- 作者:町山 智浩
- 発売日: 2020/06/09
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
なぜ、人は「怖い映画」に惹かれるのか? 映画評論家・町山智浩が9本の「本当に怖い映画」を徹底解説。
作品に隠された「恐怖の仕組み」を解き明かす!『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』
ゾンビを通して暴かれるアメリカのダークサイド『カリガリ博士』
正気とは何か、狂気とは何か『アメリカン・サイコ』
出口も善悪もない、永遠の荒野『へレディタリー/継承』
運命から逃れることはできるのか『ポゼッション』
世界を滅ぼすほどの悲痛な叫び『テナント/恐怖を借りた男』
隠されたホロコースト『血を吸うカメラ』
メディアに支配される人間『たたり』
幽霊屋敷ホラーの古典は「何も見せずに」怖がらせる『狩人の夜』
人が人を裁くというこ
町山智浩さんの映画本にハズレなし。
……とは言うものの、僕は基本的に「怖い映画」って、ほとんど観ないんですよね。
怖がり、というのもあるし、ジェットコースターに乗らないのと一緒で、なんでわざわざ、お金を払ってつらい目にあわないといけないのか、という気持ちになってしまうのです。
ここで紹介されている9本の映画も、1作も観たことなんだよなあ。
町山さんは『カリガリ博士』は、もう著作権フリーになっていて、1時間もない作品なので、ぜひ観てからこの本を読んで!と書いておられたのですが、その1時間を面倒くさがらないかどうかが、コンテンツを見る力がつくかどうかの境目なのかもしれません。
町山さんの映画の話を読むたびに、名作と呼ばれる作品は、予備知識なしでも楽しめるのと同時に、「その時代背景や文脈を知っていれば、もっと楽しめる」ようになっているのだな、と思うのです。
人種差別の問題や宗教についての常識など、知識はあっても、感覚的には理解しづらいこともありますし。
この本の最初に出てくるのは、ジョージ・A・ロメロ監督の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』です。
ロメロ監督が「ゾンビ映画の巨匠」であることは知っているのですが、この低予算のホラー映画がなぜ「伝説の作品」になったのか。
『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』の何がそんなに素晴らしかったのか?
スティーヴン・キングは『死の舞踏:恐怖についての10章』(筑摩書房)という本で「ヒットするホラーは、その時代に人々が恐れているものをえぐり出している」と書いていますが、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』はまさに1968年の人々の恐怖のツボを突いていたんですね。ここではそれを探っていきます。
この本の「解説」を読むと、ロメロ監督が「ゾンビ」として描こうとしていたものがわかるのです。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師は、ボイコットやデモ行進による非暴力的な運動で、1964年に人種隔離を撤廃させ、翌65年には選挙権獲得を達成しました。しかし、それだけでは南北戦争から100年で積もり積もった黒人の鬱憤を晴らすには不充分で、各地で暴動が起こり始めたんです。
1965年8月、ロサンジェルス、黒人が多く住むワッツ地区で、警察官による黒人への不当な逮捕に起こって住民が暴れ、警官が銃撃で応戦し、死者34人、負傷者1000人を超える惨事になりました。
1967年にはデトロイトで暴動が発生します。原因はやはり警官による黒人に対する不当な逮捕と暴力でした。この時も軍隊が出動して大量の死傷者が出ています。
ベトナム戦争と人種暴動の共通点は、普通の人々が突如、ゲリラや暴徒と化して襲いかかってくることですが、そうした殺伐とした世相の中で1968年に封切られたのが『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』なんです。
2020年の5月下旬にも、警察官の不当な扱いによって黒人が死亡した事件をきっかけに、アメリカの各地で暴動が起こっています。
www.huffingtonpost.jp
半世紀たっても、人間の差別意識というのは払拭されていないのです。
また、ベトナム戦争を始めたのはケネディとジョンソンなので、民主党の主流派は戦争を続けようとしました。先述したように、白人ブルーカラーは反共なのでベトナム戦争支持です。しかし都市部の中産階級やインテリ、学生はベトナム戦争に反対し、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』公開直前の1968年7月のシカゴ民主党大会で、ベトナム戦争を継続しようとする主流派と戦争に反対する左派が激突して、流血の事態になりました。
その時、白人ブルーカラーの支持を民主党から奪って大統領選挙に勝ったのが、共和党のリチャード・ニクソンだったのです。
ニクソンは、白人ブルーカラーの人たちを「サイレント・マジョリティ(声なき大衆、声なき多数派)」と呼びました。
つまり文化人やマスコミやデモの学生たちは「ベトナム戦争には反対だ」、「黒人に人権を与えよう」と主張するけれど、実際は彼らの数は多くなくて、はっきりと政治的な主張をしない白人のブルーカラーの方が人口は多い。それをニクソンはサイレント・マジョリティと呼んで「彼らは私を支持してくれる」と言った。で、選挙の結果はまさにその通りだったわけです。つまりそのカウンター・カルチャーと言われた1960年代の社会革命は、実は都市部のインテリと学生たちだけのもので、アメリカの片田舎に住んでいる白人ブルーカラーたちは頑迷でアメリカの変革を受け入れなかった。彼らが1968年の選挙で勝って、そこで変革はストップし、揺り返しが始まります。
『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のゾンビたちは、まさにサイレントマジョリティそのものに見えるんですね。とにかく数が多い。しかもみんな黙っていますから、まさにサイレント・マジョリティですよ。しかも、そのゾンビと戦うのは黒人と白人の若者なんですね。
これを読みながら、これって、アメリカにトランプ大統領が誕生したときの状況とすごく似ているなあ、と思ったのです。
歴史は繰り返す、とは言うけれど。
ただ、アメリカの人口構成はヒスパニック系がどんどん割合を増してきており、半世紀前よりも、「白人ブルーカラーの落日」は、より切実なものになってきています。
近い将来、白人のほうが差別されるアメリカになっている可能性だったあるのです。
「説明してもらって、なるほど、と思う」「文脈がわかる人にはわかる」くらいの描き方をしているからこそ、ホラー映画として長年愛されているのかもしれません。
少なくとも、アメリカでこの映画を公開時に観た人たちと、いまの日本で観る僕とでは、その観かたが同じではないのです。
ロマン・ポランスキー監督の『テナント/恐怖を借りた男』の項では、この作品が、ユダヤ人への差別を描いた映画であることが語られています。
『テナント』には、こんなシーンもあります。トレルコフスキーが公園で泣いている小さい男の子を見て、なぜかホッとします。自分があまりにも惨めで孤独だから、「あの子もぼくと同じだ」と思ったわけです。ところがその子は通りがかった女の人に優しく慰められて泣き止みます。これを見てトレルコフスキーはムカムカして、その子の顔をバーン! とひっぱたきます。つまり「どうしてお前だけは優しくしてもらえるんだ!」と。
「どうかしている」と思うでしょうけど、差別は差別された人をおかしくしてしまうものなんですよ。差別された人は、怒りでどうかしちゃうんです。この映画の中で何度も繰り返されるのは「どうせあんたがやったんでしょ?」「あんたが疑われるのよ」「あんたがやったんだ」っていうことですよね。何もしてないのにね。
そういうことは僕も学校でよくありましたよ。高校を卒業して両親が離婚するまで、ずっと父方の韓国名だったので、学校の教師からも露骨に差別されました。
町山さんの映画の話のなかに、独白のように紛れ込んでいる町山さん自身の体験談を読むのが、僕はけっこう好きなのです。
映画っていうのは、人の「弱さ」に寄り添ってくれることがある。それは、作り手の監督も、さまざまな「不全感」みたいなものに苦しんでいる人が多いからなのかもしれません。
映画が怖いのは人間が怖いからで、どんな酷い登場人物に対しても「何かひとつ人生で選択を間違ったら、自分もこうなってしまうかもしれない」と、年を重ねるにつれて、僕も考えずにはいられないのです。