琥珀色の戯言

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【読書感想】内澤旬子の 島へんろの記 ☆☆☆☆

内澤旬子の 島へんろの記

内澤旬子の 島へんろの記

  • 作者:内澤 旬子
  • 発売日: 2020/11/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


Kindle版もあります。

内澤旬子の島へんろの記

内澤旬子の島へんろの記

般若心経を唱え、迷って、歩いて、また迷って――。四国八十八ヶ所だけでなく、香川県最大の島である小豆島の中に八十八ヶ所の霊場があることはあまり知られていない。海あり山ありの風光明媚な遍路道、祈ることの意味、島民とのふれあいなど、島に移住した人気エッセイストが書き尽くす、結願まで約2年の迷走巡礼記


 四国八十八ヶ所霊場を巡礼する「お遍路」は有名ですし、僕も興味があって、さまざまな「体験記」を読んできたのですが、小豆島の島内にも、そのミニチュア版(という言い方は適切ではないかもしれませんが)の「島へんろ」というのがあるんですね。この本を書店でみかけてパラパラとめくり、はじめて知りました。

 「何か活字を目で追いたいけれど、なんだか疲れていて、長い物語を自分で整理しながら読んだり、書き手の感情が重すぎたりするのはつらいな……」というときって、ありませんか?
 僕はそういうとき、エッセイ集か旅行記を手に取ることが多いのです。
 今日は、なかなかこの気分にあてはまる本がないなあ、と新型コロナ感染予防のため、長時間の滞在を避けるように、というアナウンスが流れているTSUTAYAをさまよっていた末に、見つけたのがこの本でした。
 小豆島やお遍路に、そんなに興味津々、というわけでもなかったのだけれど。

 著者の内澤旬子さんのことを知ったのは、『世界屠畜紀行』という著書が話題になった2011年でした。

fujipon.hatenadiary.com

 小豆島に移住された、というのは知っていたのですが、乳がんの闘病やストーカー被害など、いろんなことがあった内澤さん。バイタリティにあふれた人だなあ、と感心するのですが、本人には、「なんで自分は生きていて、自分よりずっと生きようと頑張っていた同じ病気の人は生きられなかったのだろう」というような葛藤もあった(というか、現在でもある)そうです。

 関東で生まれ暮らしてきた身としては、島といえば東京都下の伊豆七島を思い浮かべるので、港は各島ほとんどひとつか二つだし、つながりも、伊豆半島か、東京方面かという具合で、方向的にはひとつ。本州に無理やりしがみつくようなイメージ。一方、まるで蜘蛛の巣のように四方に航路を延ばしている小豆島は、孤立感が非常に少ない。本州の中にいるようなものだ。瀬戸大橋ができて、四国が本州とつながって以降、余計に生け簀、じゃなくて内海の中にいる感じが強い。
 という島である。当然のことながら、一日歩けばぐるっと一周できるなどという広さではない。はじめて来た時は、車で朝から夕方まで、一日かけて海岸線を一周、案内していただいたくらい。当然お遍路巡礼も、一日で回りきるなどということは、できそうにない。なにしろ札所の数は四国と同じ、八十八もあるのだ。
 そう、四国と同じで八十八の霊場があるってことは、なんとなく知っていた。車でその辺を走っていれば、「第〇番札所 〇〇寺」という看板に出くわす。歩いていると「へんろ道」と書いた指さし看板も、ちょこちょこついている。え、ここが?? けもの道じゃないの? というような山の小道を指していることも多くて、ぎょっとするのだ。
 四国の八十八か所を歩いたことがあるわけではない。高松近辺のいくつかのお寺は車で立ち寄ったことはある。どこも島の寺院に比べて巨大で、はじめの門をくぐって大木が並ぶ風情ある参道を歩くだけで、まあまあ大変であり楽しめた。ただし、友人のエッセイスト宮田珠己氏の『だいたい四国八十八か所』(集英社文庫)によれば、巡礼路の全体を俯瞰すると、ほとんどが国道のつまんない道だという。そりゃそうだろうなと当時は妙に納得した。あれだけ大きい島、じゃないや、四国なのだもの。


 小豆島の八十八か所の霊場をめぐる「島へんろ」なのですが、一気に島を歩いて一周する、というのではなくて、「八十八か所を細切れにして、朝から昼過ぎ、あるいは夕方までに行ける範囲の何か所かを少しずつ回っていく」という方法で行われています。
 内澤さんは家でヤギを飼っていて、その餌やりのために、終日家を空けるのは難しいのです。
 日常を捨てて、ひたすら次の目的地に向かって歩いていく、という、非日常に没入していく感じではなくて、二年近くかけて、少しずつ霊場を歩いて巡っていった記録になっているのです。
 期間が長いので、そのお遍路の間にも、プライベートでさまざまなことが起こってきます。


 四国に比べれば、ずっと狭い小豆島、それも、細切れにして半日で行ける距離くらいが一回分だから、そんなにきつくないのでは……とも思います。実際、命の危険を感じるような事態にはなりませんし、旅先での人との濃密な出会いもありません。「山道を歩いているときには、誰とも出会わなかった」と内澤さんも書いておられます。
 ただ、それだけに、日常感があるというか、「お遍路」とはいっても、頭の中では、けっこう邪念というか、いつもと同じようなことを考え、言語化しながら歩いているのが伝わってきて、人間って、そういうものだよなあ、と安心するのです。


 この「島へんろ」を読んでいると、道がわかりにくくて、迷ってしまう話がとにかくたくさん出てきます。
 

 と、私にしてはここまで道に迷うことなく、つまりきっと子どもでも迷わないレベルの簡素な道程であった。なんだ、私も随分慣れてきたのかな、などと思い上がりつつ、屋形崎、見目の集落内を東に横断する。これがすごかった。今までの中で一番の難易度(迷いやすいという意味で)の遍路道なのだった。まさに路地へんろ。しかしあまりにも複雑すぎるためなのか、集落の方々が大変親切に道を教えてくださったため、全く迷うことなく藤原寺までたどり着くことができたのだ。道が複雑すぎると、かえって迷わないという皮肉。
 まず金剛山を出て最初の案内板まで行ったところで、軽トラを運転していたおじいさんが、私が何も聞いていないのに、わざわざ車を停めて降りて来て、「このあたりの遍路道は昔からのまんまだから」「ここの横を下って公民館の……」と、先の先までというか、目的地までの行き方を細かくご指南くださった。いやはや。これがなければ、私は見目の集落で永遠に迷子になっていただろう。あのおじいさんの口述道程をそのまま文字に起こして案内図にのせたらいいのに。録音しておかなかったのが残念だ。それくらい細かく長く呪文のように唱えてくださった。きっと、出会う歩き遍路全員に指南してくださっているのだろう。
 道程は、え、こんな細い道を下るんですか?? これって個人の家の勝手口脇の通路にしか見えないんですけど、とビビるような細道ばかりなのである。しかも急な下りとか。山じゃないのに。お遍路ステッカーが貼ってあっても、地元の人に「ここだから行け」と言われなければ、それとわからない道の連続なのだ。
 そして後半、軽トラおじいさんの呪文を忘れてしまい(それくらい要注意ポイントや目印が多いのだ)うろうろしだしたところで、焚火をしていた女性からすかさず、「そこはまっすぐですよ」と支援が入った。ありがたい!
 ホントに驚くほど、人の家に侵入しているのでは、といった感が強い。こんな路地ははじめてだ。小豆島の路地だけではなく、鎌倉や谷中・千駄木・根津などの路地もよく歩いたけれど、都会だからなのか、ごちゃごちゃしていてもどこも生け垣や塀が高く、個人の家同士の境界はわりとしっかりしていたように思う。ここの路地は、もっと家と家が近い。


 内澤さんは、かなりの方向音痴だと自認しておられますが、何度も島へんろを経験している人と一緒に行った際、その人も道に迷っていたということで、かなり難易度が高い道であることがうかがえます。
 そこが面白さでもあるのかもしれませんが、スマートフォンがない時代に島へんろをやるのは、すごく大変だったのではなかろうか。

 そんなに小豆島での暮らしが居心地よいのかと問われると、首を横に振りはしないけれど、斜めに傾けてしまう。もちろんヤギや猪と暮らすこともできたし、楽しいこともたくさんあるのだけれど、引っ越す前から予想していた通り、よそ者としての肩身の狭さもあるし、面倒なトラブルだってある。手放しで田舎暮らしを礼賛する気にはなれない。
 ただし、景色だけは別だ。海も山もどこもかしこも絶景だらけなのだ。しかもちょこまかと変化する。
 小豆島の遍路道は、島の絶景を数珠つなぎにしたようなものだ。歩いていて退屈な景色はほとんどないと言っていいくらい、変化に富んだ景色を楽しむことができる。そして目に見えない霊的なものから逃げ回っておいて最後の最後にこんなことを書くのは恐縮なのだが、「霊場」と呼ぶのにふさわしい気を湛えている。


 なんだか面倒くさいことばっかりだな、と思いながら読んできたのですが、「おわりに」で書かれているこの文章を読んで、小豆島を訪れてみたくなりました。「島へんろ」は、やらないだろうけど。


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