琥珀色の戯言

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【読書感想】無意識のバイアス――人はなぜ人種差別をするのか ☆☆☆☆

無意識のバイアス――人はなぜ人種差別をするのか

無意識のバイアス――人はなぜ人種差別をするのか


Kindle版もあります。

私たちは見て判断するのではない。
判断して見ているのだ。

悪意の有無に関係なく存在する偏見、バイアス。それがいかにして脳に刻まれ、他者に伝染し、ステレオタイプを形作っているかを知ることなしに人種差別を乗り越えることなどできない。米国の学校・企業・警察署の改革に努める心理学者が解く無意識の現実とは。


 著者のジェニファー・エバーハートさんは、ハーバード大学の心理学部教授で、人種問題研究の世界の第一人者のひとりだそうです。
 著者は黒人なのですが、この本の冒頭で、著者の5歳の息子が、飛行機に同乗していた一人だけの黒人男性に対して発した言葉に衝撃を受けたことを告白しています。
 息子さんは、肌の色以外はほとんど共通点がないその男性を「パパにそっくり」と言っただけではなく、信じられない言葉を口にしたのです。

 私は考えをまとめ、息子の方を向き、私のクラスにいる観察力のない学生に教えるような方法で彼に講義をする準備をした。しかし、私が話し始める前に、息子は私を見上げて言ったのだ。
「あの男の人、飛行機を襲わないといいね」と。
 もしかしたら私の聞き間違いかもしれない。自分の耳を疑いたくなった私は「今なんて言ったの?」と彼に聞き返した。世界を理解しようとする聡明な少年から想像できる限りの無邪気で可愛らしい声で、息子は再び言ったのであった。「あの男の人、飛行機を襲わないといいね」
 私は怒りを抑え、できる限り優しく尋ねた。「なんでそんなことを言うの? パパは飛行機を襲わないって知っているでしょ」
「うん。知っているよ」と彼は言った。
「じゃあ、なんでそんなことを言ったの?」今度は声を一オクターブ低く、鋭い声で尋ねた。
 エヴァレットはとても悲しそうな顔で私の方を見上げ、悲しそうに言ったのだ。「なんでそんなことを言ったのか分からない。なんでそんなことを考えていたのかも分からない」
 この話をしただけで、あの瞬間にどれほど傷ついたのかを思い出した。深呼吸をして、講堂にいる聴衆に再び目を向けると、彼らの表情が変わっていることに気づいた。彼らの目は優しくなっていたのだ。彼らはもはや制服を着た警察官ではなく、私もまた大学の研究者ではなくなっていた。私たちはただ、戸惑いと恐怖に満ちた世界から子どもたちを守ることができない親だった。


 この本のなかで、著者は、研究者として、これまでにわかってきた、さまざまな事実を紹介しています。
 それと同時に、著者自身が、アメリカの社会で、「黒人であること」によって経験してきた、さまざまな理不尽な仕打ちについても語っているのです。
 人間には、無意識に「差別してしまうシステム」みたいなものが植え込まれているのだ、という事実に対して、われわれは、社会は、どうすればいいのか?
 「差別について考え、なくす活動をしてきた」ひとりである著者の息子さんでさえ、無意識に「黒人は危険だ」と思ってしまたのはなぜなのか?
 彼自身も黒人なのに。


 これまでの研究によると、人間は、自分と同じ人種に対しては、個人差を細かく見分けることができるけれど、異なる人種に対しては、ほとんど見分けることができないそうです。昔、欧米で日本人が「中国人ですか?」と言われるという話をよく耳にしました。でも、日本人は、アメリカ人とイギリス人とドイツ人を見分けられるだろうか?イタリア人がみんなジローラモさんみたいな人だというわけでもないでしょうし。
 そういう「個としての認識」が難しいなかで、警察無線で「黒人男性」という言葉ばかりを聞いていると、どうしても、黒人男性の一挙手一投足に注目してしまうし、ちょっとした動きでも、危険なことをしてくるのではないか、という不安に襲われるという警官の話も出てきます。


 アメリカの場合、「黒人に対する先入観」が、警察による不当逮捕や発砲につながってもいるのです。

 2016年、アメリカでは1000人近くの人が警察官によって殺害された。

 私たちの研究では、警察官の「不審な動き」に対する認識に、人種がどのように関係しているかを調べた。私たちはニューヨーク市警察の「ストップ・アンド・フリスク」犯罪撲滅キャンペーンの最盛期である、2010年から2011年のデータを分析した。この2年間で、警察は約130万人もの通行人に職務質問を実施していた。そして、その半数が「不審な動き」を理由に呼び止められていたことが判明したのである。それは、ニューヨーク市の街中で警察が犯罪者かもしれない人物を呼び止める際にあげた、最も多い理由であった。そして、黒人は市内人口の23%しか占めていないにもかかわらず、不審な動きで呼び止められた人のうち、54%が黒人であったのだ。
 次に、その二年間で、不審な動きで呼び止められた黒人と白人の通行人に焦点を当て、職務質問中の対応での人種上の格差について調べた。その結果、黒人は白人に比べて身体検査を受ける可能性が高く、武力が行使される可能性も高いことが判明した。それにもかかわらず、黒人は白人と比べて、武器を所持している可能性が低かったのだ。実際、不審な動きで呼び止められた者のうち、武器を所持していたのは1%未満であった。つまり、元々犯罪から街を守るために導入された実戦運動は、単に疑わしい行動をとっただけの何十万人もの黒人男性を巻き込む捜査網となってしまっていたのである。ニューヨーク市では、職務質問を実施する際の正当な理由に「不審な動き」は含まれなくなった。ニューヨーク市警察の警察官が年間に行う職務質問件数が劇的に現象したのも、おそらくこの決断の結果、またはその他の一連の改革によるものであろう。


 アメリカでは、現代でも、警察官による不当な逮捕や暴力の行使がしばしば社会問題となっているのです。

 オークランドでのセッションは特に強烈だった。市民の不満は現代の問題に根差していたものの、歴史的にオークランドの黒人地域を無法地帯のように扱い、黒人を皆敵視していた警察署の無茶苦茶な職権濫用の歴史が背景にあったのだ。
 オークランド警察は何十年もの間、スキャンダルに悩まされてきた。最も悪名高いのは、警察官で構成された「ライダース」と名乗る自警団が1990年代後半から2000年まで、オークランドの街を回り、無実の人々に薬物を仕掛けたり、身体的暴力を振るったり、犯罪行為をしたと偽って告発したりしていたことである。


 こんなハリウッド映画のような話が、いまから20年前のアメリカでは、現実に起こっていたのです。
 いや、黒人を対象にした理不尽な職務質問や微罪での逮捕、抵抗していない、武器を持っていない相手への発砲などは、いまでも繰り返されています。
 相手が撃ってくるのではないか、という恐怖で「身を守るために」発砲してしまう、というのは、銃所持を厳しく規制すれば抑えられると思うのですが、アメリカの場合は「いざというときに、自分で自分の身を守るためには従が必要」だと考えている人が多いのです。

 アメリカの「人種差別」は、差別される側にとっては、日常での生命の危険にも直結しています。
 何も悪いことはしていない、銃も所持していないのに、警察官の目に留まっただけで「不審な行動」を理由に職務質問され、逮捕されたり、命の危険にもさらされてしまう。
 その一方で、ニューヨーク市の警察のように、これまでのデータを分析して「差別」をあぶり出し、少しずつでも状況を改善していく努力が続けられているのもまた、アメリカ、という国なのです。

 黒い肌が不名誉の証とされる理由の一つに、白を純粋さ、黒を全く別のものとして表す、文化的な関連づけが関係している。実際、研究によると、人は黒という色を素早く、そして容易に不道徳なものと関連づけてしまうのだ。社会心理学者のゲイリー・シャーマン氏とジェラルド・クロア氏は、基本的な色命名課題を含む一連の研究で、この自動的な関連づけの証拠を明らかにした。研究参加者には、コンピュータ画面上で白または黒のフォントで表示された一連の単語が提示された。研究者たちは、白のフォントで表示された時よりも、黒のフォントで表示された時の方が、不道徳に関連する単語(例えば「下品」など)のフォントの色を言い当てられる速度が速かったことを発見した。同様に、参加者たちは、道徳に関連する単語の色(例えば「高潔」など)を黒よりも白のフォントで表示された場合の方が、早く言い当てられることができたのだ。「罪はただ汚いだけでなく、黒いのである。そして美徳はただ綺麗なだけではなく、白いのである」と研究者は述べている。
 このような関連づけは、潜在的なバイアスが肌の色を価値判断に変えることを可能にしている。しかし、肌の色は実際には、私たちの祖先が地球上のどこで暮らしていたのかを示す指標に過ぎない。


 こういう研究結果をみると、肌の色による印象の違いというのは、後天的な差別意識の刷り込みだけではなく、人間の生まれつきの感覚なのだろうか、とも考えてしまうのです。黄色人種である日本でさえ「色の白いは七難隠す」(色白の女性は顔かたちに多少の欠点があっても、それを補って美しく見える)なんて言われているくらいだし。

 著者は、「肌の色で差別するのは悪いことだ」という意識の広がりにともなって、「肌の色について、触れないようにする傾向」がみられるようになってきていることを指摘しています。

 学校で教師が人種問題に対処するために日常的に奨励されている習慣においては、共感、賢明なフィードバック、肯定化、室の高い交流などが軽視される傾向にある。代わりに、学校で採用される最も一般的な実践の一つが「カラーブラインド」戦略なのだ。肌の色は見ないようにすること。肌の色については考えないようにすること。人種について考えようとしなければ、バイアスにかかることはないであろう。
 それは一見、素晴らしい理想のように聞こえるかもしれないが、科学的根拠はなく、実際に達成するのは困難である。私たちの脳、文化、本能、全てが、物事を分類するために肌の色を見るように導いているのだ。しかし、アメリカ社会ではカラーブラインドのメッセージが非常に重んじられており、子どもたちでさえも、肌の色に気づくことは無礼だという考えに陥っている。例えば、グループの中での唯一の黒人について説明しようとする時など、明らかに人種について言及するのが有用な場合でも、子どもたちは10歳になる頃には、人種について話すことを控えるようになってしまう。
 大人が感じる不快館は、子どもや生徒にまで伝わっているのだ。大人が人種について話す際に、恐れたり、嫌がったり、十分な知識がなかったりすると、若者たちは目にする衝突や格差を自分たちで理解しなければいけなくなる。それどころか、カラーブラインドの手法は、平等に向かう動きを妨げる恐れがある。人々が肌の色を見ないことに集中すると、差別に気づくこともできなくなるかもしれないのだ。


 差別しないことと、「違い」への言及を避けることは違う。
「カラーブラインド」によって、言葉にされることがなくなれば、実際に存在している「差別」が、「なかったこと」にされてしまう。
 著者の危惧は、理解できるのです。
 でも、「違い」を明確にしながら、「平等」を目指す、というバランスをとっていくのは、大変なことですよね。
 「違い」を語ることそのものが「差別」だと見なされることも多いから。

 「差別」について、僕にはまだちゃんとした答えは出せないのだけれど、それでも、この本を読んで良かったと思いますし、何が問題なのかが整理できて、ようやくスタート地点に立てたような気がします。


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