琥珀色の戯言

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【読書感想】ベースボール労働移民 ☆☆☆


ベースボール労働移民 ---メジャーリーグから「野球不毛の地」まで (河出ブックス)

ベースボール労働移民 ---メジャーリーグから「野球不毛の地」まで (河出ブックス)

内容(「BOOK」データベースより)
「出稼ぎ」や「バケーション」、はたまた「自分探し」のために、世界各国でプロ野球を職業とする者たち―。華やかな“スポーツセレブ”としてのメジャーリーグを観戦するだけでは伝わってこない、グローバルレジームに飲み込まれる世界のプロ野球の過酷な現実とは…。世界17か国298のフィールドを踏破した気鋭の研究者が描き出す、まったく新しい野球‐社会論。ワールドベースボールクラシックの見方も大きく変わる。

WBCをみていて、「日本とアメリカ以外のベースボール」がどういうものなのか興味がわいてきたので購入。
この本を読むと、「メジャーリーグ」という頂点と、その周辺、あるいは下部に存在する「野球をして生活をしている人」の姿がみえてきます。
ただ、なんというか、ちょっと学術論文っぽいというか、カタカナ語が多くて読みづらく、ちょっと難しいところもありました。
このタイトルから、世界各国で野球をしている、さまざまな立場の選手たちのルポルタージュだと思い込んでいたのですが、個々の選手のエピソードよりも「野球と社会」のことが書かれた研究書なんですよね。
もちろん、いろんな選手についての短いエピソードも添えられてはいるのですが。

 以下では、グローバル化という現象の中、スポーツの世界において資本や労働力の移動を通じた世界各地の相互のネットワークが強化された結果、スポーツ労働移民の枠組みを再考する必要があることを、ベースボール・レジームの提示と、その結果として野球不毛の地に誕生した新興プロリーグに集った選手の分析から探る。
 プロアスリートは元来、その卓越したスポーツの技術をもって報酬を得る職業人のことである。母国を離れ、国境を越えて移動するアスリートに衆人が手にすることができないような報酬が与えられることは、容易に想像がつく。従来のスポーツ労働移民研究においても、その射程は当該競技におけるトップアスリートに置かれていた。
 しかし、アスリートはそのような「スポーツセレブ」だけではない。我々から見れば驚くような低報酬であるのにもかかわらず越境するアスリートが、今日増殖しているのである。元来そのような者の多くは、グローバル経済の下で低賃金労働を強いられる途上国出身者であったのだが、近年、豊かであるはずの先進国からも月数百万ドルという報酬のため、慣れない異国での競技生活を始める若者が増えている。彼らが母国から携えてくるスポーツの技量は、従来想定されていたスポーツ労働移民のそれとは異なり、決して高いものではない。そして、その低い技量と反比例した「肥大化した夢」が、彼らとともに海を渡っている。


 この本によると、メジャーリーグの外国人選手の割合は24%で、その9割超はカリブ地域出身なのだそうです。
 この地域は、アメリカとの政治・経済的な結びつきが強く、アメリカの影響で野球が広まっていきました。
 著者は、2008年シーズンのアメリカプロ野球におけるスポーツ労働移民の出身国のグラフを提示していますが、それによると、ドミニカは45%、ベネズエラは26.3%、プエルトリコが8.4%、次いでメキシコの3.5%となります。

 現在、アメリカプロ野球に生活の場を求めるアスリートのうち、一割を超える者がドミニカ出身である。歴史上、政治的経済的にアメリカの介入を受けてきたこの国は、同様の状況にあった中米のエルサルバドルや東南アジアのフィリピンと同様に、多くの移民をアメリカへ送出してきた。1960年代にこの数は急増し、アメリカは現在この国発の移民はほぼすべてを受け入れている。この両国の関係が、野球をめぐるスポーツ労働移民の移動にも反映されているのは想像に難くない。
 アメリカという近隣の大国のスポーツを文化ヘゲモニー的に受容する一方、アメリカプロ野球からの独立性が強いプロ野球を発展させてきたドミニカは、第二次大戦中の選手不足や、戦後、MLBが全米規模のリーグへ拡大したという歴史的経緯から、1950年代中葉に結んだ業務協定をきっかけに、60年代以降MLBへの従属を深めていった。その動きと並行して、この国からアメリカ野球に移動する選手の数は、年を追うごとに増えていく。
 1990年代以降、グローバルに拡大するMLBの選手獲得網は、50年代に完成したドミニカ野球とアメリカ野球の垂直的な関係が地球規模に発展したものと考えられる。

 ドミニカやベネズエラには、メジャーリーグの球団がアカデミーを設立し、選手の囲い込みを行うとともに、若手選手の育成や地元のベテラン選手への最低限の仕事の場を供給しているのです。
 これらの国では、「ベースボールで一攫千金」の夢がアメリカから与えられているのと同時に、「メジャーリーグの下請け」の役割も与えられています。
 不思議なもので、人間というのは、自分の祖国を離れてしまうと、かえって自分の「母国」を意識してしまう面もあるようです。
 準決勝で、日本の「鳴り物」による応援を批判する日本人も多かったのですが、WBCは「各国それぞれの応援文化を推奨している」のだとか。
 WBCというのは、もしかしたら、アメリカの「野球属国」にとって、格好の「復讐の機会」なのかもしれません。
 アメリカ代表の選手たちのモチベーションがいまひとつ上がらないのも、「そんなことわざわざ証明してみせなくても、良い選手はみんなアメリカのメジャーリーグに集まってくるんだから」というのもありそうです。
 むしろ、「周辺国に勝たせてあげて、野球熱を高める」ほうが、長い目でみれば、メジャーリーグにとってはプラスになる面もあるのでしょう。
 だからといって、アメリカ代表も「わざと負けている」のだとは思いませんが、WBCで勝つことへのモチベーションの差はあるはずです。
 日本にとってもこれは「他人事」ではなく、日本の人気スポーツであるプロ野球選手はかなりの待遇を得てはいるのですが、それでもメジャーリーグのトップクラスの選手には及ばず、結果的に日本のトッププレイヤーの多くはメジャーリーグに移籍していくようになりました。海を隔てていることや言葉の問題、日本でもそれなりの待遇が得られていることから、雪崩をうってMLB移籍、とうことにはなっていませんが、日本もこの「アメリカ野球との垂直的な関係」に取り込まれている国のひとつなのです。
 今回のWBCで、「日本代表にメジャーリーガー不在であったこと」が嘆かれましたが、いまメジャーにいる日本人で、日本代表として期待できそうなのはダルビッシュイチロー、黒田、青木、川崎、上原、中島、藤川くらいのものでしょう。
 「アメリカ慣れ」しているのは大きな武器だとしても、今回の日本代表の敗因となった「打てないときには、ひたすら打てなかった」打線はイチロー、青木らの加入だけでそんなに改善されたかどうか疑問ではあります。
 イチローも、全盛期は過ぎている印象ですし。
 メジャーから日本球界に復帰した選手への年俸での評価をみても「メジャーに行ってきたってだけで、そんなに活躍もしていないのにこんなに高年俸になるんだなあ」なんて思うんですよね。
 いまの日本にも、「メジャーリーグへの憧れ」と「コンプレックス」は確実にあるのです。


 この本のなかでは「メジャーリーグで活躍して、トップアスリートとして生きる」という目標ではなく、「他にもっと稼げる仕事もないし、とりあえず好きな野球で稼げるかぎりはプレーを続ける」という各国の選手たちが紹介されています。
 そういう選手たちを、著者は「野球労働者型」と呼んでいます。
 上昇志向もなく、仕事として野球を続けている選手たち。


 著者は、2007年に一度、2ヵ月間だけ開催された、イスラエルのプロリーグのことを採り上げています。
 そのなかには、より上を目指そうとする「プロスペクト型」、前述した「野球労働者型」の他に「バケーション型」「自分探し型」という選手たちがいたそうです。

 中南米人は「ラティーノ」と自称し、アメリカ人に代表される白人を憧憬と排外的感情をもって「グリンゴ」と呼ぶ。イスラエルリーグの選手間でもこれらの単語は使われていたが、ここでは蔑称という意味合いはなく、お互いをこう呼び合っていた両者のあいだに表面上は感情的な溝は見受けられなかった。
 しかし、全チームの選手が賄い付きの生活を送っていたテルアビブ郊外の宿舎では、所属チームに関係なく、ラティーノラティーノどうし、グリンゴグリンゴどうし同室で生活していた。試合後夜遅くまでインターネットに興じるグリンゴたちと、シーズン後母国へ持ち帰る金銭を貯めるべく、散髪代を浮かせようと休息室でバリカンと持ち出して互いに髪を切り合うラティーノたちの姿に、中核と周辺の関係がこのイスラエルリーグという場に持ち込まれていることが窺えた。

 両者のイスラエルリーグでのプレーに対する構えの違いを象徴するエピソードを紹介しよう。オールスター戦に出場しない選手に与えられた三日間のオフのあいだ、グリンゴたちはレンタカーを飛ばして紅海に面したこの国有数のリゾート、エイラートへバカンスに出かけた。物価の高さを考えると、この小旅行でシーズンの報酬の3分の1ほどはなくなったであろう。これだけではなく彼らはイスラエル滞在中、週一日の休日を利用して国内の観光地の多くを巡っていた。一方のラティーノたちは、休日は宿舎に残ってリーグから提供される食事にありついていた。

 生活のためプレーする選手たちと、イスラエルという国への興味もあり、物見遊山半分でやってきた選手たち。
 当然のことですが、後者には実力が劣る選手が多かったそうです。
 金銭的な報酬そのものよりも、「イスラエルという国でプロ野球選手としてプレーする体験」のために、参加した選手も少なからずいたのです。
 自国の野球のレベルではプロにはなれないから、「プロ野球選手になってみたくて」野球のレベルが低いイスラエルまでやってきた選手もいたそうです。
 そういう、さまざまな事情を抱えた人たちが、同じリーグ、同じチームに入り混じっている、それが野球。


 世界には、さまざまな形で「プロ野球選手」をやっている人がいるのです。
 競技としてのルールは同じでも、世界には、いろんな「ベースボール」があるのだな、と思い知らされる一冊でした。
 

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