琥珀色の戯言

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【読書感想】ルポ トラックドライバー ☆☆☆

ルポ トラックドライバー (朝日新書)

ルポ トラックドライバー (朝日新書)


Kindle版もあります。

ドライバーに同乗取材し、労働実態をつぶさに捉えた初の本格ルポルタージュ!ネット通販ビジネスは活況で、消費者が便利な生活を享受できる一方、運転手の労働条件は厳しくなっている。現場で今、何が起きているのか?長期にわたる取材で見えてきた現実とは―。


 Amazonをはじめとする、ネット通販が当たり前のものになり、宅急便の個人宛の荷物はどんどん増えていっています。
 その量の増加と、不在時の再配達の負担もあり、状況を打開することを目指した業界最大手のヤマト運輸が、Amazonとの契約をやめたことも話題になりました。
 Amazonは、現在、独自の配送網を整備したり、ドローンによる配送をテストしたりもしているのです。

 この本の冒頭で、著者は、1992年に佐川急便でアルバイトをしていたときのことを振り返っています。

 肉体的にも精神的にもきつい仕事であるにもかかわらず、毎日続けられる彼らのモチベーションを支えていたものとはいったい何だったのか。それは同業他社よりも圧倒的に高く、そして他業種と比べても遜色のなかった給与水準にほかならない。当時、「仕事は激務だが、三年我慢して働けば家が建つ」と言われるほど、佐川のセールスドライバーたちが手にする報酬は高額だった。
 居酒屋チェーンのワタミの創業者である渡邉美樹氏は、佐川で一年働いて貯めた300万円を元手にビジネスをスタートした。物流大手SBSホールディングスの創業者である鎌田正彦氏も佐川のセールスドライバー出身だ。このほかにも、佐川での稼ぎを原資に事業に乗り出し、成功を収めている企業経営者は少なくない。
 もっとも、稼ぎが魅力だったのは佐川だけではない。佐川ほど破格ではなくても、当時、トラックドライバーの仕事は確実に稼げる商売だった。「きつい、汚い、危険」の3K仕事である代わりに、高い報酬が約束されていた。トラックドライバーの花形とされる長距離輸送の仕事では、年収が1000万円を超えるケースもあった。
「もしも大学受験に失敗したら……もしも大学卒業後の就職先探しに苦戦したら……今度は正社員ドライバーとしてお世話になればいい」──体力だけは自信のあった18歳の私にとって、佐川やトラックドライバーという職種は、万一の時に駆け込めば、十分に食っていけるだけの収入が得られる「安心して働ける仕事」という認識だった。だからこそ、浪人中の身であったが、自動車の運転免許は取得しておいた。
 あれから約30年。
 トラックドライバーの労働環境は一変してしまった。「3Kでも稼げた」のが、「3Kなのに稼げない」仕事になっている。それどころか、トラックドライバー職を、3Kに「稼げない(KASEGENAI)」の頭文字を加えて「4K仕事」だと揶揄する人もいる。
 この30年の間にいったい何が起こったか。


 トラックドライバーは、ずっと、「きつい仕事」ではあったのです。
 でも、30年前は「きついけれども、体力に自信がある人にとっては、ある程度の期間一生懸命働けば、まとまったお金が稼げる仕事」ではあったのです。
 「きつい仕事」=「悪」だとみなされがちではありますが、報酬がきちんと得られるのであれば、そういう選択肢もあっていい。
 ところが、この30年間で、トラックドライバーの労働環境は、大きく変わってしまいました。


 著者は、東京~名古屋~大阪間(約600キロメートル)を週に3往復している、55歳のトラックドライバー・浅井さんの車に同乗取材をしています。

 浅井さんは同区間を週に三往復する。月曜日夜に東京を出発し、名古屋に立ち寄った後、火曜日早朝に大阪に到着。営業所の休憩室で十分な睡眠をとって火曜日夜には再びハンドルを握り大坂を出発し、名古屋を経由して水曜日早朝に東京に帰還する。水曜日夜には再び東京を出発して──という勤務シフトだ。三往復目は金曜夜の出発・日曜早朝の帰京となる。走行距離は月に1万5000キロ。年間18万キロに達する。
 通常、一往復が終わると、千葉県内の営業所に戻り、雑務をこなした後、車で約1時間かけて同じ県内の自宅に戻る。もっとも、自宅に戻らず、運転席後方にある簡易ベッドで睡眠をとって、そのまま次の乗務に突入することも少なくない。そのため、自宅に戻るのは週2日程度だ。


 東京~名古屋~大阪を週に3往復、大型車の運転は気を遣うだろうけど、あまり人間関係に煩わされずに仕事をできそうだし、そんなに悪くないのでは……と思っていたのですが、仕事の詳細を読んでいくと、荷物の積み降ろしがあったり、約束の時間を守るために、無理をしなければならないことがあったりと、1週間だけならともかく、これをずっと続けていくのはきついよなあ、と思い知らされました。
 トラックを運転している時間以外のほとんどは、睡眠・休養をとっている時間で、家にはほとんど帰れないのです。
 当直とかをしていて痛感するのは「家に帰れない」というのが続くのは、かなりのストレスだということなんですよね。慣れはあるのでしょうけど、眠っても、疲れがとれないというか……

 トラックドライバーの仕事は、肉体的、精神的な負荷が大きい上、拘束時間が長い。厚生労働省の2019年の調査によれば、年間労働時間の全産業平均は2076時間であったのに対し、大型ドライバーは2580時間、中小型ドライバーは2496時間だった。月べースだと大型ドライバーで42時間、中小型ドライバーで35時間長く働いた計算になる。
 実際、この日、名古屋に到着した時点で、浅井さんの拘束時間はすでに8時間半を経過。さらに大阪までの運転時間を加えると、ちょうど12時間となる計算だ(休憩時間を含む)。
 それでも、労働の対価は低く抑えられている。バブル全盛期の80年代後半には、「年収が1000万円を超えるトラックドライバーも少なくなかった」(大手トラック運送会社社長)が、1990年の規制緩和(新規参入要件の緩和、運賃の実質自由化など)で事業者間の競争が激化。以降、運賃値下げや景気低迷などの影響で、トラックドライバーの待遇は悪化した。
 厚生労働省の調査によれば、2019年度、大型トラックドライバーの年間所得額は456万円、中小型トラックドライバーは419万円。全産業平均の501万円と比較すると、大型ドライバーで約1割、中小型ドライバーで2割ほど低い。つまり、トラックドライバーは、このおよそ30年の間に、きつくても稼げる仕事から、きついにもかかわらず稼げない職業に転落してしまった。
 実際、浅井さんの年収は500万円弱。ここ数年、その額はほぼ横ばいだという。
 トラックドライバーの数はピーク時に約90万人に達していた。しかし、総務省によれば、その数は2015年時点で80万人にまで落ち込んだ。職業としての魅力が薄れてしまったことが大きく影響している。
 それと並行して、高齢化の波も押し寄せている。現在、トラックドライバーの約7割は40代以上で、全体の15%を60代以上が占める。浅井さんも「社内や外部の仲間もドライバーたちはほとんどが40代以上」と指摘する。


 「きつくても稼げる仕事」だったのが「きついのに稼げない仕事」になってしまったトラックドライバーなのですが、これだけ人手不足になれば、働く側にとっては有利な条件を引き出しやすいのではないかと思うのです。
 ところが、トラックドライバーは現時点では「足りない」のですが、自動運転車の開発やドローンを使った配送の研究が進められており、中〜長期的には「無くなってしまう、あるいは、今よりも少ない人数しか必要としない仕事」になってしまう可能性もあるのです。
 人手不足もあって、さまざまな技術革新が急ピッチで行われてきており、その結果、若い人が今からドライバーとして参入するのはリスクが高い、とも考えられます。もっとも、今の職業の多くが、10年、20年後も同じように稼げるかどうかなんて、わからないんですけどね。銀行員とか証券会社に勤めている人、法律家なども、AI(人工知能)の発達で、無くなってしまう仕事だとも言われています。
 その一方で、現在の日本の道路などのインフラや住宅事情のなかで、自動運転車やドローンを導入することの難しさも著者は指摘しています。
 逆に言えば、「AIやロボットを使うよりも、人間にやらせたほうが安上がりな仕事」になれば、AIの代わりに人間が働くことになる可能性もあります。それが、良いことなのかどうかはさておき。
 再配達を減らすように予定の時間にはなるべく家に居るようにするとか、宅配ボックスの設置など、利用者側の配慮で、業者側の負担もだいぶ違うのだそうです。「配送料無料」と言っても、本当に「タダ」で品物が運ばれているわけではない、というのも考えておくべきなのでしょう。
 結局、「配達予定時間に家にいて、応対しなければならないのもけっこう面倒で、自分で買いものに行ったほうが手っ取り早いし、気分転換にもなる」っていう商品は、けっこう多いような気もするんですよね。


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