琥珀色の戯言

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【読書感想】世界の混沌を歩く ダークツーリスト ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
危険地帯ジャーナリスト・丸山ゴンザレスが見た世界のうねり。麻薬戦争、マリファナ合法化、難民、貧困、ブラックビジネス、スラム街、大都市の陰影。世界中にあふれる様々な「闇」と、そこに生きる人々を追いかけ問い続けた、クレイジーな旅の記録。その後のストーリーと、作家・佐藤究との対談を新たに収録。


 『クレイジージャーニー』でも大活躍されていた、世界中の危険地帯を取材するジャーナリスト、丸山ゴンザレスさんの著書です。
 『クレイジージャーニー』は、残念ながら、不祥事で終了してしまったのですが、僕としては、こういう唯一無二の番組を終わらせてしまうのはもったいないなあ、と思っているのです。
 この本を読んでいると、丸山さんの場合には、担当ディレクター兼カメラマンと2人で危険地帯に乗り込んでいたそうで、さまざまなリスクを考えての番組終了になったのではないか、という気もします。

 ただ、あの番組を観た人から、「あれって本当なんですか?」と尋ねられることが増えた、と丸山さんは仰っています。
 視聴者の側にも、「疑う習慣」ができているのも事実なのです。

 どうやら、番組だけえは伝えきれなかったことがあるのではないか。そんな懸念が消えなかった。
 そもそも、私が取材してきたジャンルは「ダークツーリズム」に分類されるもので、主に20世紀の人類の罪、たとえば戦争や紛争、大量虐殺、テロ、貧困、災害の現場となった負の遺産を巡る新たな観光スタイルとされている日本では福島第一原発東日本大震災津波で被害を受けた地域を巡る旅も含まれることがある。
 ダークツーリズムの参加者は、現場に行き、歴史を知って次の世代へと語り継いでいく必要があるとされる。とはいえ、世界の負の遺産についての基礎情報や周辺情報をよく知る人は、それほど多くないだろう。それに、限られた放送時間内で伝えられる情報にはどうしても限界がある。『クレイジージャーニー』を見て、私や、私の取材場所に興味を持ってくれた人のためにも、できる限り言葉を尽くし、詳細な情報を盛り込んで、伝える場所がほしい──。
 そんな私の純情かつ、切なる願いが実を結んだのが本書である。人類の「闇」を見つめるために世界を歩く旅人、すなわち「ダークツーリスト」として、危険地帯や人類の負の遺産、そこに生きる人々を追いかけた旅行記であり、見方を変えれば『クレイジージャーニー』の裏日記でもある。


 メキシコでのドラッグを巡る組織の争いや、ヨーロッパやアメリカで地下生活を送っている人たちへの直接取材など、こんなの一つ間違ったら、命を落としてもおかしくないな、という話の連続で、読んでいて感覚がマヒしてしまうくらいです。
 メキシコで、著者一行は路上にいきなり目を潰され、靴を履いていない遺体が転がっているのを発見したのですが、翌日の新聞では「事故」と報じられていたそうです。
 麻薬組織と対抗するためにつくられた地元の自警団が、勢力を弱めた麻薬組織の代わりに、いつのまにか麻薬の利権を握るようになってしまい、警察と抗争している、なんて話を読むと、こういうのって、どうすれば「正常化」されるのだろうか、考え込んでしまいます。

 著者は、ギリシャアテネで、ドイツを目指す難民たちが、支援団体から配給された弁当を残して捨てていることに気づきます。
 難民としてやってきたのに、ボランティアの人たちがくれたご飯を残すなんて……と、不快感を抱くのと同時に、食べてみたくなり、彼らが手をつけていなかった、未開封の弁当をひとつもらうのです(無理矢理お願いした、というよりは、「どうせ食べないからあげるよ、という感じで)。

「ありがとう」
 そう言って、弁当の蓋を取る。見た目はただのパスタだ。ひと口放り込んでみる。味付けがされていない、油を絡めただけのパスタがあまりに不味すぎる。
「ん!」
 さっきまで傍観者を決め込んだような顔をしていた男たちに笑みが浮かぶ。すでにこののびたうどんのような油パスタを食べた経験のある彼らは、私がこうなることをわかっていたのだろう。
 結局、私も残してしまった。
 あらためて認識したのは、彼らは難民ではあるが、元々貧乏で何も食べられなかった人たちではなく、ギリシャまで渡れる程度のお金を持っていた人。おそらく中産階級だった人が多いということだ。考えてもみてほしい。日本で暮らしていて、ある日突然のトラブルで財産を失い、明日食べるものがない状態になったとしよう。だからといって、残飯を漁ったりはしないだろうし、味覚を急に貧乏飯に合わせられる人は少ないのではないだろうか。
 この現象には覚えがある。東日本大震災の発生直後、私はすぐに地元の宮城に戻った。その頃、日本中から送られてきた物資のなかには、「被災者はなにもなくなったから、なんでも使うでしょ」という意図なのか、焼き肉のタレだけとか、使い古しの服なんかもあったのだ。これは紛れもなく善意である。しかし、仕分けするボランティアの手間や、被災者は普通の暮らしをしていた被災者の気持ちを想像していたとは言い難いように思えた。
 だから、このパスタも量はあるものの、食べる人のことを考えたものではないのだろう。もちろん、善意が前提になっているので文句を言うべきことでもない。だからといって、残している人を責めることもできない。それは自分で食べてみてよくわかった。
 食べ物ひとつとっても、彼らを取り巻く環境がいかに厳しいものか実感した。


 こういうのって、実際に現地に行って、このパスタを食べてみないとわからない、伝えられないことだと思うのです。
 僕だって、難民が配られた食事を残している、というのを映像でみただけなら、「助けてもらっている立場なのに、贅沢だなあ」と言いたくなっていたはず。
 もちろん、助けている側も「善意」から行っていることであり、だからこそ、「助けている側と助けられている側の断絶」と、とくに「助けようとしている側の無知」が浮き彫りにされるのです。
 これは、弁当ひとつの話ではなくて、難民たちが仕事を探したり、生活していったりする上で、「彼らが求めているもののレベル」と、「助けようとする側が想定している待遇」が大きくかけ離れている、ことが多いのでしょう。
 お互いの「こんなはずじゃなかった」という気持ちが、反感や敵意を生んでしまうのです。


 ダークツーリストとして生きていくには、胃腸が頑丈でないと難しそうです。

 まず、私がキベラスラム(ケニア・ナイロビ)で食べたもののなかでもっとも衝撃的だったのは、牛の足や頭といった、通常ならば捨てられる部位を煮込んだスープだ。いままで海外で様々なものを口にしてきたが、過去最大級に美味しくなかった。まずいだけならまだしも、肉の腐敗が進行していたために、口元に近づけた段階で異臭が漂っていた。スープはまともな味付けもされておらず、カロリー摂取のためだけに作られたようなメニューだった。実はこうした牛の廃棄部位を使ったスープはアフリカ各地で食べられているので、キベラ限定メニューではない。同じ苦しみを味わった観光客もいることだろう。
 ちなみにこのスープを飲んだ夜、私は強烈な腹痛、嘔吐、脂汗に襲われて目をさました。かなりの激痛だったが、太田胃散を飲んだおかげだろうか、翌日にはスッキリとして取材に臨むことができた。
 せっかくなので、スープのレシピを公開しておこう。私は料理人ではないが、見ただけで作り方はわかる。


(1)廃棄部位を火にくべる
(2)焼けたら皮ごと毛をむしる
(3)寸胴鍋に突っ込んで煮込む


 以上である。
 もしかしたら、スラム街の住人ならば腹を壊さないのかもしれないが、並の胃袋の持ち主だったら、私と同じ結果になるはずだ。それほどの逸品だったとだけ言っておく。


 著者の場合は、取材の際に相手との距離を詰めるために、衛生的に不安なものも食べなければならないことも多々あるようです。
 そういえば、いかりや長介さんも、大好きだったというアフリカに行ったときには、どんなものでも食べるようにしていた、と仰っていました。

 丸山さんの活動に興味がある人には、おすすめの本です。
 「クレイジー」にみえるけれど、テレビに映らないところでは、いろんなリスクを計算しながら取材をされているということもわかります。


クレイジージャーニー [DVD]

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  • 発売日: 2016/01/27
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