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琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

古畑任三郎FINAL 第3夜「ラスト・ダンス」感想(再掲)


古畑任三郎FINAL ラスト・ダンス [DVD]

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いや、推理モノとしてはトリックもたいしたことなかったんですけど、「古畑任三郎」シリーズ最終話としては、これでいいんじゃないかな、と。松嶋菜々子さんも良かったし、西村雅彦さんの見せ場もちゃんとあったし。そして、古畑の「哀」の部分が出ていたし。
たぶん、三谷さんにとっては、この「ファイナル」は、3本で1つ、という認識で書いたと思うのですよ。どれも兄弟の話なんだけれども、第1夜は、横溝正史風の、「本格ミステリ」っぽい「古畑任三郎」、そして第2夜は、イチローという話題性のあるスターを配しての、役者本人のキャラクターを生かした「古畑任三郎」、そして今日の第3夜「ラスト・ダンス」は、人間ドラマとしての「古畑任三郎」。考えてみれば、今までの「古畑任三郎」は、まさにこの3つの「類型」のどれかにあてはまる作品だったわけで、今回の3作品では、それを1つずつやってみせた、ということなのだと思います。
そして、三谷幸喜がいちばん描きたかったのは、第3夜の「人間ドラマとしての『古畑任三郎』」だったのではないかと。
(参考:http://www.enpitu.ne.jp/usr6/bin/day?id=60769&pg=20060105


以下ネタバレ感想。


正直、今日の話としては、トリックは稚拙とまではいかないけど、ドラマチックではあるものの見た目が同じだけで他人になりきれるわけではない、なんてことは、冷静な判断力であれば誰にだってわかるはずなのです。実際に、最後のダンスで古畑もそれを証明してみせたしね。ただ、今日「ラスト・ダンス」に関していえば、かえではもみじがそんなに思いつめているなんて考えもせず、どうせすぐ外界に適応できなくなるはずと読んでいて、そして、その「かえでがそう確信していること」が、もみじの激情の引き金になってしまう、という件が秀逸だったと思います。その言及があればこそ、「でも、いいんじゃないですか、踊れないもの同士というのも」という台詞が生きてくるわけで。いや、僕たちは古畑任三郎を「敏腕警部補」としてイメージしがちなんだけど、考えてみれば、あれだけ難事件をたくさん解決していながら、あの年でまだ警部補というのは、世渡り上手だとは言いがたいよね古畑さんも。僕は最後のところで、古畑が出会っていたのが、かえでさんじゃなくて、もみじさんのほうだったら、ひょっとしたらすべてがうまくいっていたのかもしれないな、とか思いました。でも、そういう歯車がうまくかみ合わないのも人生、なんだよね。そして、その古畑の「踊れないものたち」への優しさを最後に三谷幸喜は描きたかったのだと思う。

まあ、免許が無いとか静脈認証の話はちょっと、もみじさん不注意すぎ、という感じだし、水槽=鏡っていうのは、あまりに強引だとは感じたのだけど、あとから考えてみれば、「妹にバカにされることを気にして姿見すら買えずに水槽を鏡にしていたほど追い詰められていた、不器用な姉」を際立たせるエピソードと考えれば、ものすごく秀逸なエピソードなのでは、と思えてきました。いやほんと、引っ込み思案の人間ってのは、そんなふうに、気にしすぎなくらいに細かいことに対してまで「これで何か言われたらどうしよう…」とか考えちゃうんだよね、僕もそうだからよくわかる。こういうのって、まさに「照れ屋・三谷」の真骨頂なのだろうなあ。

書きたいことは他にもいろいろあるのですけど、とりあえず淡々と、しかも主要キャラが死んだりせずに「古畑任三郎」がファイナルを迎えてくれて本当に良かった。だって、最終回で死んじゃったりすると、前のエピソードを見直すときも、「どうせ最後はあんなふうに死んじゃうんだから」とか、ふと考えたりするものだし。そういう意味では、あまりに素っ気無いなと思う一方で、ああいう終わりかたで、よかったのかな、と思います。
それに、最後の3作は、三谷さんも投げられる球種を、すべて投げつくしたという感じだし。

それでは、いつかまたあの自転車に乗って飄々と彼があらわれることを願いつつ、今回の感想も終わりにしたいと思います。
古畑さん、とりあえずおつかれさまでした。