琥珀色の戯言

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【読書感想】漂流 日本左翼史 理想なき左派の混迷 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

左派の存在意義を問う!

労働運動の攻防、社会党の衰退、国鉄解体の衝撃。
左翼はもう存在感を取り戻せないのか?
累計13万部突破の「日本左翼史」第3弾!

「いまになって冷静に考えれば、日本国内でいかに学生たちが機動隊と衝突したところで、選挙になれば自民党が圧勝していました。『革命の条件』など存在しなかったのです。
まして『世界革命』など、誰がどこで何をするのか。綿密な計画などない刹那的なものでした。こうして『新左翼』は消滅します。
では、既成の左翼はどうなったのか。それを論じたのが本書です。」(池上彰)

「未来を切り開くためには、過去から学ばなくてはならない。日本左翼の歴史から、善きものを活かし、悪しきものを退けることの重要性が今後高まると私は考える。(中略)
社会的正義を実現するためには、人間の理性には限界があることを自覚し、超越的な価値観を持つ必要があると私は考えている。日本左翼史というネガを示すことで、私は超越的な価値というポジを示したかったのである。」(佐藤優)


 池上彰さんと佐藤優さんが対談形式で振り返っていく新書「日本左翼史」シリーズ3冊目、そして最終巻です。

fujipon.hatenadiary.com
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 2巻目が1972年までですから、これまでのペースを考えると、現在(2022年)に到達するまで、あと2冊くらいかな、と予想していたのですが、この3巻目は一気に50年間を振りかえっています。
 お二人のスケジュールの都合か、売れなかったから『週刊少年ジャンプ』の早期打ち切りマンガのように駆け足で終わらせたのかと思ったのですが、読んでみると、この半世紀間、とくに21世紀に入ってからは、日本の左翼については、あまり語るべきところがない、ということみたいです。
 言われてみれば、確かにそうか。
 逆に、「なぜ語るべきこともない状態になってしまったのか」ですよね。
 少なくとも、僕が子供だった1980年代くらいまでは、選挙では自民党過半数社会党が3分の1くらいの議席をいつも占めていて、子供心に「いつもこんな感じで世の中が変わらず、面白くないなあ」と思っていたのに。

池上彰いずれにしても70年代に労働運動が盛り上がったことは総評の組織力拡大につながり、引いてはこれが社会党の党勢拡大にもつながりました。
 とはいえ今の若い人たちから見ると、当時の労働者たちはなぜ貴重な休日を潰してまでそんな活動をやっていたのか、不思議でしょうがないかもしれませんね。


佐藤優当時の組合って、レクリエーションの重要な部分を担っていましたからね。組合が企画して組合員みんなでハイキングに行ったり、バレーボールをやったりといったサークル活動的な要素もかなりあった。当時はそうした部分を労働組合がうまく組織できていたんですよ。


池上:そうですね。5月1日のメーデーなどになると、代々木公園に何万人も集まるわけですけど、これだって一種のハイキング気分ですよね。組合員たちが家族連れでやってきて「佐藤内閣を打倒するぞ!」などとシュプレヒコールを上げながら公道を練り歩く。行進が終われば親睦会もある。


佐藤:だから70年代までは労働運動といえば、案外「明るくて楽しいもの」というイメージだったんですよね。そうであればこそあの時代、労働運動はあれほどまでに盛り上がった。


池上:そういうイメージは間違いなくあったと思います。


佐藤:それに当時は春闘をすれば確実に賃金は上がり、年々右肩上がりになってい増田から、労働組合の意義や恩恵を多くの人が皮膚感覚で感じることもできました。反面、日本の場合は組合があるのは基本的に大企業ですので、組合が頑張れば頑張るほどに中小企業との賃金格差が広がっていった面もありましたが。


 娯楽が少なく、さまざまな地方から出てきて、何かの集団に所属したい人たちが多かった時代、そして、日本の経済力が右肩上がりだった時代だったからこそ、労働運動は盛り上がったのではないか、とお二人は述べています。
 そして、1970年代後半から労働運動が少しずつ衰退していった理由としては、日本社会が本格的な大量消費時代に入り、娯楽も多様化し、少人数で楽しめるものが増えてきたことが挙げられています。
 労働組合のレクリエーションが時代遅れでめんどくさいと感じたり、「群れる」ことを嫌う人も増えてきたのです。


 池上さんと佐藤さんは、中曾根政権下での行政改革国鉄電電公社、専売公社の三つの公社、とくに国鉄の民営化の影響の大きさに言及しています。

池上彰国鉄を民営化すれば、1985年時点で18万人以上の組合員を抱える日本最大の労働組合であった国労の力を削ぐことができ、総評は弱体化し社会党も弱体化する。日本の左翼勢力は総崩れになる。こういうと若い読者は私たちが急に陰謀論を話し始めたと面食らうかもしれませんが、中曾根が最初からそれを狙っていたことは、後年彼自身が様々なインタビューなどで証言しています。


佐藤:中曾根が目論んでいたのは、大きな意味では日本を社会主義革命から遠ざけるということですよね。そして、今から振り返れば実際に国労を切り崩した結果、社会党と日本の左翼は崩壊過程を辿っていった。あくまで右派の視点から見ればですが、要である国労から切り崩しを図った中曾根には先見の明と長期的な視点があった、ということになります。
そもそも中曾根という人は右派的な意味での改革者であり、ある意味では「右翼革命」をやろうとしていた人でもあるわけですよね。そういう中曾根であればこそ、革命の怖さというものを自分自身よくわかっていたのではないかと思います。


 1987年の国鉄の分割民営化の際は、リストラを含む経営効率化と顧客へのサービスの向上が謳われていました。
 僕もニュースで、「国鉄最後の列車が発車します」という生中継を観て、なんだかしんみりした記憶はあるのです。
 その翌日も鉄道は普通に走っていて、昨日のあれは一体なんだったんだろう?と拍子抜けもしましたが。
 JRになって、国鉄時代よりはサービスは改善されたと思います。少なくとも駅員さんたちの雰囲気は明るくなりました。
 その一方で、多くの人が民営化に伴ってリストラされ、あるいは今までやったことがない部署に配属されてもいったのです。
 「国労にいて会社に逆らい続けていたら、リストラされる」ということで、生活を考えて組合活動を辞めてしまう人も大勢いました。

 あの頃、高校生だった僕は「会社名が変わるだけでやることは変わらないのに大げさな」と思っていたのですが、国鉄民営化には、日本の左翼、労働組合の「要」を切り崩す、という目的があり、結果的に、中曾根元総理の思惑通りになった、とも言えます。

池上:そして国鉄民営化後の1988年から1991年にかけて、ついにソビエト連邦の崩壊が始まります。
 

佐藤:1989年のベルリンの壁崩壊を経て1991年にソ連が崩壊したことにより、社会主義協会社会党のなかのソ連びいきの一派)も社会党も結局バックボーンとなるものを失ってしまったわけであり、バックボーンをもたなくなった党がその後に低迷したのは、ある意味では必然でした。


池上:社会党に関して言えばソ連は間違いなくバックボーンでしたので、ソ連が消滅したのを境に衰退していったのは理にかなっているのですけど、一方で不思議なのは、日本の左翼にはソ連に対して批判的だった勢力が決して少なくなかったにもかかわらず、彼らまでがソ連が崩壊した途端になんとなく力を失っていったことです。
 大学でも、ソ連崩壊前にはマルクス経済学が全国の相当に多くの大学の経済学部で教えられていたのが、少なくとも表面上は消えてしまいました。


 個人主義の広がりという社会の変化、国鉄民営化などによる労働組合の弱体化、そして、「社会主義国家」の崩壊。
 こうしてみると、1980年代後半から、左翼勢力の衰退が始まっていったのは、歴史の必然(と資本主義陣営の作戦勝ち)だったように思われます。

 その後の社会党は、勢力を衰退させながら、政界の混乱に乗じて、首相を輩出することもあったのです。

池上:冷戦終結後の1993年7月に行われた衆議院選挙では、日本新党新党さきがけ新生党など、もともと自民党の議員だった政治家たちが立ち上げた保守新党がブームとなった一方、社会党は埋没し議席を半減させてしまいました。
 選挙後に発足した非自民連立政権には社会党野党第一党として参加したものの、新生党小沢一郎幹事長との軋轢から8ヶ月後に連立を離脱。そして与党復帰を待ち望んでいた自民党の呼びかけに応じて、新党さきがけも含めた三党連立政権を1994年6月に組むことになり、当時の委員長だった村山富市さんが総理大臣に就任しました。片山哲内閣以来47年ぶりとなる社会党出身の首相でした。
 しかし国会の所信表明演説では、安保条約を「容認する」とでも言っておけばまだ言い訳が立ったものを「堅持する」と言ってしまったことで社会党は信頼を完全に失ってしまいました。


佐藤:連立相手である自民党の3分の1の議席しか持っていなかった社会党が総理を出した結果、こうなってしまった。政治の世界で、「小が大を呑む」ことはあり得ないという教訓ですよね。


池上:総理を出したからと昔からの方針をあっさり放棄してしまったことに絶望した支持者たちが一斉に離れた結果、社会党はマーケットを失ってしまいました。一方で共産党は、社会党が失ったマーケットの少なくとも一部を引き継ぐことで冷戦後も生き残りました。


佐藤:社会党が持っていたマーケットのある程度を引き継いだのは間違いありません。ただ、共産党が1991年以降も生き残れたのは、もはやマルクス主義と関係ない別の生態系への生まれ変わりを遂げたからでもあります。


 社会党自民党と手を組み、村山富市さんが総理になったときには「政治の世界というのは『なんでもあり』なんだな」と僕も驚き、呆れました。
 これまでずっとやることなすこと反対してきた自民党と、「総理を出せる」ということになれば、手を組むことも厭わないのか、それが国民からどう見えるかわからないのか。
 政治家というのは、まずは当選しなければどうしようもないし、政権与党にならなければ、やりたい政治を実現できないのも事実なのでしょうけど……


 その後の社会党(の後継者たち)の凋落は激しく、最近は国政選挙の度に、衆参の比例区に候補者を立てることができ、政党交付金を受け取れる「政党要件」を維持できるかどうか、ギリギリの選挙戦となっています。むしろ、いま、この世の中で、誰が社民党社会民主党)に投票しているのか、疑問になるくらいです。

 理想を追えば「非現実的」と嘲られ、現実に妥協してみれば「他の政党と何が違うのか」とこれまでの支持者にそっぽを向かれてしまう。

 アメリカでは、あまりにも格差が拡がってしまったために、若者を中心に、マルクスや「社会主義」が見直されてきています。日本でも、マルクス主義を扱った本がけっこう売れてもいるんですよね。

 はたして、「歴史は繰り返す」のか。
 個人的には、社会主義共産主義が間違っているというよりは、それをうまく運用するのが今の人類には難しい、と思っているのですが。


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