に傷跡として残るKKドラフトの悲劇、岸和田での少年時代......。かつてのスーパースターのルーツをたどり、関わった人々の証言を聞くにつれ明らかになったのは、 清原和博という男の“弱さ”と“矛盾”だった。

清原が覚せい剤取締法違反で逮捕されてから、 執行猶予が明けるまでの4年間を追い続けた筆者による傑作ノンフィクション。スポーツ紙記者を辞め、フリーとして執筆活動を始めた鈴木忠平が清原とどう対峙したかを記しつつ、清原という存在に惹きよせられ、 翻弄された人々の視点を通して『虚空の人』が浮き彫りになる。


 著者の鈴木忠平さんは、中日ドラゴンズ落合博満監督を描いた『嫌われた監督』の著者でもあります。
 『嫌われた監督』は、中日というチームや落合博満という選手・監督にとくに思い入れはない僕にとっても、すごく読み応えのある「孤高のリーダーの姿を描いたもの」だったのです。


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 その鈴木さんが、今度は清原和博選手のことを……と思ったのですが、読んでいて、僕は2016年に鈴木さんが『Number』に寄稿した「清原和博・13本のホームラン物語」に感銘を受けていたことを思い出しました。
 まさに「甲子園の神様」だった清原和博と、彼にホームランを打たれてしまった高校生の投手たち。


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 『Number』のこの号は、覚醒剤で逮捕され、甲子園でつくった伝説の数々まで「なかったことのようにされていた」清原選手をあえて特集したことで、かなり話題になりました。
 のちの人生で麻薬で逮捕されたからといって、あの高校時代の、そしてプロ野球選手時代のホームランの記憶は「なかったこと」にされて良いのか?

 著者自身の清原さんとの事件後の関わりが描かれているのですが、以前、清原さんに取材したときのことは本にされており、この本では「清原和博というスターの引力にとらわれ、自分の人生を変えてしまった人々」が主に描かれています。
 
 僕も50年以上生きてきたので、これまで、さまざまな依存によって人生を狂わせてしまった人を少なからずみてきました。
 そういう僕としては、「清原のような有名人、スター選手であれば、麻薬で逮捕されたときのバッシングがとてつもなく大きい一方で、そんな状況にあっても支えてくれる、心配してくれる人がこんなにいるものなんだな」と考え込まずにはいられなかったのです。
 

「人生に満ち足りていたはずの清原さんが、なぜ覚醒剤を使う必要があったのでしょうか……」
 清原は苦しそうに答えた。
「野球をやっていれば、たった1本のホームランですべてを帳消しにできたんですけど、野球が終わってからはぽっかりと心に穴が空いたようになって……。もう自分が自分ではないような気がして、だんだんと夜の街に飲みに出るようになったんです」
 老犬がぜえぜえと荒い息を吐き出すように、ひと言ひと言をしぼり出していた。
「そのとき、薬物に出逢ってしまった。離婚してひとりになってからは、ますます薬物に頼るようになっていきました……」
 清原は一つ一つの質問に答えるあいだ、ちらっと怯えたように私たちを見やるのだが、すぐに目を逸らした。


 「英雄」が野球と家族を失ってしまったことによって生きがいをなくし、薬物に絡めとられてしまったのか……
 と素直に受けとめられれば、わかりやすい「転落劇」なのでしょうけど。


 僕はこれを読みながら、先日亡くなられたコラムニストの小田嶋隆さんが自らのアルコール依存症体験について書いた本を思い出していました。


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 小田嶋さんは、この本のなかで、かなり客観的に自分自身とアルコール依存というものについて書いておられるような気がします。
 客観的に書こうとつとめている、と言うべきか。

 なんでアル中になっちゃうんでしょうね? 私もさんざん訊かれました。みんな理由を欲しがるんですよ。その説明を欲しがる文脈で、アル中になった人たちは、「仕事のストレスが」とか、「離婚したときのなんとかのショックが」とか、いろんなことを言うんです。
 だけど、私の経験からして、そのテのお話は要するに後付けの弁解です。
失踪日記2〜アル中病棟』の吾妻ひでおさんも言ってました。アルコホリックス・アノマニス(AA)の集会や断酒会など、両方に顔出して、いろんな人のケースを聞いたけど、結局さしたる理由はないことがわかった、と。「こういう理由で飲んだ」とこじつけているだけで、実は話は逆。
 まず、飲んじゃった、ということがある。
 飲んじゃったから、失業した、飲み過ぎたから離婚した、飲んだおかげで借金がこれだけできたよ、というふうに話ができていくのです。
 ではなぜ飲んだんですか、という問いには、実は答えがない。
 世の中で、アル中の話がドラマになったり物語として書かれるときに、やっぱり理屈がついていないと気持ちが悪い。止むに止まれぬ理由がないとドラマが成立しにくい。だから、飲むための理由を補った形で物語がつくられるわけです。
 だからあれウソ、だと思う。
 実際の話、嫌なことあって酒飲むとすっかり忘れられるかというと、そんなことはありません。あたりまえの話です。むしろ、飲み過ぎちゃったってことが逆に酒を飲む理由になる。あるいは、お酒がない、入っていないと、正常な思考ができない、シラフだとイライラしてあらゆることが手につかなくなる、そういう発想になっていくから飲む。
 アル中になる前に飲んだ理由は、別に普通の人が飲む理由とそんなに変わりません。なんとなく習慣で飲んでました、仕事が終わって一区切りで飲んでました。その程度のものです。


 依存症になった「きっかけ」はあるとしても、ちゃんとした『理由』なんて無いんですよね、たぶん。
 興味本位で、とか、酔った勢いで1回くらいなら、とやってみたら、やめられなくなってしまった。
 そして、クスリの快感が忘れられなくてやめられない理由を「野球界からの引退」や「離婚」にすり替えて、自分を正当化してしまう。


 僕が清原和博のようなすごい野球選手に生まれついていたら、もっと人生を楽しんで、覚醒剤なんてやらなかったのに!
 ……と言いたいところなのですが、こうしてネットに文章を書いていて、僕でさえ、「こいつは医者で恵まれているのに、満たされないアピールばかりしているふざけたヤツだ」なんて言われることもあるのです。
 ましていわんや、清原をや。

 結局のところ(便利な言い方ではありますが)、人には人の数だけの幸福もあれば不幸もある、ということなのでしょう。
 有名人・大スターである清原さんには、「覚醒剤」に誘い込もうというトラップが他人より数多く仕掛けられていて、それに引っかかってしまった、というだけなのかもしれません。

 このノンフィクション、ドラマチックな場面もないし、清原さんのコンディションは一進一退というか、「堂々巡り」という感じだし、清原さんを支えていこうとする人たちが、ひたすら自分をすり減らしていく物語なんですよ。
 「薬物依存症患者とその周囲の人々のリアル」が描かれているとも思うし、こんなスッキリしない、昔懐かしい「やおい(ヤマなし、オチなし、意味なし)」みたいなノンフィクションが紙だと税込1760円で売られているのはなんだかなあ……とも感じました。
 
 書いていてまとまらなくなってしまったブログ記事を「せっかくここまで書いたのだから、お蔵入りにするのはもったいない」という理由で、強引にオチや結論めいたものをつけて、公開してしまうことが、僕にはあります。
 取材の緻密さ、文章の力、著者の語りの上手さは桁違いですが、この本には、そういう「宙ぶらりんな印象」がありました。

 この中途半端さこそが「ノンフィクション」なのだろうか。

 傍からみると、「巨人に指名されなくても、西武であれだけの活躍をして、念願の巨人にもFAで移籍できたし、引退しても大スターとして芸能界での仕事もたくさんしていたのだから、あのドラフトのことも忘れたフリをして生きればよかったのに……」なんですけどね。
 
 「だんじりファイター」なんて呼ばれていた清原選手の「ルーツ」に迫ろうと、著者が岸和田の男たちのなかに入っていって、その雰囲気を感じようとしたときの、岸和田の人々の「清原観」は、転校や転勤が多い家で育った僕には、なんだかとても読んでいてせつなくなるものでした。清原は、自分がルーツだと思い込んでいたものからも「異物」だとみなされていたのです。それこそ、どこにでもある、「成功した人への地元民の憧れとやっかみ」みたいなものなのかもしれないけれど。


 KKコンビとして並び称された桑田真澄投手が、早稲田大学への進学を表明しながら、ドラフトで巨人に指名されてプロ入りするまでの「近くにいた人からみた変化」についても書かれていました。

 桑田投手は、大学野球部のセレクションを受ける合間に、東京六大学の秋季リーグ、早稲田対東大の試合をチームメイトと観戦したそうです(引用部の滝口さんは桑田投手と一緒に上京していたチームメイト)。

 滝口たちはバックネット裏のスタンド上部に陣取った。明るい緑の人工芝グラウンドに早稲田の選手たちが現れた。白地のユニホームにWASEDAという臙脂の刺繍を見ると自然と心が躍った。
 桑田はなおさらだろう。
 滝口は傍に坐っているエースの心境を思った。桑田の母方の祖父は同大学の出身であり、母親からは「あなたにも早稲田の卒業生になってほしい」と幼いころから期待をかけられてきたのだという。
 ところがその日、桑田の目の前で早稲田は敗れた。東大を相手に1点も奪うことができなかった。白地のユニホームも、緑と青に彩られた球場も、どこか色褪せて見えた。桑田は秋風に吹かれながらグラウンドをずっと見つめていた。
 滝口は俯く早稲田ナインとPL学園のエースとの間にギャップを感じていた。桑田は甲子園で並ぶ者のいない投手だった。大学、社会人は高校よりもレベルが上がるとはいえ、もはやアマチュアで投げるような投手ではないような気がしていた。その違和感が早稲田の惨敗を見たあとではより鮮明になった。
 後日、寮に戻ってから桑田がふと呟いた
「あれがおれの思っていた早稲田なんかな……」
 それまでとは明らかにトーンが違っていた。
 あの神宮での試合の後、桑田と滝口ら数人は球場に隣接するパーラーで喉を潤すことにした。沈んだ空気のまま、言葉少なにテーブルについていると、そこへ早稲田スポーツ新聞会の学生たちがやってきた。スタンドで桑田の姿を見つけて、追いかけてきたのだという。
 腕章をつけた何人かのうち一人が言った。
「桑田くん、本当に早稲田に入りたいの?」
 桑田は少し戸惑ったような表情を浮かべると、返答の代わりに苦笑いを返した。すると、腕章の学生は本気とも冗談ともつかないような調子でこう続けた。
「悪いことは言わないから、やめておいた方がいいんじゃない?」
 滝口の記憶では桑田が早稲田への思いを口にしなくなったのはそれからだった。あの日の一件が桑田を考え込ませているのかもしれない。秋が深まるにつれ、滝口はそう考えるようになっていった。


 そんな、自分が観戦したひとつの試合の結果や偶然会った早稲田の在校生の言葉で、長年の憧れだった進学先への思いが薄れる、というのは、なんだか理不尽な気がするんですよ。結局、桑田投手は早稲田に行かず、巨人に入団した、という結果から「そういえばあのときのことが……」と滝口さんが思ってしまっただけの可能性もあります。
 ただ、僕の人生を振り返ってみても、大事な人の思いよりも、どうでもいいような人の何気ない一言やふと気付いた印象、みたいなものから、大きな影響を受けたことって、あるんですよね。本当は「自分自身がもともとそうしたかっただけ」なのかもしれませんが。

 スッキリしないことが、スッキリしないまま書かれて、置き去りにされてしまうようなノンフィクションでした。
 実際にこの渦に飲み込まれている人たちは、「なんかモヤモヤするなあ」では済まないのでしょうけど。


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