琥珀色の戯言

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【読書感想】イライラしたら豆を買いなさい 人生のトリセツ88のことば ☆☆☆


Kindle版もあります。

お金のトリセツから、仕事の極意、認知症の笑い飛ばし方まで――
笑点』最年長の天然キャラとして国民的に親しまれている木久扇師匠が贈る、驚きと感動の生き方指南本!

・生まれてきてシメたな
・瞬間的にいいなと思ったほうを声に出す
・過去よりもいま――細胞なんて毎日生まれ変わる
・老いてこそ賑やかなところに住もう
・ストーリーがお金を生む
・「今日も得したな」って機嫌よく生きる
・「ものごとは数字だ!」田中角栄の教え……etc.

立川談志春風亭柳朝林家正蔵をはじめ、エノケン手塚治虫片岡千恵蔵嵐寛寿郎らとの珠玉の思い出話も満載。


 人気長寿番組『笑点大喜利メンバーの最年長、「木久蔵ラーメン」でもおなじみの林家木久扇さんの人生論です。
 僕は落語家が書いた本が好きで、見かけると手に取ってしまうのですが、このタイトルは、なんか説教くさそうだなあ、と思ったんですよ。
 正直、80歳を超えて、まだ現役の木久扇師匠の話には「昔気質」というか、「礼儀とかに厳しそうな人」だと感じたところも多かったのですが、今の世の中、「礼儀なんてどうでもいい!」という「若者のカリスマ」の本が多々あるので、逆に新鮮ではありました。
 今の時代でも、結局、「同じくらいの能力なら、感じがいい人」のほうが採用されるのは事実でしょうし。

 木久扇さんはサラリーマンとして少し働いたあと、漫画家になろうとしてアシスタントで修行をしていたそうです。そんななか、師事していた漫画家から、「性格的に、落語が向いているんじゃない?」と言われたのがきっかけで、「落語ができる漫画家っていうのも面白そうだし、漫画のネタになるかもしれない」と入門したのが、落語家になったきっかけだったのです。
 まさに、人生塞翁が馬、という感じです。
 絵も得意で、挿絵の仕事をしたり、個展も開いたり、有名な「木久蔵ラーメン」の経営もされているんですよね。
 勢いで、スペインのバルセロナに「木久蔵ラーメン」を出店して大損した話なども出てきます。

 談志師匠がある意味「落語に身をささげちゃった」人だとしたら、僕の落語はその真逆だと思うんです。落語にのめり込み過ぎることがなくて、つねに「ま、このくらいでいいか」という姿勢でやってきた。登場人物になりきるとか、難しい時代背景の考え方とか、そういうものはまったくないですよ。話芸なんだからとにかく面白きゃいいんじゃないの?という考えでやってきました。
 僕の場合、たとえば30分の待ち時間だと、まず3つか4つ山場をつくるっている計算をするんです。10分ずつのネタをいっぱい項目にメモして高座に持ってくんだけど、たいてい全部しゃべり切らないうちに終わりの時間になります。
 自分が夢中になって、得意になってしゃべれることから投げていって、用意した半分もしゃべらないうちに時間が来ちゃって、「ま、いいか」と。
 すると心情的に非常に楽なんですよね。こんなにしゃべろうと思ったのに半分で済んじゃった。この噺はけっこうウケてるんだなって思えて、変な話、てんこ盛りのうち、半分売れればそれでいい商売(笑)。
 材料はいっぱい用意して、どこに中心を持ってくるか探りつつ、盛り上がりのところでパッと切りたいんです。だから山場は必ず3つか4つ用意しときますね。たとえば、ラーメン屋になって大失敗したときの落ちで終わるか、怪談噺の最中、僕が火の玉を師匠の頭に乗せちゃって「熱い!」って言ったら、師匠が「火事だ! アタマが火事だ!」って騒ぐ落ちで終わるか。こっちで切っても、あっちで切っても面白いというのを必ず複数用意しておく。一番盛り上がっているところでパッと下げる。その思い切りが大事なんです。


 木久扇師匠というのは、こだわりがないというか、気持ちの切り替えが早い人なのだな、ということがわかります。
 自分の失敗も、面白がってネタにしてしまう図太さも持っています。
 その一方で、周囲の人への気配りや、ちょっとしたお土産も忘れない人なのです。
 この本にも、落語という芸そのものの話は、あまり出てこない。
 そういう「素っ気なさ」みたいなものもまた、一貫していれば、その人の「味」になるということなのでしょう。


 木久扇さんは、落語会などで地方に行くときには、なるべく打ち上げの宴席にはお付き合いするようにしているそうです。

 そこで僕が帰ってしまったら、一緒に行った後輩たちのつながりも切っちゃうし、主催者もがっかりする。だから、「お酒やめてるんですよ」とかいちいち言わずに、コップの水に氷2個入れて目の前において、焼酎飲んでると思わせて2時間そこにいるんです。すると、また来年の仕事につながるんですよね。
 時々お酒飲めない人で早々とご飯注文してる芸人もいるけど、少し待って流れを見たほうがいいんです。宴席は次の仕事を生む大きなチャンスですから。だから終わってからの2時間がとても大事。
 僕はね、「会っているだけで口説きになる」と思ってるんですよ。ある程度の時間、同じ宴席にいるだけで、無理にヨイショしたり、ことさら面白い話をしなくても、相手に対する口説きになっている。一緒にいる時間を熟成させることで、その方と特別な絆ができるわけで、そういう場面を面白がれるかどうか。
 やはり人の社会って、人と人のつながりで回っているんですね。1足す1が2のような明快な答えはなくて、割り切れないつながりが絡みあって発行してゆくところに、人間関係の面白味があるんです。


 木久蔵さんって、「世渡りの上手さ」を芸にしているようなところもあるような気がします。
 そんな木久扇さんが、いままで付き合ってきた名のある人達のエピソードは、この本の読みどころです。

 木久扇さんは、「自分の仕事と弟子や家族のことを考えると、一日3万円稼がなくちゃダメだと自分に言い聞かせている」そうです。

 昔から、作家やものを創造する人がギャラの交渉をしたりするのは下品という風潮があるんですが、べつに僕は言いづらくも何ともないんです。そういうことが一番平気だったのは先輩の立川談志師匠でしたね。
 とにかく凄かったですよ! 仕事の依頼があったときに「俺に頼むんなら幾らだよ」ってご自分ではっきり言う。自分で自分の値段をはっきりつける。落語家の仕事にプライドを持って安売りをしない。まあそこまではいいんです。
 新潟のあるところで落語会の仕事を頼まれたときのこと。師匠出番です!って、もう出囃子が鳴っているのになかなか高座に出ない。それで、楽屋の出口の高座のそでに足をかけて「……あと5万だ」っていう。
 間に入ったプロダクションが「はい?」って聞きかえすと「あと5万出ないと上がれない」って言う。ギャラの上乗せ要求です。もう出囃子が鳴っているのに! これ、プロダクションの人は下手なこと言って「じゃあやらない」って言われると困るから「出します、5万」ってことになるでしょ。僕はその場にいたんですけど、出すという約束を取り付けて、ようやく高座に上がって行く姿、とてもじゃないけど真似できませんよ。

 一方で反面教師は、正蔵師匠。
「落語家は貧乏じゃなくちゃいけねえ」「噺家で金持ちになったやつはいねえ」「家を持つような中途半端な落語家はダメだ」とか言ってました(笑)。貧しいことが落語家らしさだという主義だったんです。
 僕は絶対にそんなことはないだろう、と思ってね。自分のやっている落語でどんどん稼いで、手が足りなくなっても蜘蛛の脚のように手足をフル稼働して前に進んで行こうと思ってました。
 しかも師匠は、ギャラをいただくとその半分を返しちゃってたんですよ、「こんなにもらっちゃいけません」って。返してくれるから、またそこの芸能社から仕事が来るんです。「正蔵さんは全部受け取らずに、半分返してくれるから」って。だから単価の低い、細かい仕事がずいぶんありましたよ。きょうだい弟子はみんな愚痴ってました。「カッコいいのは師匠だけだよな、俺たちは欲しいんだよ」って。


 両極端、ともいうべきこの二人。
 たくさんもらえるに越したことはない、とは思うけれど、談志師匠には、こんな値上げ交渉をしていたら、嫌われて「干される」リスクがありますし、正蔵師匠の場合、ギャラは安くなるけれど、好感を持たれて、仕事は増えそうです。
 もちろん、こんなやり方が(常にではなくても)通用するのは、あの立川談志だから、というのはあるのだとしても、「ギャラに対するスタンス」に絶対的な正解はない、ということなのです。
 その人に合ったやり方や戦略、というのはあるとしても。

 この本のタイトル「イライラしたら豆を買いなさい」って、どういうこと?と思いながら読んだのですが、その項を読んで、あまりにも「そのままの話」だったのには驚きました。
 何かの比喩だと思ったのに!


赤めだか (扶桑社BOOKS文庫)

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