琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

【読書感想】反省記 ビル・ゲイツとともに成功をつかんだ僕が、ビジネスの“地獄"で学んだこと ☆☆☆☆☆


内容(「BOOK」データベースより)
マイクロソフト副社長として「帝国」の礎を築き、創業したアスキーを史上最年少で上場。だけど、マイクロソフトからもアスキーからも追い出され、全てを失った…。その裏側を明かしながら、何がアカンかったのか真剣に考えた。ビル・ゲイツが認めた「伝説の起業家」が明かす成功と失敗の秘密。


 「アスキー」の創業者であり、『I/O』『月刊アスキー』など数々のマイコン雑誌を創刊し、マイクロソフトビル・ゲイツとの親交も深かった西和彦さん。
 NECのPC8001の開発やMSXの規格決定にも大きく関わっており、まさに「日本の家庭用コンピュータの基礎をつくりあげた人」だったのです。


 西さんは、自分が子ども時代から「筋金入りのエンジニア気質」だったことを述懐しています。

 中学生になると、「エンジニア魂」に拍車がかかった。
 あれは中学一年生のときのことだ。僕は今でも大の音楽マニアだが、音楽を聴いて最初に感動したのは、音楽の授業で聴いた「チゴイネルワイゼン」だった。先生がLPレコードに針を落として、最初の音がスピーカーから流れた瞬間から感動しっぱなしだった。どこかもの哀しいメロディも、それを奏でるバイオリンの音色も素晴らしいと思った。まさに、心を奪われる体験だった。
「この曲を、もっと、何度も、じっくり聴きたい」
 そう思った僕は、その日、下校途中に「チゴイネルワイゼン」のレコードを買いに行った。ところが、家に帰ってすぐにレコード・プレイヤーを探したが、どこにもない。「レコードかけるの、あるよね?」と母親に訊くと、「そんなものはありません」と返ってきた。おまけに、「レコードのようなものを買って返ってくるなんて堕落している。そんなことをしてはいけません」と𠮟られた。

 しかし、親にそう言われたからといって、諦めるような僕ではない。
 帽は「チゴイネルワイゼン」のレコードを袋から取り出して、真っ黒な表面を顕微鏡で見てみた。なぜか家には顕微鏡はあった。そこには無数の溝がぎっしりと並んでいた。あの印象的な出だしを思い浮かべながら、この黒い溝の中にあの音が入っているのかと思うとため息が出るとともに、「何がなんでも、この黒い溝の中に刻まれている音を聴きたい」と思った。
 そして、思い出した。そういえば、小さい頃に歌を聴かせてもらった。ドーナツ版用の45回転のレコード・プレイヤーがあったはずだ。あれを改造すればLPが聴ける! そう思うと、俄然やる気が出てきた。物置に滑り込んでゴソゴソと掘り返して、埃にまみれた45回転のレコード・プレイヤーを引っ張り出した。
 ただ、残念なことに、用意した45回転のプレイヤーには、レコードの針がついていなかった。そこで紙を円錐形に丸め、その先端に裁縫用の針を仕込んだ。それをとりあえず手で持って、ターンテーブルの上でクルクル回るLPの溝に慎重に落とした。

 ドキドキしながら、耳を澄ませた。
 すると、あの「チゴイネルワイゼン」の印象的なイントロが微かに聴こえてきた。これは、本当に嬉しかった。その後、そのプレイヤーの改良を重ねながら、何度も何度も、「チゴイネルワイゼン」を聴いた。
 これ以来、オーディオへのこだわりが嵩じ、今も、高級オーディオを開発するビジネスを行っている。値段が高すぎて、なかなかビジネスとしては厳しいが、これは僕のライフワークだ。とことん「音」を究め尽くしたいと思っている。


 西さんは、1956年に神戸の学校経営者一族のもとに生まれており、僕より15歳くらい年上です。
 僕が子どもの頃は、家にソノシートのレコードがたくさんあったことを記憶しています。
 プレイヤーを家で使わせてもらえなかったからといって、「自分でつくろう」という発想も、それを実際につくってしまう実行力もすごい。

 西さんは、アマチュア無線のために家にあった150万円以上する電子レンジを分解して真空管を取り出したこともあったそうです。
 正直、子どもの興味を活かし、才能を伸ばすためには、「実家が太い(裕福である)」ほうが有利だよなあ、とも、思ったんですよね。


 起業したアスキーは大成功して、西さんは「時代の寵児」として知られるようになりました。
 西さんは、「パソコンの統一規格をつくる」ために、1983年に「MSX」というブランドを立ち上げます。
 当時のパソコンは、メーカーごとに機能が異なっており、ひとつのソフトを他機種で使うためには、その機種にあわせて「移植」しなければならず、ソフトを開発するメーカーにとっても、ユーザーにとっても、負担であり、不便だったのです。
 一家に一台パソコンを普及させるためには、統一規格が必要だ、ということで、西さんが提唱したのがMSXで、多くの家電メーカーが参加しました。
 マイコン少年だった僕は、当時、「MSXの統一規格というアイディア素晴らしいけれど、ちょっとグラフィックなどの機能的に弱い気がするし、かえってどれを買ったらいいのかわからないなあ、安いのは良いんだけど……」と思っていた記憶があります。

 各社から、MSXマシンが出たのは10月くらいからだった。
 値段はだいたい5万円くらい。使いやすいパソコンだったから、年末商戦でちょっとしたブームになった。新しくMSXに参画する企業も相次いだ。当初は、うまくいくかと思っていた。
 ところが、カシオが、ほぼ半額の2万9800円でMSXマシンを発売。これをきっかけに、MSX陣営内部での激しい値引き合戦が始まった。これが痛かった。一生懸命作って、一生懸命売っても、それで利益が出なければプロジェクトは続かない。あ〜あ、と思った。
 それでも、MSXは日本で300万台、海外で100万台くらい売れたと思う。1983年の日経優秀製品賞も受賞した。


 あのカシオの安いMSXが、結果的に安売り競争を生んでしまった、と西さんは考えているんですね。
 たしかに、29800円という値段には、当時驚いたものなあ。その値段でキーボードがついたパソコンが買えるのか!と。いろいろ安っぽいつくりではあったけれど、「安い」というのは何よりも魅力があったのです。あれでMSXは普及するかと思いきや、つくっている側からすると、儲からない商品になってしまったのか……
 僕の周りにも、MSXでパソコンをはじめた、とか、プログラミングに目覚めた、という人は少なからずいますし、MSXが日本のパソコン(マイコン)史に残した功績は大きいと思います。
 

 その後の会社の経営において、西さんはつまづいてしまったのです。
 どんどん新しいことをやりたい西さんと、企業として安定した利益をあげていくことを求めるその他の経営陣とは、どんどん気持ちが離れていきました。
 ビル・ゲイツに追いつこうとするあまり、結果至上主義になり、社員にパワハラを続け、「本業」だったはずのコンピュータ関係の仕事だけではなく、「お金になることはなんでもやろうとした」ために、かえって、アスキーの経営状態は悪化し、人心も離れていったのです。

 「アスキー」の雑誌が、いつのまにか別会社から発行されるようになったのは、こんな事情があったんですね。

 そして、創業したアスキーを追われた西さんは、ある大物財界人の私設秘書のような立場で働いていたのです。
 
 僕は「アスキーのあと」西さんがどんなふうに生きていたのかを、この本ではじめて知りました。
 かつての盟友のビル・ゲイツと、この財界人の交渉の際に西さんが通訳をつとめたこともあったそうです。
 この本を読んでいると、確かに、西和彦という人は、日本のビル・ゲイツになっていてもおかしくなかったと思うのです。
 もうちょっと政治力みたいなものがあれば、西さんが開発に専念できるような、有能な経営者がパートナーにいてくれたら。
 あるいは、西さんがアメリカ、ビル・ゲイツが日本で生まれていたら、二人の立場は逆になっていたのではなかろうか。
 西さんの半生を読んでいくと、卓越したアイディアで創業した会社を成功させたものの、あまりにも独善的だったためにその会社を追われたところまでは、スティーブ・ジョブズにもよく似ています。
 結果的に、ジョブズはアップルに復帰して、iMaciPodIPhoneという歴史に残る製品を残して「伝説」になりましたが、西さんには経済人としてはその機会がありませんでした。

 僕には好きなやつもいれば嫌いなやつもいる。それは、人間だったら誰だってそうだろう。ただ、僕はちょっと極端なところがある。
 何かで対立したりして、いったん相手のことが嫌いになると、口もきかなくなるし、一緒に仕事もしない。僕の方から、「お前なんか嫌いだから二度と会わない」と言ってバイバイした人間とは、僕は絶対に会わない。そんな、ものすごく頑ななところがあるのだ。

 ビル・ゲイツが、アスキーとの提携を解消した直後に、僕をこう評したことも思い出した。
「これまでに会った誰よりも僕に似ている。ただ、彼は極端すぎた」
 ビルは、僕に直接何かを言うことは一切なかったが、僕のことをよく見ていたのだと思う。
 あるいは、僕について、こんなふうに語ったこともあった。
「カリスマ性を持った人だ。新しい会社を起こすときに、彼は下の人間を励ますのに天才的なものを持っている。管理者としてはどうかというと、これはなかなか難しくてうまくいえないけれど、彼の下のマネージャーがいい人材であれば、彼らのリーダーシップをとることは問題ないと思う」(「日経パソコン』1986年9月29日号)


 ただ、西さんはいつまでもクヨクヨしているわけではなくて、現在は日本のコンピュータ文化を担ってきた経験を活かして、教育の分野で活躍されています。
 この本を読んでいると、西さんの講義はコンピュータ好きにはたまらないだろうな、と思うのです。
 
 『I/O』『月刊アスキー』、黎明期のマイコンMSX……
 マイコン少年だった僕が夢中になったものは、みんな西さんがつくっていたのだよなあ。

 西さんは「マイクロソフトからもアスキーからも追い出され、全てを失った……。」と書いておられるけれど、西さんは、たくさんの人に「未来への希望とコンピュータというワクワクできる道具」を与えてくれたのです。
 僕もそれを受け取ったひとりなので、この本、すごく面白かったし、読めてよかった。


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