琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

【読書感想】書評稼業四十年 ☆☆☆☆

書評稼業四十年

書評稼業四十年

内容紹介
本を読んで暮らしたいだけだった。

中間小説雑誌が熱かった時代に
小説の洗礼を受けた青年は
気づけば書評家になっていた。

エンタメ書評界の回想録

本を読むだけでは生活できない。そのくらいはわかっていた。だから、働く必要がある。ここまではわかるのだが、そこから先がわからない。働くことのイメージが何もないのだ。つきたい職業が一つもなかった。それが二十歳のときの正直な実感である。(あとがきより)


 「本を読んで暮らしていく」ことが可能なのだろうか?
 作家や作品に関しては、さまざまな形で語られることは多いのですが、「書評家」という存在が他者から「評論」される機会はそんなにないはずです。
 ネット社会になって、「評論への評論」もやりやすくなったとはいえ、現状では、短い賞賛や罵声がほとんどではあります。
 そんななかで、日本を代表する、プロのエンターテインメント書評家である北上次郎(=目黒考二)さんが、自らの書評家としての半生と知己の書評家たちについて語っているのがこの本なのです。

 「本の雑誌」の創刊が1976年。私が「北上次郎」名でその創刊号に書いたミステリ時評のタイトルは「森村誠一なんてつまらない 社会派はこんなところまできてしまった」というものであった。創刊号はたったの五百部ではあったものの、都内の書店五軒で販売した。北上次郎という筆名と使ったのはいつか、ということについては後述するけれど、本の雑誌の創刊号の前にも使用したのかもしれないが、まあ数年の差だろう。だから、書評家人生も四十年が過ぎてしまったことになる。

 読んでいると、さすが北上さん、こんな昔のこと(40年以上も前のこと)をよく覚えているなあ、と感心せずにはいられません。
 そして、書評家というのは、基本的に「食えない仕事」であることも語られています。
 大森望さんは新潮社の社員、杉江松恋さんは一般企業に勤めていて、北上さん自身も「本の雑誌」から給料をもらっていた、と。
 その一方で、「別の職業を持たずに書評家人生を全うしてきた」人たちとして、「ワセダの荻窪組」(早稲田大学のワセダ・ミステリ・クラブ出身者)として、新保博久香山二三郎関口苑生、皆川正夫各氏の名前を挙げています。


 この本のなかで、とくに興味深かったのは、北上さんが「書評家」の分類を試みているところでした。
 僕は、「本が好きで、『本の雑誌』の時評や文庫本の『解説』を、よく書いている人たち」という枠でひとくくりにしていたけれど、彼らにも得意なジャンルや必殺技、みたいなものがあるのです。

 パソコンを買ったころだからずいぶん昔の話になるが、「北上次郎」を検索したことがある。今でも覚えているのは、「北上次郎」を「リオのカーニバルの踊り子」と評した人がいたことだ。正確な文章は忘れてしまったが、「北上次郎の書評は、リオのカーニバルの踊り子のようにいつも熱に浮かされて踊っているので、こちらもふらふらと踊りたくなる」というニュアンスの文章だった。もしもその北上評が正しいのなら、私もまた霜月蒼と同じジャンルの書評家ということになる。つまり「煽り書評」だ。村上貴史も同じジャンルの書評家だといっていい。
 書評家を大きくわけると、まず三つにわけられる。たとえば、杉江松恋と川出正樹は明らかに書評家というよりも評論家だろう。それが彼らの特質だ。新保博久日下三蔵は、書斎派型の研究家。私、霜月蒼、村上貴史は「煽り書評」を書く扇動家。この三タイプがまずある。大森望は何だろう、書評家でも評論家でも研究家でもなく、本質は編集者だ。だから全体のバランスを見るのがうまい。そうか、池上冬樹を忘れてた。


 北上さんは、集英社文庫の『勝手に! 文庫解説』の巻末に収録されている、大森望池上冬樹杉江松恋北上次郎の四氏による座談会を紹介しています。

 文庫解説のあれこれについて、酒場で話題になることはあってもこうして活字になるのは初めてではないか、と思われるほど興味深いことの連続で、特にのけぞったのは大森望の次の発言だ。この男はつまらない文庫解説の依頼がくると「このつまらない小説をどうやって面白く見せようかと、逆にファイトが湧きますよ」と言うのだ。そのくだりの杉江松恋との掛け合いは、文庫解説史に残る貴重な発言だと思うので、ここに引いておきたい。

杉江:僕は、解説は商品だと思っていますから、文庫を買った人が、解説を含めて満足してくれることが第一。もし作品が二線級だったら、僕の解説を足してちょっとでもお得になるようにしてやろうと考えます。


大森:だから本がつまらないと、三十枚とか、長く書いちゃう。


 この二人はホントにすごい。同業者の項で書くつもりがうっかり忘れていたので、ここで書こう。その座談会にはこの直前にこういうくだりがある。

大森:池上さんは傑作派なんです。その作家の代表作や傑作の解説を書くことに燃える。


杉江:北上さんもそうでしょ。


 そうなんだ。そういう分け方が出来るんだ、とこのとき初めて知った。池上冬樹は「いい作家といい作品しかとりあげない主義なので断った文庫解説もあります」と2011年の解説文庫リストを振り返ったときに書いていたから、「傑作派」であることは間違い。
 先に書いた奥田英朗『最悪』や、石田衣良『少年計数機』の例に見られるように、もちろん私もそうだ。岡嶋二人『どんなに上手に隠れても』の文庫解説で『チョコレートゲーム』について書いてしまうのも、梶尾真治『OKAGE』の文庫解説で『サラマンダー殲滅』の話を書いてしまうのも、すべて私が「傑作派」だからに他ならない。
 というよりも、みんながそうだとばかり思っていた。つまらない小説の解説を依頼されるとファイトが湧いてくる人がいるなんて、私の想像を超えている。


 文庫本の解説って、著者と交流がある人か、その作品を高く評価している人がやっているものだと思っていたのですが、実際は、「これ面白くないんだけどな……」という依頼を受けることもあるんですね。たしかに、出版されている文庫がすべて傑作、あるいは水準以上の佳作、ということはありえないわけで。
 そこで、「これは気乗りしないから」と断るのはわかるし、「とはいえ、仕事だから」と、それなりのことを書いてお茶を濁す、というのも理解できます。実際、その作品にあまり触れない「解説」って、けっこうあるような気がします。
 杉江松恋さんや大森望さんのように、「面白くない本だから、自分がサービスしよう!」と思う人もいるのだなあ。
 ということは、杉江さんや大森さんが、長い解説を載せている文庫は、「危険」なのかもしれませんね。
 書評家という仕事への「誠実さ」にも、いろいろな形があるものみたいです。

 この本には、その他にも読みどころがたくさんあって、北上さんが、40年前の中間小説誌がものすごく売れていた時代のことを総括した文章も載せられています。
 

 ただし、部数に関しては、少しだけ補足が必要かもしれない。昭和36年に、小説新潮が35~40万部、オール讀物が30万部という数字が当時の出版年鑑に載っているが(昭和40年になると、オール讀物が45万部で小説新潮が記載なし。ただし、『新潮社100年』によると、昭和33年に小説新潮は45万部を記録したとある)、この出版年鑑のデータは昭和46年以降はABC(雑誌広告協会)の実売部数に代わり、小説新潮が載らなくなってしまう。さらに、肝心要の昭和41年から昭和45年(すなわち、1966年~1970年)のデータが欠けているのだ。
 昭和46年(1971年)のABC調査では、オール讀物が「32万9802部」で、小説現代が「26万9459部」であることだけ、ここに書いておくが(つまり70年代に入って、中間小説の実売部数は下降線をたどっていく。それでも各誌ともに20万部以上売れていたというのは、今から考えればこの70年代の数字でも凄いことだけど)、昭和43年の小説現代の実売部数が35万部だったという『文壇うたかた物語』の数字が正しければ、1960年代後半の中間小説誌御三家(『小説現代』『オール讀物』『小説新潮』)の部数は、三誌で100万部を超えていたと類推できる。中間小説誌第二の黄金時代と言われたこの時代には、他にも中間小説を掲載する雑誌がたくさんあったから、総部数は(実売部数でも)軽く百万部を超えていたのである。すごい時代があったものだ。
 これがもちろん、五木寛之野坂昭如という新時代の作家たちだけが生み出したものではないことも書いておく必要がある。昭和30年から昭和35年までの、小説新潮オール讀物の発行部数を出版年鑑から拾った表をここに掲げるが、五木寛之野坂昭如という新時代を象徴する作家たちが登場する以前に、中間小説誌はたった二誌で60万部前後の高部数を誇っていたことに注意されたい。昭和37年の暮れ以降、ここに小説現代の数字が乗っかるのだ。
 つまり、中間小説誌の第一期の黄金時代だった1950年代半ばからずっと、中間小説誌は売れていたのである。私の母が毎月購入して愛読していたように、小説を愛する読者が雑誌を堪能していたということだ。


 1970年代はじめに生まれた僕も、「中間小説誌」というのがそんなに売れていた時代があったというのは知りませんでした。
 『週刊少年ジャンプ』が、毎週、書店のレジの前に山のように積まれていた記憶はあるのですが。
 1989年(平成1年)の小説新潮は9万部前後で、採算分岐点の15万部を大きく下回っている、と『新潮社100年』には書かれているそうです(『出版年鑑』によると、平成1年のオール讀物の部数は12万2247部)。
 1990年くらいから、僕の実感としては、中間小説誌って、いったい誰が読んでいるのだろう、だったんですよ。
 連載されている小説を毎月読む、というよりは、作家が一定のペースで作品を書いていくためのペースメーカーみたいなもので、単行本で儲けるビジネスなのだろうな、と思っていました(いまの多くのマンガ雑誌と同じように)。
 その「中間小説誌が熱かった時代」の作家や作品の話も、知っているようで知らないことばかりで、読み応えがありました。
 いまの五木寛之さんは、僕のなかでは「お手軽につくった対談本で稼いでいる『日本は下り坂ビジネス』の人」なので。
 
 本好き、本が好きな人好きには、たまらない一冊だと思います。
 興味をもたれた方は、ぜひ、書店で手にとってみてください。


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