- 作者: ジョン・ウィリアムズ,東江一紀
- 出版社/メーカー: 作品社
- 発売日: 2014/09/28
- メディア: 単行本
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内容紹介
これはただ、ひとりの男が大学に進んで教師になる物語にすぎない。しかし、これほど魅力にあふれた作品は誰も読んだことがないだろう。――トム・ハンクス
半世紀前に刊行された小説が、いま、世界中に静かな熱狂を巻き起こしている。
名翻訳家が命を賭して最期に訳した、“完璧に美しい小説"
美しい小説……文学を愛する者にとっては得がたい発見となるだろう。――イアン・マキューアン
純粋に悲しく、悲しいまでに純粋な小説。再評価に値する作品だ。――ジュリアン・バーンズ
『ストーナー』は完璧な小説だ。巧みな語り口、美しい文体、心を深く揺さぶる物語。息を呑むほどの感動が読む人の胸に満ちてる。――「ニューヨーク・タイムズ」
読んでいると、さざ波のようにひたひたと悲しみが寄せてくる。どのページの隅にもかすかに暗い影がちらつき、これからどうなるのだろう、ストーナーはどうするだろうと、期待と不安に駆られ、もどかしい思いでページを繰らずにはいられない。(…)しかしそんな彼にも幸福な時間は訪れる。しみじみとした喜びに浸り、情熱に身を焦がす時間が……。ぎこちなく、おずおずと手を伸ばし、ストーナーはそのひとときを至宝のように慈しむ。その一瞬一瞬がまぶしいばかりの輝きを放つ。なんと美しい小説だろう。そう思うのは、静かな共感が胸に満ちてくるからにちがいない。(「訳者あとがきに代えて」より)
この小説が「面白くない」のは、たぶん、人生というものが、根本的に「面白くない」からではなかろうか。
農家の一人息子として生まれ、新しくできた大学で、農学を学ぶはずだったウィリアム・ストーナー。
ところが彼は入学したミズーリ大学で、「文学」に魅せられてしまい(というか、取り憑かれてしまい、というべきかもしれません)、家業を捨てて、文学者・教育者として生きることになるのです。
内向的で偏屈で、研究者としても高名になるまでには至らず、でも、それなりに学生の指導には情熱を傾け……
彼自身は争いを好む人ではないのだけれど、世の中というのは、「妥協」とか「打算」に乏しい人間は、それだけで「異分子」として避けられることもあるのです。
この本のなかで語られている、「象牙の塔」での、外部からみれば「なぜこんなことで?」と思うような大人同士の縄張り争いのようなものは、僕もいくつか見てきました。
ウィリアムと妻との結婚までの情熱的なやりとり、娘との幸福な時間が描かれているのだけれど、結局のところ、彼らは、どちらが悪い、というわけでもないのに、いがみ合い、すれ違ってしまうのです。
「ドラマチックな小説」であれば、何か劇的なきっかけがあったりするものなのだろうけれど、なんというか、「なぜ、こんなことになってしまったのだろう?」と登場人物に問いかけたくなるような、やるせない関係がそこにはあって、でも、きっと世の中の夫婦とか家族の関係には、そういうのがたくさんあるんですよね。
この小説、読んでいると、胸に押し迫ってくるような「人生における、どうしようもなさ」を痛感させられるエピソード満載です。
ただ、劇的なところはほとんど無いので、若い(20代くらいまで)の人には、「何このダラダラとつまらない人間のつまらない人生を描いた小説?」って思われるかもしれません。
それが、今の僕にとっては、「ああ、『普通の人生』って、こんなものなんだな、なんだか煮詰まってしまっているのは、僕だけじゃなくて、50年前の人も、同じような生きづらさを感じていたんだな」という「救い」を感じさせてくれる小説だったのです。
人生は、大概、あまり幸せじゃない。
でも、そのごく一部に、珠玉の瞬間がもたらされることもある。
巻末の「訳者あとがきに代えて」で、布施由紀子さんは、この翻訳が遺作となった名翻訳家・東江一紀さんの言葉を紹介しています。
「平凡な男の平凡な日常を淡々と綴った地味な小説なんです。そこがなんども言えずいいんですよ」とおっしゃったのは、わたしの恩師で、本書の訳者である故東江一紀先生だ。だからこそ訳したいと思いました、と。
平凡な男の平凡な一生の一代記。
でも、農学をやるつもりで薦められるまま大学に入り、文学に「転向して」しまって、准教授のまま同じ大学でキャリアを終えてしまったという人生は、たぶん、多くの人の「中央値」よりは、はるかにドラマチックなんですよね。
にもかかわらず、やっぱりこれは「地味」な小説です。
よほどのことがなければ、人間、文学的なほどドラマチックには生きられない。
そして、こういう「地味な人生を知ること」で、ラクになる人も少なくないんじゃないかな。
少なくとも、僕にとってはそうでした。
しかし、これだけ思い切って、物語を「回収しない」小説を、よく書いたものだなあ、と思うし、それをちゃんと読んで、評価した人がいることに感心せずにはいられません。
悪いヤツに天罰が下るわけでもないし、離れてしまった家族の心が、何かのきっかけで急に一つになるわけでもない。誰も改心なんてしない、する必要もない。
とはいっても、爆発的に売れたのは、著者の死後、発表から40年以上経ってからで、最初は翻訳が出たフランスで火がつき、本国アメリカでは、なかなか人気が出なかったそうなのですが。
ほんと、50年経っても、アメリカでも日本でも、「突き抜けられない、それでも、諦め切れない人間」って、同じなんだな。
ああ、そういうのが、なんだかとても、愛おしい、ような気がするよ。