琥珀色の戯言

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【読書感想】人たらしの極意 ☆☆☆

人たらしの極意 (小学館101新書)

人たらしの極意 (小学館101新書)

内容紹介
懐に飛び込み心開いてもらう方法を公開


ある講演会依頼会社が調査したところ、2012年度の講演会人気ナンバーワン芸人はヨネスケ師匠だった。なぜ、人気があるのか!?それはこれまでの体験や知識がとても面白いからだ。
初対面の人の懐に飛び込むのはかなり勇気がいることだ。ましてや一瞬にして心を開かせることは困難極まりないはずだ。さらに、様々な人々と良好な関係を保ち続けるのはもっと難しい。
著者の出世作となった「突撃!隣の晩ごはん」で25年間、約6000件の一般家庭にアポなし取材を敢行して身につけた処世術をはじめ、46年間の噺家生活で培ったコミュニケーション術を伝授する。噺家仲間はもちろんのこと、イチロー王貞治氏、テリー伊藤氏ほかの各界著名人との秘話も多数満載。
また、地域と食文化、落語から歌舞伎、はては色街からできた言葉など話のネタに困らない会話術もてんこ盛りだ。もちろん、著者が得意としている大相撲や野球の蘊蓄話も一挙公開!


【編集担当からのおすすめ情報】
ヨネスケ師匠と話をしてみると、自らの失敗談やまたそこから得たものなど「なるほど!」と納得するものばかりです。各界の著名人とのエピソードも豊富で、ビジネスの現場やプライベートの場でも応用できるテクニックが満載。さらに師匠は博識でもあり、地域の食文化から、落語はもとより歌舞伎や大相撲、野球などの蘊蓄話もてんこ盛り。雑学本としても面白い1冊です。


そうか、「2012年度の講演会人気ナンバーワン芸人」って、ヨネスケさんだったんだ……
でもまあ、考えてみれば、「芸人」が「芸」を見せるために呼ばれるわけではなく、「講演会」で話し手になるというのは、やや微妙なところもあるのかもしれません。
ダウンタウンナインティナイン、落語界でいえば、立川談春さんなどの「いまテレビのレギュラー番組をたくさん抱えていたり、高座が多かったりする売れっ子」は、あまり講演会はやらないでしょうから。


ヨネスケさんの代表的な仕事といえば『突撃! 隣の晩ごはん』なのですが、25年間、6000回以上も続いたというこのコーナー、行き当たりばったりのようにみえて、かなり綿密な下調べがなされていたのです。

 前説で事前の下調べが大切だと書いたけど、僕の顔がそれほど浸透していない頃はいろいろ学ばせてもらいました。街には息づかいのあるところとないところがある。例えば、子供用の自転車や三輪車が玄関先に置いてあったり、最近じゃ少なくなったが子供たちがワアワア騒ぎながら遊んでいたりとか、ご近所の奥さんたちが道端で四方山話しているところなんかは、こちらが突然行っても案外ハードルが低くて受け入れてくれちゃう。人情味があるんだね。玄関先が乱雑だったりするともうかなりの確率で大丈夫。
 次第に各家庭の洗濯物まで見る癖がついちゃってさ。股引が干してあるから年寄りがいるな、とか、子供服が干してあるから小さい子供がいるな、とか。ついでにここは塀が高いから用心深いだろう、なんて考えてね。まるで泥棒の下見だよね。
 おかげでむやみにアタックしていた頃より格段に成功率が上がった。その後はこちらもさらに知恵を使って、地方に行った場合は、役場の観光課などに行っては古くからある風情のある場所はどこかということを聞いてね。そして、近所のクリーニング屋さんや美容院などにスタッフが出かけては、
「面白い奥さんがいる家庭はありますか?」「大家族でノリのいい家庭はありますか?」
 と、リサーチするようにしたの。そうしたら、失敗する確率はさらに低くなった。


 もっとも、このやり方にも問題点があって、番組の知名度が上がるに連れて、リサーチした家族のところに「あなたの家を紹介したから」と紹介者から事前に連絡が行ってしまい、「家族全員が正装し、テーブルの上にはご馳走が並び、テレビまで合わせてあった」という失敗談もあったのだとか。
 

 また、訪問先が決まったあと、現場でもさまざまな気くばりをしていたそうです。

 うまく入り込むためには、ある程度の図々しさが必要なんだ。しかし、一度中に入れてくれたら、お邪魔させてもらっているわけだから、まずは感謝の気持ちを表すようにしている。だから、若いスタッフには必ず全員の靴を揃えるように指示し、仏壇があるお宅だったら、
「お線香あげさせていただいてよろしいでしょうか?」
 と、両手を合わせて拝ませてもらっているの。画面にはドタバタの映像が流れるが、裏では結構気を遣っているつもりでね。まず入ってすぐに確認することは何人家族かということ。例えば五人家族だったとします。それでおかずがとんかつだとすれば五枚あるわけだから、「お味は?」と聞くだけにとどめて、決して口にはしない。まあ、当然といっちゃあ当然だけど。口にするときは大皿料理とか、煮物類とかを一つまみ……というようにしていたよ。
 そういう細かい気遣いが伝わることによって、相手も心を開いてくれるんだと信じている。


 この「うまく入り込むためには、ある程度の図々しさが必要。でも、一度内部に入り込んだら、感謝と配慮を忘れない」というのは、人間関係一般にもいえることなのではないかな、と思います。
 「最初は遠慮しているけれど、中に入り込んだら、親しさの表現として、図々しくふるまっても良い」と考えがちなんですよね、実際には。


 『隣の晩ごはん』って、僕にとっては、なんというか、ちょっと下世話な企画というイメージがあったのですが、この本を読んでいると、取材される側にもそれぞれのドラマや事情があり、「全国ネットのテレビ番組に出演する」ということには、さまざまな意味がある(あるいは、「あった」)のだな、ということがわかります。

 強烈な印象として残っているのが、東京・下町でのあるお宅。古びたアパートの一階を直撃したときのこと。三十代くらいの奥さんと小学生のお子さん二人が出迎えてくれた。で、ズカズカと台所まで上がっていったら角刈りにした男性が器用にフライパンを振って焼きそばを作っているの。
「へえ~、このお宅は旦那さんが料理するんだ……」
 と、感心して声をかけたら、何か変なんだ。着ている洋服こそ上下スウェットで男そのもの。しかし、声が異様に甲高い。手を見ると華奢で肌もきめ細かくてとてもきれい。手首も細くてどう見ても女なんだよね。
 てっきり、友達か何かだと思って、
「ご近所のお友達?」
 と、聞いたら首を振る。ドキュメンタリーだから事情を把握するために奥さんにさりげなく尋ねると、じつはバツイチのシングルマザーだという。じゃあ、この人は誰?……と思ったら、角刈りの彼女がかん高い声でこういったんだ。
「パートナーだよ」
 それですべて納得したさ。俗にいう”おなべ”さん。角刈りの彼女は性同一性障害の方だったんだ。
 こういうナイーブな問題を孕んでいる場合は根掘り葉掘り聞いちゃいけない。ひたすら自然に会話した上で、オンエアしていいかどうかを聞かなくてはならない。どう考えても無理だろうなあ、と思っていたら、
「全然構わないよ」
 というわけ。おそらく、何も恥じることはしていない。お天道様に顔向けできないことはやってないという信念があったんだろう。この一件でも先入観を持ってはいけないということをまざまざと感じたよ。視聴者も放送を見て事情がわかったらしく、反響がすごかった。


 ドキュメンタリー番組などで、重々しく採り上げられることはあっても、こういう形で「日常」が切り取られることは、けっして多くはなかったはずです。
 全国ネットの番組で採り上げられることによる反響を、ヨネスケさんも、番組側も心配していたし、オンエアを認めてくれないのではないか、と危惧してもいたそうです。
 ところが、当時者は、そんなことを気にしていなかった、あるいは、テレビでみんなに伝えられることを望んでいたのです。
 ある意味「プライバシーの侵害」ともいえるような企画ではあったのですが、それだけに、予想外の「人々の日常」が切り取られていた番組だったような気がします。
 将来、「日本人の食文化や家族の生活」を研究する人にとっては、代え難い重要な資料なのでしょうね(VTRがちゃんと遺っていれば)。


この新書の後半では、ヨネスケさんのさまざまな雑学知識が縦横無尽に語られています。
これを読みながら、僕はずっと考えていました。
ここで語られている、落語や歌舞伎、相撲の蘊蓄って、かなり面白いんですよ。
でも、僕自身が年を取って好奇心が薄れてしまったせいなのかもしれないけれど、以前ほど「雑学」に興味を持てなくなってしまっていることを痛感せずにはいられませんでした。

 男前の男を「二枚目」といい、不細工な男を「三枚目」っていうよね。なんで「二枚目」、「三枚目」っていって、「一枚目」がないのか。これらの語源も歌舞伎にあるんだ。
 江戸時代中期から後期にかけての話。江戸の町では歌舞伎小屋があっちこっちにできたんだ。でも、それが風紀を乱すというので江戸町奉行所が規制することになった。それで歌舞伎興行を許された芝居小屋が浅草の猿若町に三つだけできた。それが「中村座」「市村座」「森田座」で、これを「猿若町三座」って呼んでたわけだ。
 そのときに歌舞伎小屋には八枚の木の看板が上がっていた。一枚目の看板は「書き出し」といって、主役の名が書かれていた。二枚目に上がっていたのが若い色男の名。そんで三枚目には道化、ピエロ役の名が書かれていた。だから、いい男のことを「二枚目」、不細工だったり、面白い人のことを「三枚目」っていうんだよね。


なるほどなあ、面白いなあ。
ただ、これってたぶん、Googleで検索すればすぐに得られる知識なんじゃないかなあ。
そして、僕くらいの「インターネットに慣れ親しんだ世代」にとっては、たとえば世間話や宴席での雑談として、こんな雑学を披露されても、どちらかというと「ああ、年長者の雑学自慢を聞かされるのは、ちょっとキツいな」って気分になりそうです。
この本を読みながら、1948年生まれのヨネスケさんに良い気分になってもらうには、こういう話を感心しながら聞いてあげるという「気くばり」が求められるのだろうな、とか考えてしまいました。
たぶん、御本人が直接話しておられる場であれば、その「間」とか「話芸」に感動できるとは思うのですが……


「知識で他人を惹き付けるのは難しい時代」になってきたのだなあ、と考えさせられますし、そんななかで、一流とよばれる人たちは、ちゃんと「年長者を喜ばせる術」を実践しているのだなあ、ということもわかるんですけどね。


正直、「いまのネット世代が読むには、ちょっと古い技術なのではないか?」とも思うのです。
でもまあ、現実的には、「これがコミュニケーションの技術だと認めている人たち」が、いまの社会では、まだまだ上で頑張っているのですから、学ぶべきところも多くあるはずです。
いくらなんでも、偉い人に「そんなのググればすぐわかりますよ」とは言えないし。

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