Kindle版もあります。
内容紹介
樺太(サハリン)で生まれたアイヌ、ヤヨマネクフ。開拓使たちに故郷を奪われ、集団移住を強いられたのち、天然痘やコレラの流行で妻や多くの友人たちを亡くした彼は、やがて山辺安之助と名前を変え、ふたたび樺太に戻ることを志す。
一方、ブロニスワフ・ピウスツキは、リトアニアに生まれた。ロシアの強烈な同化政策により母語であるポーランド語を話すことも許されなかった彼は、皇帝の暗殺計画に巻き込まれ、苦役囚として樺太に送られる。
日本人にされそうになったアイヌと、ロシア人にされそうになったポーランド人。
文明を押し付けられ、それによってアイデンティティを揺るがされた経験を持つ二人が、樺太で出会い、自らが守り継ぎたいものの正体に辿り着く。樺太の厳しい風土やアイヌの風俗が鮮やかに描き出され、
国家や民族、思想を超え、人と人が共に生きる姿が示される。
金田一京助がその半生を「あいぬ物語」としてまとめた山辺安之助の生涯を軸に描かれた、
読者の心に「熱」を残さずにはおかない書き下ろし歴史大作。
第162回直木賞受賞作。「ひとり本屋大賞」5冊め。
アイヌとポーランド人の話、というのを聞いて、「ああ、『虐げられた人たち』の感動物語なんだな」と思っていたんですよ。
わかりやすい、お涙頂戴、みたいな話だったら、拍子抜けだな、って。
正直、読み進めていくうちに、圧倒されてしまいました。
こんな骨太な小説は、久しぶりに読んだような気がします。
命が、軽い。
北海道でなんとか生活していた人たちが、疫病でバタバタと倒れていく場面を読みながら、僕は唖然としていました。
予防接種が存在していた時代でも、多くの人がその効果に不安を持っており、積極的に受けようとしなかった。
その結果、大勢の人たちが、読んでいて、「えっ?」と思うくらい、いきなり命を落としていくのです。
自然や病の猛威に対して、人間が無力ではなくなってから、まだ100年くらいしか経っていない。
そして、この世界では、いろんな人たちが、自分たちを差別し、押しつぶそうとする世界に対して、時には妥協し、ときには抵抗しながら生きているのです。
主人公のアイヌ・ヤヨマネクフもそのひとりなのですが、彼はアイヌであることを誇りに思いつつも、力による抵抗ではなく、教育や文化の保存によって、日本やロシアと折り合いながら、生きていこうとします。
ああ、ヤヨマネクフは、きっと、何か「すごいこと」をやってのけるのだろうな。
僕はこの小説の前半を読みながら、そう思っていました。
これから読む人の楽しみを奪ってはいけないので、詳しくは書きませんが(というか、僕はこの小説を、ぜひ、多くの人に読んでもらいたいのです。とくに、『王様のブランチBOOK大賞』に輝くような作品に、食傷している人たちに)、彼らは「何者か」になろうとし、「何事か」を成そうとして、試行錯誤を続けていきます。それはもう、読んでいると、心の中で応援せずにはいられないくらいの切実さをもって。
何もしなければ、「より大きな国」に取り込まれ、差別されるだけの存在になってしまうから。
でも、時代の流れ、あるいは、人の運命というのは、こんなに頑張っている彼らに、けっして甘くはない。
「努力」や「志」の重さが、必ずしも「結果」に結びつくとはかぎらない。
多くの物語というのは「努力・友情・勝利」あるいは、「野心・成功・劇的な敗北」のいずれかに属しています。
しかしながら、ほとんどのリアルな人生は、「努力・友情・突然死」とか、「野心・逡巡・諦念」みたいな、なんとも言えない中途半端さを残して終わっていくのです。
個人的な印象としては、この『熱源』の読後感は、『ストーナー』に近かった。
だからこの『熱源』は中途半端な作品である、なんてことは全くありません。
あまりにもあっけなかったり、中途半端だったりすることが、かえって、「リアルな手触り」を残していくのです。
主要登場人物のひとりは、結局その後どうなったのか書かれておらず、僕は一生懸命読み返し、ネットで調べてしまいました。
「不明」だったから描かれなかったのか、それとも、あえて語る必要はない、と作者は考えたのか。
どんなに足掻いてもうまくいかないのが人生だけれど、だからこそ、「懸命に努力したけれど、目立った成功を収めることもなかった人々」というのは、なんだかとても愛おしい存在のように、僕は感じたのです。そういう生き方もまた、人の在り方なのだ、と心強くもなりました。
人ひとりの命は軽い。あまりにも軽い。
でも、多くの人が積み重ねてきた文化や祈り、命を繋いでいく、という行為は、とてつもなく重い。
「”優勝劣敗”は自然の道理なり、アイヌ人種においても免るるべからず”。北海道で学校勤めをしているとき、和人によく聞いた」
「どういうことだ」
日本語を交ぜた太郎治の言葉に、ヤヨマネクフは首を傾げた。
「アイヌは劣っているから滅びる定めの人種ってことさ」
それからの太郎治の話は、聞いていて胸が悪くなった。北海道のアイヌは窮乏し、人口も漸減している。その原因の説明にさっきの道理とやらが持ち出されるらしい。和人の中での議論は、そこから二つに分かれる。だから放っておけ、あるいは、人類愛として保護すべきである。ただし太郎治の見たところ、窮乏の原因は和人による場所と漁場、狩場を奪われたことにある。
この小説のなかで、和人やロシア人は、「マイノリティの文化を『教育』によって破壊し、同化させようとする侵略者」としてだけ描かれているわけではないのです。
和人は、自分たちを「弱者」とみて、関税自主権を奪い、領事裁判権を持っていた西欧諸国に対して、「強い国をつくる」ことで、不平等条約を改正していったのです。「自分たちは頑張ったらできた」人たちは、得てして、「お前たちができないのは頑張らないからだ」と見なしがちです。実際は、それなりの人口がなければ、大国に対して抗うのは難しいのだけれど。
そこには、「自分たちもいろんなものを犠牲にしてきた」という矜持と悲しみがある。
「滅ぼされないためには、強くなる、勝つしかない」というのは、たぶん、間違ってはいない。
それを突き詰めれば、映画『バトル・ロワイヤル』みたいな世界になるしかないのだとしても。
正義と悪がぶつかるのではなく、それぞれの「正しさ」が衝突せざるをえないのが、世界の難しさなのです。
本当に、素晴らしい小説だと思います。圧巻!
ここまでハードルを上げてしまうのは申し訳ない気もするのですが、それに応えてくれるであろう、数少ない傑作です。読めてよかった。
- 作者:
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2020/02/22
- メディア: 雑誌