琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

死者の学園祭 ☆☆☆


内容(「BOOK」データベースより)
武蔵野にある手塚学園。この一角にある立ち入り禁止の部屋に、3人の女子高生の姿があった。軽いいたずらを仕掛けるためだったのだが、彼女たちは気づかなった。背後に冷酷な視線があることを。そして、3人は次次と謎の死を遂げる―。クラスメイトの死に疑問を抱いた結城真知子は、1人で捜査に乗り出した。学園に忍び寄る恐怖の影に立ち向かう、女子高生探偵の活躍を描く青春サスペンス・ミステリー。

いやあ、久々に読んだなあ、これ。前に読んだのは、たぶん25年くらい前、中学生の頃だったと記憶しています。最初にソノラマ文庫で発表されたのは1977年だそうなので、僕が読んだ時点でも、発表からかなり時間が経ってはいたんですよね。
当時、「図書館少年」だった僕の愛読書は、吉川英治とかルブランの「怪盗ルパン」シリーズで(乱歩の少年探偵団やホームズは、「ガキっぽい」という理由であまり好きじゃありませんでした。今から考えると、ルパンとそれほどの違いがあるのか?という感じではありますけど)、同級生の「本好き」の女子たちが読んでいる本の「軟弱さ」に、なんだかとても腹を立てていたのです。あんなのは「文学」じゃねえ!と。
とくに僕の敵意をかきたてたのが、当時まさに人気絶頂だった、赤川次郎さんの作品群。『三毛猫ホームズ』だと?コナン・ドイルをバカにしてんのか!とか、けっこう真剣にムカついていたものなあ。
クラスでも少数政党であった僕の仲間たち「読書党」にとっては、「赤川次郎しか読まないような女どもは、本をみる目がない!」「そもそも、赤川次郎の本なんて、自意識過剰な若い女がクネクネしているだけで、みんなおんなじ!」だったのです。
僕たちは、彼女らを「コバルター(コバルト文庫しか読まないから)」と蔑視し、赤川次郎を毛嫌いしていました。

しかしながら、中学校のときに家に転がっていたこの『死者の学園祭』を「どうせ赤川次郎だろ……」と思いながら読み始めた僕は、最後まで一気に読んでしまい、「これは……けっこうやるな……」と、中学生心に唸ってしまったのでした。
いや、正直、主人公・結城真知子のクネクネっぷりや、作者があれこれ作中で弁士のように口出ししてくるところなどは、今あらためて読んでも、「かなり気色悪い」です。

 ところで真知子自身の紹介も忘れてはいけない。何と言ったって、彼女こそこの物語のヒロインなのだから。
 まず、ヒロインであるからには、絶世の美女――とは行かないまでも、やはり可愛い娘であるに越した事はない。その点、真知子は父親譲りの端正な顔立ちに、笑うとえくぼのおまけまで付いている。美しくてもツンとお澄まし、では困るが、気さくで人を打ち解けさせるのが特技である所は、下町型の母譲りである。
 また、ヒロインの一般的イメージから言って、一メートル八十センチのノッポでは少々難があるし、体重八十キロでは読者の想像力に余ることになりかねないが、真知子の体つきは中肉中背よりやや細目、細目といっても、バスト、ウエスト、ヒップは――いや、これはこの際関係ないので、公表は控えよう。まずは均整のとれた体、とだけ言っておく。

うーむ、なんだかこういうのを読んでいると、頭の中がかゆくてたまらなくなってくる……
こんなふうに登場人物を「説明」するのは「小説」としては下の下だと、教わらなかったのか赤川次郎
まあ、昨今はこういう「登場人物とは別に、作者が司会進行をやる小説」というのが極めて少ないので、かえって新鮮な面もあるのですけどね。
トリックらしきものはなく、かなり行き当たりばったりながら「うまくいってしまう」犯行、無能すぎる警察、甘ったるすぎる女子高生ライフ(ケータイ小説の時代だからねえ……)、明るい・お気楽というより、単なる「バカ」なんじゃないかとしか思えない主人公の女子高生……真犯人だって、「人殺しはやってない」とは言うけれど、そいつのやっていることは、ある意味「人殺し」よりもタチが悪いことだったりするわけです。

それでも、この『死者の学園祭』は、いま読んでもけっこう愉しめました。
昔読んだときも感心したのだけれど、この作品の「解決編」で、「学園祭で、死者たちの口から真犯人が語られる」という舞台設定のドラマチックさには、今回もまた舌を巻かざるをえなかった。
「驚愕のどんでん返し」って感じではないんですよ。僕もいままでいろんなパターンのミステリを読んできたし、この作品は「緻密さ」という意味では、最近のミステリの足元にも及ばない。
ところが、クライマックスでは、「学園祭のステージで驚愕の事実を見せられる生徒のひとり」になったような気分になるんだよなあ、不思議なことに。

たしかに、現在主流の「ひたすらディテールを突き詰めるミステリ」「マニアに挙げ足をとられないことに全力を尽くすミステリ」とは違った魅力を持っている作品だと思います。
なんというか、「ディテールを書き過ぎないバランス感覚」が、赤川次郎の凄さなのかもしれませんね。

「集中して読めば面白いのだろうけど、なかなか手が伸びない本格派ミステリ」に疲れてしまった諸兄、たまには、この作品で「ミステリ童貞だった時代」を思い出してみるのも良いかもしれませんよ。

ところで、最近の中高生には、いったいどんな本がよく読まれているのでしょうか?
赤川次郎って、いまでも読まれてる?
やっぱり、ライトノベル
それとも、いきなり東野圭吾伊坂幸太郎に行ってしまうのかなあ。

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