琥珀色の戯言

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【読書感想】一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作!(2016年度)
大宅賞受賞作家の上原善広が18年間をかけて聞き取りを続けた、まさにライフワークと言える作品。
18年以上の関係から紡がれる、ノンフィクションとしては異例の一人称文体。

「全身やり投げ男」。
1989年、当時の世界記録からたった6センチ足らずの87メートル60を投げ、その後はWGP(世界グランプリ)シリーズを日本人で初めて転戦し、総合2位となった不世出のアスリート・溝口和洋。

■中学時代は将棋部。
■高校のインターハイではアフロパーマで出場。
■いつもタバコをふかし、酒も毎晩ボトル一本は軽い。
■朝方まで女を抱いた後、日本選手権に出て優勝。
■幻の世界新を投げたことがある。
■陸上投擲界で初めて、全国テレビCMに出演。
■根っからのマスコミ嫌いで、気に入らない新聞記者をグラウンドで見つけると追いまわして袋叩きにしたことがある。

無頼な伝説にも事欠かず、まさに陸上界のスターであった。
しかし、人気も体力も絶頂期にあり、来季のさらなる活躍を期待されていたにもかかわらず、90年からはパタッと国内外の試合に出なくなり、伝説だけが残った……。
その男の真実が、25年以上の歳月を経て、明らかとなる。

プロとは? アスリートとは? 天才と秀才の差とは? 日本人選手が海外選手に勝つための方法とは?
陸上界を貫き、競技を変えた漢を18年以上の歳月をかけて追った執念の取材!!
泥臭い一人の漢の生き様から、スポーツ界が、社会が、昭和と平成の歴史が彩られていく。


 やり投げの溝口和洋選手を覚えていますか?
 僕はこの本のタイトルをみて、「ああ、そういえば、いたなあ、溝口選手。彗星のように現れて、いつの間にかいなくなってしまったような気がするけれど、もともと僕は陸上競技にそんなに興味ないしなあ……と思ったんですよ。

 でも、オリンピックにまで出場したアスリートなのに、酒もタバコも嗜むどころかガンガンやって、「朝方まで女を抱いた後、日本選手権に出て優勝」なんて言われると、読んでみたくなるじゃないですか。
 で、溝口選手というのは、ものすごい「天才」で、才能だけで大活躍をして、「もうちょっと真面目に競技に取り組んでいたら、オリンピックでメダルを取れたのかもしれないのに、残念……」みたいな話だと予想して読み始めたのです。

 ところが、独白形式で書かれているこのノンフィクションを読んでみると、まさに「圧倒」されたのです。
 この人の「やり投げ」に対する探究心には「狂気」を感じずにはいられませんでした。
 日本人にとっては、体格的に不利な陸上の投擲競技で、「世界レベルで勝負していく」というために、ここまでいろんなことを犠牲にしなければならないのか、世界の頂点を目指すというのは、こんなにとんでもないことなのか……

 ある試合に出たとき、一人の選手が、ドタドタ―ッとラグビー選手のようなドンくさい助走をして、強引な力技だけのフォームで80m近くまで投げているのを眼の前で見たのだ。
「なんや、あんな投げ方してもええんや」
 目からウロコとはこのことだった。
 この頃の私は100m、14秒台と非常に遅かった。1964年の東京オリンピックに出場した円盤投げの金子宗平でも、100mを手動計測だが10秒台で走っている。
 確かに私の肩は強かったが、強みはそれだけで、陸上選手としての才能は全くない。だからこそ友達付き合いまで絶って、やり投げに挑んだのだ。そうしないと日本トップになれないくらい、身体的才能には恵まれていなかった。
 足が遅いので、自然と力投げになっていたのだが、当時の常識では「力投げはいけない」とされていた。助走をとにかく速く走って、最後にポンッと跳んでその着地の反動で投げる。スピードをいかした投げこそ、日本人に合った理想の投げ方だとされていた。
 それをドタドターッと走って、ガンッと力だけで投げて80m近くまでもっていった選手を眼の前で見て、「なんや、それでええんや」と腑に落ちた。それまで「常識」と言われていたものが、私の中で崩れた瞬間だった。


 それからの私は、一切の常識を疑うようになった。
 投げられないのだから、考える時間だけはたっぷりある。
 大学生活の二年と三年で、やり投げという競技にはっきりと向き合うことにした。
 まず「やり投げ」という競技について、一から根本的に考えてみた。
 これはそもそも「やり投げ」と考えるからよくないのではないか。「やり投げ」と考えるだけで、例えばこれまでのトップ選手のフォームが脳に焼きついてしまっているので、偏見から抜けきれない。
 そこで私が考えたのは、「全長2.6m、重さ800gの細長い物体をより遠くに飛ばす」ということだ。
 こう考えれば、それまでの「やり投げ」という偏見を取り除くことができる。
 私がやるべきことは結局、「やり投げのフォーム」を極めることではない。「やり投げという競技」を極めることにあるのだ。
 具体的には「2.6m、800gの細長い物体をより遠くに飛ばす」ことができれば、世界記録を出し、オリンピックでも金メダルを狙えるところまでいけるのだ。そうして初めて「やり投げ」を極めることができる。
 そこで最初に始めたのは、座ってやりを投げることだ。


 溝口選手は、きわめて合理的な人で、これまでの「やり投げの常識」「手本」とされている動きや練習方法を徹底的に洗い直し、自分を実験台にして、「全長2.6m、重さ800gの細長い物体をより遠くに飛ばす」ことを追究していきます。
 他の人は誰もついてこられないようなきついウエイトトレーニングを連日こなし、これまでの「理想のフォーム」を妄信せずに、一から作り直すという、ストイックの極みのような生活をしながら、「ストレス解消や気分転換のために」酒やタバコは欠かさない。矛盾しているといえばそうなのだけれど、酒やタバコを控えていることを自分への言い訳にはしない、という矜持も伝わってくるのです。
 「妥協しない」だけに、めんどくさい人だなあ、とも思うのですが。

 この頃にあった日本選手権の前夜、私はナンパに成功して朝方まで女といたが、さすがに翌日は二日酔いと、いつもと違う動きをしたので疲れていた。それでも80m台を投げて優勝したが、これは何か不意のことが試合前に起こっても、対処できるようにと考えて、意図的にしていたことだ。
 こんなことは誰にも理解してもらえないが、私のやり投げやそのトレーニング自体、誰にも理解してもらえないので、他人からどうこう言われようが、全く気にしない。
 私は学生のとき以来、やり投げをやめるまでは恋愛も結婚もしないと決めていたので、特定の女がいても、決して感情移入しないように気をつけていた。水商売の女は生理的に苦手で、付き合っても本気にならなくてすむのでよく遊んだ。今なら「職業差別だ」と言われるかもしれないが、確かに私は女を差別していた。これは意識的にやっていたので、非難されても仕方がない。女にとっては迷惑な話だっただろうが。私がやり投げのためなら死んでもいいと思っていることを相手は知らないし、私も言ったことはない。男は自分の決めたこと、していることを、ペラペラと話すものではない。「昔堅気だ」と言われれば、そうなのかもしれない。
 毎晩のように飲んでいたことを、非難されたことはある。国際試合のときも、終わった後は後輩を連れて呑みに出るので、同室の先輩、吉田雅美から締め出されたことは、陸上界でも有名な話となってしまった。
 しかし、これにも私なりの流儀がある。その日の限界まで達し、自分なりに満足した試合、練習ができたときだけ呑んでも良いのだ。中途半端な練習しかできなかった日は、罰として自宅謹慎だ。これも誰も知らないし、私もべつに言おうとは思わなかった。もうここまできたら意地の張り合いだ。「絶対に言うまい」とすら思っていた。
 タバコも一日二箱は吸っていた。タバコはリラックスするために吸うので、試合の前には必ず二、三本は吸っていた。


 いろいろと突っ込みどころはあるのだけれど、結局のところ、世界記録を出せるようなアスリートというのは(あるいは、世界的に活躍するようなアーティストや経営者というのは)、自分の世界みたいなものを持っていて、世の中の常識にとらわれない人が多いのかもしれません。人と同じことをやって満足していたら、あるいは、自分の価値観を他人まかせにしていたら、「世界を驚かせる」ことなんてできない。もちろん、僕自身にはそんな生き方は難しいけれど。
 

 また、「タバコは健康に悪い」と言う人がいるが、どう考えてもやり投げの方が体に悪い。一生健康でいたいのなら、やり投げをやめた方がよほど健康的だ。練習中は集中が途切れるので吸わないが、試合前の一服は不可欠だ。
 陸上関係者やマスコミは、こうした私のことを「無頼」とか「規格外だ」とか言っていたが、やり投げ以外のことを、私の事情を知らない他人にとやかく言われる筋合いはない。逆に「今に見てろ」と、闘争心をかきたてられた。


 「どう考えてもやり投げのほうが体に悪い」
 確かにそうだな、と読みながら噴き出してしまいました。
 スポーツで健康に、と言うけれど、世界のトップレベルで闘うためのスポーツは、どうみても、体に悪いですよね。
 ここまで言い切れる人に、周りが何を言ってもしかたがない。

 本当に「面白い」し、「なんて人なんだ」と思いつつも、もう結果が出ている溝口選手の「闘い」を、その場にいるかのように応援せずにはいられなくなります。
 表舞台から消えてしまったようにみえる溝口選手の「思考法」が、室伏広治選手に受け継がれていたことも、この本ではじめて知りました。

 
fujipon.hatenadiary.com

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