- 作者: 佐高信,早野透
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2015/07/17
- メディア: 新書
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Kindle版もあります。
- 作者: 佐高信,早野透
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2016/01/22
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内容(「BOOK」データベースより)
軍国ファシズムを告発した戦後民主主義の思想的支柱・丸山眞男と、憲法改正には目もくれず民衆の生活向上に邁進した“コンピューター付きブルドーザー”田中角栄。辺境の少数者や、共同体のはぐれ者まで含めた、庶民が担うデモクラシーこそ政治の根幹であるとし、戦争体験とその悔恨を原点に、戦後日本を実践・体現した二人の足跡を振り返る。右傾化への道を暴走する安倍政権が「戦後レジームからの脱却」を唱える今こそ、国家による思惟の独占を阻み、闘い続けるための可能性を問う、闘争の書。
安倍晋三首相は、しばしば、「戦後レジームからの脱却」という言葉を口にしています。
「レジーム」というのは「体制」とか「制度」のことで、「第二次世界大戦後にできあがって、今でも続いている世界の枠組み」から、日本を自由にしたい、というのが、安倍首相の悲願のようです。
でも、果たしてそれを日本国民が望んでいるのか?
そもそも、「戦後」とは何だったのか?
(過去形、ではないのかもしれないけれども)
この本では、1945年生まれで、「戦後の日本と同じだけ生きてきた」ふたりが、田中角栄さんと、丸山眞男さんの考え方、生き方を通じて、「日本の戦後」について対話しています。
早野透さんは、序文でこう仰っています。
「叡知」の丸山先生と「金権」の角栄では、むろん違いすぎる。大正デモクラシー時代から戦争期になり、ともに二等兵として徴兵され、同じ年代を生きたふたりとはいえ、「戦後」になってからのふたりは、丸山先生は武蔵野の旧屋に住み、角栄は目白御殿を構えて、住む世界もあまりに違うではないか。接点のありようもない。
ただ、共通点といえば、ふたりとももったいぶらない人柄で、わりとおしゃべり好きだった。そこに含まれる言葉の面白さは心に残る。「学問」に裏打ちされた丸山先生の言葉と、現実を生き抜いた田中角栄の「世知」の言葉の違いはあるけれども、それは人々に伝播して、それぞれ時代をつくる言葉となる。佐高信と私がたまに会って「戦後」という我々が生きてきた時代を振り返ると、そうだよなあ、俺たちの「戦後」の上半身をつくったのは丸山眞男、下半身をつくったのは角栄だったんじゃないか、そんな話で盛り上がるようになる。
我々の生きた「戦後」は、まず「平和」への熱望、そして少しでも豊かに暮らしていきたいという「繁栄」への憧憬、このふたつのキーワードに集約される。そこには、戦争でひどい目にあった人々の、もうあんな時代は二度と来てほしくないという思いがあったはずである。ところが、その「戦後」が、ときどき自民党政権の政治家からヤリ玉にあげられるようになる。
田中角栄という人は、毀誉褒貶が激しいというか、1970年代前半生まれの僕には、ロッキード事件の印象が強いので、「派閥政治・金権政治の親玉」なのですが、僕より上の年代の人たちには、また違った見かたもあるようです。
早野透:2015年の元旦にNHKが戦後70年特集をやりました。タモリ、半藤利一さん、中園ミホさんという脚本家が出演していた番組です。これが面白かった。「戦後を象徴する人物」というお題で、NHKが3600人の世論調査をした。すると1位が田中角栄、2位が吉田茂、3位が昭和天皇、4位がマッカーサーという結果でした、吉田、昭和天皇、マッカーサーは、上から、あるいは外からの民主主義を代表していますよね。
5位が、なんと佐藤栄作です。6位が小泉純一郎。
ちなみに、田中角栄さんは「ダントツのトップ」だったそうです。
戦後の「偉人」ではなく、戦後を「象徴」する人物として、田中角栄さんは、人々の心に残っているのです。
圧倒的な行動力で高度成長を実現したという功績と、拝金主義に陥り、ロッキード事件で逮捕されながらも、田中派を通じて政界を牛耳り続けた、という両面性もまた、「戦後らしさ」だとみなされているのでしょう。
田中角栄という人が行なってきた「地方への利益誘導」というのも、見かたによっては、「絶対悪」ではないんですよね。
早野:角栄は経済官僚の中に身を置いて、しかし官僚に毒されずに、むしろ官僚を使う。経済は戦争ではなく平和が前提だという立場があって、その象徴が角栄ですよね。しかし経済官僚派の中でも発想の違いがある。経済官僚主導による企業の復興という方向と、そうではなく角栄のように生活経済の拡充に向かうという志向と。もちろん道路や橋を造るのは企業の便益にもなるけれど、角栄は生活経済の極限のところに向かう。
たとえば小千谷市の塩谷地区です。そこは住宅が60戸しかない孤立集落だった。住人たちは戦前に7年かけて自分たちで造った手掘りのトンネルで行き来をしていた。トンネルといっても自動車は通れない。そこに角栄は12億円をかけてトンネルを造るわけです。こういう例は新潟三区には多々あって、旧山古志村の小松倉の中山トンネルもそうです。当然のように、受益人口に対して財政投資の額が合わないという批判が殺到する。しかし、角栄は財政よりも100人、150人の生活を優先させるんです。そこに最後の尻尾のように繋がるのが、小沢一郎の「国民の生活が第一」なんですけれど、しかしながら私は、小沢が生活の人だとは思いません。小沢はやはり政局の人です。
早野:のちに角栄は、田中派という多数支配、強権支配に走っていく時期もあったけれども、その思想の根底には少数意見への想像力があった。だから「10人の兄弟がいれば、ひとりくらい共産党になるのだ」という、得意の台詞も出てくる。これは裏返して、政治思想や支持政党は違っていても、親が死ねば皆集まるという言い方もしていた。これは彼が持っていた、日本の共同体への郷愁でもある。一方の丸山先生は学問の力で、ヨーロッパ普遍主義のほうに飛翔して、そこから日本の前近代性を批判する。丸山先生の理知的な戦後と、角栄の肉体的な戦後というふうに、ひとつの対称性をもっている。
田中角栄がやったことは「非効率的」ではあったけれど、「少数派のために、効率を考えずにお金を遣う」というのは、ある意味「社会福祉」であり、こういう「偏り」を実現するのが政治の役割、というところもあるんですよね。
角栄さんの場合は、それが「地元」「選挙区」に偏ってしまったのが問題だけれど(さりとて、全国で同じことを一斉にやれるほどの財力もなかっただろうけど)、「効率が良いところ」にしかお金を使わないというのは「弱者切り捨て」でもある。
そして、この「10人の兄弟がいれば、ひとりくらい共産党になる」という言葉には、イデオロギーよりも家族とか共同体の力への信頼があったのです。
これは、昔ほどではなくても、今の世の中でもそうかもしれません。
田中角栄という人は、中国に対する姿勢も、終始「(戦争で)迷惑をかけてすまなかった」だったそうです。
「平和であること(戦争をしないこと)」「豊かであること」を、ひたすら目指していた。
丸山眞男と田中角栄は、ともに最下層である「二等兵」として、太平洋戦争に従軍していました。
だからこそ、「庶民目線」で、戦争や国家、そこで生きる人たちの「生活」をみていたのです。
汚職政治家、というイメージが強くなってしまったけれど、田中角栄は、社会福祉、社会保障に大きく貢献していたことも、ふたりは指摘しています。
まあ、当時の日本が高度成長期で、人口も増加し、右肩上がりの時代だったというのは、大きかったんでしょうけどね。
佐高信:安倍(首相)の「戦後レジームからの脱却」は、丸山と角栄をひっくり返すということですよ。丸山や角栄が根付かせた戦後的価値を破壊する。平和主義、公共の精神、弱者保護を終わりにする、そういうことでしょう。
僕としては「そういうこと」じゃないのを願ってはいますが、いまの世の中の動きをみていると、「そういう方向」に動いているように見えてしまいます。
「戦後レジーム」とは、本当に「脱却」されるべきものなのか?
僕などは、それにどっぷり浸かってしまっている人間だからそう思うのであって、もっと若い世代は「弱肉強食のほうが合理的だろ」と、あっさり受け入れてしまうのだろうか。