Kindle版もあります。
★★★国民的オカルト雑誌の編集長が、謎に包まれた「舞台裏」を初公開! ★★★
「ムー」がビジネス書? 役に立つか、立たないかは、あなた次第!
オカルト界、サブカル界、絶賛! !もはやこれは秀逸なビジネス書だ。怪しい編集長の真面目な仕事術。
―――島田秀平「ムー」三上編集長はガチ! フェイク・リアル超越の最強本。
―――大槻ケンヂ三上さんのグラサンは不思議大好き少年の純真無垢な瞳を隠蔽するためにあったんですね…!
―――事故物件住みます芸人 松原タニシオカルト業界きっての遣り手編集長、三上丈晴。表も裏も、この男が「ムー」を創り上げていたのだ!
―――UFO・超常現象研究家 矢追純一唯一無二、国民的オカルト雑誌・月刊「ムー」編集長が謎に包まれた「舞台裏」を初公開!
日本中を驚愕させる「不思議」は、どのように創られるのか?
創刊43年、記念すべき500号を迎える「ムー」は、あんなにもあやしいのに、何故、日本中で愛され続けるのか?
UFO、UMA、心霊写真、ストーンサークル、ノストラダムス、ユリ・ゲラー……数々のヒット記事に隠された「真実」とは! ?
日本最強のオカルトマスター・三上丈晴が、今、すべてを明らかにする!
『ムー』という雑誌をご存じでしょうか?
1979年創刊の、いわゆる「オカルト雑誌」なのですが、宇宙人、UFO、超能力、ピラミッドパワーなど、世界中の超常現象を語り続けて43年。僕も中高生時代には、好事家の友人と書店でよく『ムー』の表紙を見つけて、「本当かな、これ?」などと話していたものです。
『ムー』読んでるヤツは、だいたい友達。
……そんな「青春時代」を送ってきました。
いや、それはそれで、けっこう楽しかったんですよ。当時は。スプーン曲げとか、超能力捜査とか、ネス湖のネッシーとか。
なんといっても、『ノストラダムスの大予言』は、多くの子供・若者たちが半信半疑、というか、「自分たちは30歳になる前に死ぬのか……」と思っていたんですよね。ソ連が崩壊するまでの冷戦下の世界では、1999年に人類を滅ぼす「恐怖の大王」は核戦争だ!という言葉に、かなりリアリティがあったのです。
のちに、大学時代、1990年代になって、『と学会』の本などで、ノストラダムス本や、その「予言」の矛盾やベストセラーになった背景を知ることになるのですが、『ノストラダムス』への不安と克服が、僕の前半生だったような気がします。
あの「大予言」は、オウム真理教にも影響を与えているんですよね。
2022年から振り返ると、なんであんなことを真面目に信じていたのだろう?と思うのだけれど、あの「時代の空気」みたいなものは、体験したはずの僕でさえ、今ではうまく思い出せないのです。
この本、その『ムー』を30年間編集者としてつくりつづけ、現在は編集長の三上丈晴さんによって書かれたものです。
書店で見かけたときには、「こういう本を偶然見つけることがあるから、リアル書店はやめられん!」とちょっと興奮してしまいました。
『ムー』って、怪しげな雑誌なのに、以前は「学研」から出ていて、「なんで参考書とかを出している『真面目な出版社』が、こんな雑誌を……」と疑問だったのを思い出します。
あの『まいっちんぐマチコ先生』のアニメのスポンサーに「学研」の名前を見つけて「いいのかこれ?」と子供心に驚いたこともまだ覚えているのです。
今だったら大炎上しそうだよなあ、このアニメ。
あの『ムー』は、どんな人がつくっているのか?
そもそも、書いている人や編集している人たちは「本気」なのか? ある程度「割り切って仕事としてやっている」のか?
著者は、『ムー』という雑誌が生まれた経緯について、こんなふうに語っています。
小学生向けの「科学」と「学習」に比べて、「中学コース」や「高校コース」は、たんにお勉強だけではなく、芸能界やスポーツ、そしてファッションなどといったテーマの記事が多くなる。その割合は学年が進むにつれ多くなる。「高校コース」ともなれば、お勉強部分は半分ぐらいで、あとはティーン向けの一般誌と変わらない。とくに夏休み号ともなれば、読み物特集が数多く企画された。
当時、「高2コース」編集部に在籍していた2代目「ムー」編集部O氏は自身が企画した記事がアンケートで第1位になることが自慢だった。読者が求めているものは何かを知っている。平たくいえば、受ける記事を企画できると自負していた。具体的に、その記事というのが「ノストラダムスの大予言」や「日本全国ミステリーゾーン」、「世界の超能力者」だったのだ。
しかも、時は1970年代、出版界は雑誌の創刊ラッシュだった。ご多分にもれず、学研でも、上層部から雑誌を作れという大号令が出された。もとより、ティーン向けの一般記事を企画していた編集者たちは、次々と喜び勇んで雑誌を立ち上げた。今日まで続くアイドル雑誌「BOMB!!(現・BOMB)」やカメラ雑誌「CAPA」と並んで創刊されたのが、スーパーミステリー・マガジン「ムー」だったのである。
発想はいたって単純である。「高校コース」で受けた記事のテーマを雑談にすれば、必ず成功する。ノストラダムスの大予言やミステリーゾーン、超能力、心霊などをメインテーマとする雑誌なら、少なくとも中高生には手に取ってもらえるはずだというわけだ。
当時は競合誌もなく、モデルとなる雑誌もなかった。今日の前例主義からすれば、およそ考えられないが、世の中に前例のない雑誌だからこそ、創刊する意味があるという野心的な言葉が通用した時代だった。
まだインターネットやスマートフォンがある未来など想像すらしていなかった1970年代から80年代にかけては、若者たちにとっては雑誌が流行を生み出すツールであり、貴重な情報源だったのです。
「中高生に人気があった企画」を雑誌にしたのが『ムー』なのですから、当時まさに中高生だった僕にとってのストライクゾーンだったのも当然、ではありますね。
ちなみに、『ムー』は、創刊当初はあまり反応がなく、売り上げも芳しくなかったそうです。
それが、芸能人のグラビアやアニメ、漫画をやめて文章量を増やし、ちょっとした研究論文のような資料性を重視した号で潮目が変わり、黒字化していったのだとか。
読者は、当時の編集者たちが想定していたよりも、ずっと知識欲が強く、「真剣」だったのです。
この本で語られている「仕事術」そのものが「ムー的」というか、虚実入り乱れていて、どこまで信じていいのかわからなくなるのです。
著者は、「ムー的」な超常現象などをテーマにしたテレビ番組『T』の関係者が、企画の立ち上げの際に『ムー』編集部に相談に来たことや、ドラマ『トリック』のスタッフからも相談を受けたことを紹介しています。
新しい「T」なる番組を制作するにあたって、もっとも重要なのはネタである。月刊「ムー」の記事を参考にしたいので、ご協力を仰ぎたいという内容であったが、そのとき、ひとつアドバイスしたことがある。
記事は筆者や研究者のものなので、それらの出典などを明記すればいいが、もっと大切なことがある。超常現象を調査したとしても、これで完全に解明できたと結論づけてはならない。けっして決めつけてはならない。決めつければ、必ず反感を買う。とくに超常現象に興味を持っている視聴者は月刊「ムー」の読者のように一家言をもっている。自説と異なる結果を最終結論だと断定されれば、おもしろくないのだ。
調査の結果を出すのはいい。番組として結論を出してもいいが、それが100パーセント正しいというスタンスはとるな。どこかに1パーセント、他の可能性を認める余裕をもて。これで、すべてが解明できたわけではない。引き続き、調査を続行する。そう、最後にひと言あれば、一家言をもっている視聴者の溜飲は下がる。と同時に、続編を期待することになるのだ、と。
幸いにして、進言は受け入れられたようで、実際の番組では「真相がわかり次第、追って報告する」というナレーションでしめくくる形で放映された。結果、視聴率も好評で、続編が作られた。
嘘をついたり、捏造したりするのではなく、「可能性」を追求するのが『ムー』のスタンスなのです。
超常現象を妄信するわけではないけれど、「そういうものは絶対にない」という先入観にもとらわれない。
往々にして、手品師は超能力を否定するのだが、なかには逆手にとる人もいる。代表的なのがMr.マリックである。今は手品であることを半ば公言しているが、当初は、ハンドパワーという言葉を巧みに使い、見る人が超能力であると信じてしまうことを狙ったパフォーマンスをしていた。「ムー」の筆者の中にも、Mr.マリックは本物の超能力者だと公言していた方もいたほどである。
だが、基本的には手品である。そもそも、マリックという名前も、本来の意味でいう魔術=マジックと手品=トリックを合わせた造語だ。同様のパフォーマンスで見る人を楽しませてくれる喫茶店が長崎にあり、一度、取材を申し込んだが、丁重に断られてしまった。あくまでもエンターテインメントであり、超能力かどうかを論じるものではないというわけである。確かに、その通りだ。
しかし、本物の超能力者が大々的に手品師として活躍しているという話もある。
これは、あくまでも都市伝説だと思って読んでほしい。世界的エンターテインメントの本場、アメリカはロサンゼルスに手品師の協会、いうなれば協同組合がある。本部はディズニーランドのような建物で、これにもちなんでつけられた協会のコードネームは「マジェスティック・シャトー」。もちろん、これは偽名である。本当の名前ではない。
マジェスティック・シャトーには鉄の掟がある。そもそも、手品師であれば、だれもが入れるわけではない。そこには条件がある。なかでも必須条件は超能力者であること。念力や透視、予知能力をもった超能力者でなければ加入することはできない。しかも、常時、大衆の前でパフォーマンスを行うことができるレベルを要求される。
これは、いったい何を意味するのか。そう、ほかでもない。マジェスティック・シャトーの協会員が行うマジックやイリュージョンは超能力によるものなのだ。もちろん、すべてのパフォーマンスが超能力によるものではない。肝心なところだけ、超能力を使う。どの部分であるかは、もちろん極秘である。
もう30年くらい前の話ですが、僕はこの「長崎の喫茶店」に行ったことがあるのです。先輩たちと一緒だったのですが、店の人が、先輩のお父さんの名前をいきなり言い当てて、心底驚いたんですよね。いくらなんでも、その先輩がサクラだとは思えないし……
将棋の羽生善治さんが盤面をひと目みただけで、僕にはわからない状況分析ができるように、トリックではなく、「そういう能力を持った人間」が絶対にいないとは言い切れない。
半信半疑、ではあるけれど、あれを体験するまでは「そんなのあるわけない」「トリックを見破ってやろう」という感じでしたから、かなりのインパクトがありました。
著者の言葉については、「ものは言いよう」というか「うまく言いくるめられているような感じ」もするのですが、結局、「真実」というのは、そう簡単にわかるようなものではないのでしょう。
『ムー』は、オカルトを信じさせようというよりは、「常識を疑う心を育てる」雑誌なのかもしれません。
『ムー』創刊500号の総力特集は「未来人ジョン・タイターが明かす未来人とエリア51の謎」!
僕が中学生のときから、『ムー』はずっと、そこにあるのです。
浜の真砂は尽きるとも、世にオカルトの種は尽きまじ。