琥珀色の戯言

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【読書感想】白人ナショナリズム-アメリカを揺るがす「文化的反動」 ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
白人至上主義と自国第一主義が結びついた「白人ナショナリズム」。トランプ政権の誕生以降、注目を集めるオルトライトをはじめ、さまざまな勢力が連なる反動思想だ。反共、反多文化主義、反ポリティカル・コレクトネスといった旧来の保守と共通する性格の一方、軍備拡張や対外関与、グローバル資本主義を否定する。社会の分断が深まるなか、自由主義の盟主アメリカはどこへ行くのか。草の根のリアルな動向を現地から報告。


 もう15年前くらいの話になりますが、アメリカの有名な病院を見学しに行ったことがあります。
 その病院の専門外来には、担当医の写真が掲示してあるのですが、現地の人が、僕たちにこんな説明をしてくれました。

「この病院では、外来担当医は白人、アフリカ系アメリカ人、アジア系、ヒスパニック系のそれぞれの人数が決まっていて、人種差別をしないようになっています」

 僕はそれを聞いて、「えっ?」と思ったのです。
 ということは、医者として能力がすぐれている人が、このシステムによって不採用になっていることも多々あるのではないか、と。
 それって、本当に「平等」とか「公正」って言えるのだろうか?
 「平等」にも、「機会平等」と「結果平等」というのがあって、それは両立できないことはわかるのだけれど、こういう実例を目の当たりにすると、考え込んでしまうのです。
 患者さんにとっても、優秀な医者にみてもらうほうが良いはずなのでは……
 まあでも、そこまでして、「人種差別をしない」仕組みをアピールしているのが、アメリカという国なのだな、とも思ったんですよね。

 著者は、「白人ナショナリズム」を唱えるコミュニティに自ら潜入し、彼らの声を聞いています。

 2019年5月に、アメリカの白人至上主義の指導的存在とされるジャレド・テイラー氏の許可を受け、彼が主宰する雑誌『アメリカン・ルネサンス』(AmRen)の年次会合に参加したときのことも書かれているのです。
 まるで学会のような雰囲気で、人々は礼儀正しく、著者が日本から来たというと、「日本が好きだ」と親しみを示してくれる人も多かったのだとか。
 その一方で、この会議に参加することそのものにリスクが伴い、参加者の写真撮影や氏名を外部に漏らさない、という誓約書にサインさせられてもいます。
 これに参加した、というだけで、会社をクビになったり、学校を退学処分になる可能性が高いのだとか。

 テイラーは「私は人種差別主義者ではない」と断言する。「『白人至上主義者』(white supremacist)という表現には白人が他の人種を支配するというイメージがありますが、いまの白人のそんな力はありません」「もし日本に外国人が数百万単位で入ってきたら、日本人は違和感を覚えませんか? それに異議を唱えたとき、「日本人至上主義者」や「人種差別主義者」というレッテルを貼られたらどう思いますか?」「私たちは白人として、ごく当たり前の権利を主張しているだけです」「『ニューヨーク・タイムズ』紙の編集委員に任命されたサラ・ジョン(韓国生まれのジャーナリスト)は「白人が嫌いだ」と公言してもさほど批判されないのに、私たちが「ヒスパニック系が嫌いだ」と言うと「白人至上主義者」と批判されるのです」「黒人の命は大切」(Black Lives Matter)ですが、「白人の命は大切」(White Lives Matter)でもあります」「他の人種や合法移民を米国から追い出せと主張しているわけではありません。白人が罪悪感を感じることなく堂々と生活できる空間を求めているだけです」……。
 テイラーは「人種現実主義者」(race realist)、「白人擁護者」(white advocate)という呼称を好んで使う。会合では「白人ナショナリスト」(white nationalist)が多用され、かつSPLCなどの人権団体も使用している表現なので、以下、そう記すことにする。


 多数派が少数派を差別・抑圧してはならない、というのは大事なことだと思います。
 最近のアメリカでは、アフリカ系への差別的な行為が続いており、警察という公権力によって、命が奪われるような事態も起こっています。
 しかしながら、白人の側にも、「自分たちは白人・多数派だからといって、なぜ声をあげることすら許されないのか」という意識が高まっているのです。
 人種的に「多数派」だからといって、すべての白人が幸福に満たされているわけではない。向こうは「白人の問題点を声高にアピールする」ことができるのに、こちらはそれを口にするだけで「人種差別主義者」として排除されてしまう。
 冒頭に書いたような「結果平等」というのは、恩恵を受けられない側にとっては、「人種差別の歴史が間違っていることはわかるが、なぜ、そのツケを自分が払わなければならないのか?」と疑問になるのもわかるような気がします。

 この本のなかでは、そんな白人たちの「言い分」が、丁寧に拾い集められているのです。
 
 ただし、アメリカではこれからもヒスパニック系の人口の割合が増えていって、近い将来、「白人のマイノリティ化」が起こると予測されています。
 そういう危機感もまた、白人ナショナリズムの高まりの原因になっているのでしょう。

 近年は、白人ナショナリストたちの「運動」のやり方も、過激な主張を前面に打ち出したものから、変化がみられてきているようです。

「オルトライト」(Alt-Right)は「もう一つの右翼」(alternative right)の略語だが、主張内容そのものは旧世代の白人ナショナリストと大きく異なるわけではない。例えば(リチャード・)スペンサーの場合、「白人の帝国」(white race empire)や「白人のシオニズム」(white Zionism)を唱えるなどレトリックは挑発的だが、「白人のエスノステート」に象徴される白人分離主義を指向している点は変わらない。米国ナチ党の創設者ジョージ・リンカーン・ロックウェルを賞賛している点、欧州やロシアの極右団体とも親しい点、ネオコンや介入主義に否定的な点、フェミニズムに批判的な点、日本社会の同質性を高く評価している点なども然りだ。
 さらに言えば、ネオナチ色の強い過激な言動が警戒され、欧州のほとんどの国から入国拒否されている点、共和党や保守派から拒絶されている点なども旧世代と変わらない。やや独特なのは、白人に有利に働くという理由から国民皆保険や人工妊娠中絶に賛同している点、自らは無神論者であり、民族や人種に根ざした宗教ではなく普遍的な世界宗教であるという理由からキリスト教の伝統や価値をさほど重視していない点あたりだろうか。いずれにせよ、デュークやテイラー、ジョンソンや旧世代はオルトライトの若い世代とさまざまな接点を有しており、互いに認め合っている。
 とはいえ、世代差ゆえ、問題意識そのものは似ていても、支持拡大へ向けた手法は異なる。
 例えば、過激なイメージやメッセージを前面に出し、それに反応する人びとを仲間に加えてゆく旧来の手法では広がりに限界があるとして、むしろ主義主張に対する心理的障壁を下げることを念頭に置いたソフトな手法が主流となっている。ホームページもおどろおどろしい雰囲気はなく、時事ニュースやコラムを中心に構成されているものが目立つ。フィットネスやガーデニング、料理、子育て、芸術、資産運用のコーナーがあるなど、ある種のコミュニティ感すら漂うものも少なくない。KKKなどでは軍隊をモデルにした上意下達の組織運営が目立った──事実、退役軍人が関与しているケースが多い──が、それではデジタル・ネイティブの若い世代の心と知性を惹きつけることは覚束ない。
 また、若い世代といっても、いわゆる「ホワイトトラッシュ」や「プアホワイト」、あるいは不良の若者というよりも、ごく平均的な高校生や大学生、あるいは安定した職業に就いている若者たちを主たる対象にしている。そうすることによって、自らの団体や活動への信頼性や訴求力を高めることができるからだ。


 過激な主張で賛同者を集めるよりも、まず、興味を持った人たちのコミュニティ化をすすめていく、というのが現代の手法になってきているのです。
 こういうのは、白人ナショナリストたちの専売特許ではないのでしょうけど。

 また、白人ナショナリストだからといって、非白人が多数派の国々を否定するわけでも、ましてや支配しようとしているわけでもない。日本のような同質性の高い社会には敬意を抱いており、介入主義やグローバリズムには否定的だ。あくまで、本来、白人が壁を築いてきた米国(ならびに欧州など)で、白人が不当な扱いを受けていること、礎そのものが覆されつつあることへの異議申し立てという位置づけである。上の世代の場合は公民権運動が、下の世代では進学や就職の際のアファーマティブ・アクション積極的差別是正措置)が大きな契機となっている場合が多い。そして、どちらの世代も、今日の米国を覆っている「ポリティカル・コレクトネス」(PC)は自由を脅かす「言論統制」の一種であり、その推進者や擁護者を「コミー」(commie' 共産主義者の蔑称)と糾弾する。
 果たして、自分たち白人は咎められ、赦しを請うだけの存在なのか。胸を張るべき伝統や血筋もあるのではないか。こうした感覚に個々人の経験が重なってナショナリズムに傾倒している場合が多いようである。若い世代では、友人や家族との関係が上手く行かず、社会的に孤立するなかで、オルトライトのオンライン・コミュニティなどに居場所を見出し、過激化していく場合も少なくない。


 日本の戦後を「自虐史観に基づいたもの」だと考える人たちも、こんな感じなのかもしれませんね。
 
 いまの世界の大きな潮流からは、彼らが望むような「排外主義」を完璧に実現するのは不可能だとは思うのですが、僕個人としては「そういう気持ちは、わからなくもない」のです。


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