琥珀色の戯言

3000冊以上の【書評】と500作以上の【映画感想】を、ちゃんと読んで、観て書いてきたブログです。話題になったあの本や映画の感想が、たぶんあります。新書、ノンフィクション、インターネット関連本が多め。

【読書感想】三谷幸喜のありふれた生活 (16) 『予測不能』 ☆☆☆☆

朝日新聞夕刊連載の単行本第16弾。
ドラマや舞台の裏話から、愛息がはまっているダンゴムシの成長期、
さらに影響を受けたハリウッド作品や名優たちについてまで多彩な話題をお届け。
巻末には映画「記憶にございません! 」公開記念の期間限定ブログを収録。


 三谷幸喜さんの『ありふれた生活』シリーズも、もう16冊目になるんですね。
 今回は、映画『記憶にございません!』の時期のエピソードが中心で、役者さんたちのエピソードよりも、まだ小さい息子さんの成長を親として見つめている三谷さんが印象に残ります。

 ちなみに、このシリーズのイラストをずっと描いておられた和田誠さんが亡くなられたため、三谷さんは連載終了も考えたのですが、結局、ずっと和田誠ファンで、和田さんの絵を模写し続けてきた、という三谷さん自身が挿画も描くことになったそうです。

『ベター・コール・ソウル』という海外ドラマにハマっていることが書かれている回では、三谷さん自身の「連続ドラマへの愛着」が語られています。

 優れたドラマを観ると、自分も無性に書きたくなる。大河を除けば、最後に書いたのは「合い言葉は勇気」。17年も前だ(2000年)。ネットの普及で、今はドラマの様相もだいぶ変わって来たが、どんな形であれ、僕は自分を脚本家だと思っている以上、やはり連ドラが書きたい。舞台も映画も大好きだけど、なんといっても、次は一体どうなるんだろうという「わくわく感」を、大勢の人たちと共有出来るのは連続ドラマだけなのだ。


 僕はそんなに熱心に連続ドラマを観ることはほとんどないのです。
 それこそ、最近ちゃんと観たのは、三谷さんの『真田丸』くらいだと思います。
 今は、ネットフリックスなどのドラマは、視聴者が観たいときに観られるように、まとめて配信されることも多いようですし、地上波のドラマもネットで観ることができるようになりました。
 フジテレビの『月9』が、驚異的な数字を叩き出していた時代に比べると、テレビドラマも放送時間をテレビの前で待つ人はだいぶ減ったはず。
 それでも、大ヒットドラマは『半沢直樹』シリーズや『逃げるは恥だが役に立つ』のように、社会現象になり、ものすごい数の人がリアルタイムで観て、SNSで盛り上がる、なんてこともあるのです。

 田村正和さんが亡くなられ、代表作のひとつとして、『古畑任三郎』が再放送されて高い視聴率を記録しているのですが、『振り返れば奴がいる』『古畑任三郎』と、民放の連続ドラマのヒットメーカーとして世に出た三谷さんが、20年も民放の「連ドラ」の脚本を書いていない、というのは意外でした。
 舞台や映画の仕事が忙しくて、時間がない、ということや、三谷さんが書くとなると、スペシャルドラマ枠、みたいな感じになってしまう、ということもあるのでしょうけど、御本人のこういう言葉を読むと、久しぶりに三谷さんの「連ドラ」を観たいなあ、と思うのです。
 大河ドラマも良いけれど、現代劇を観てみたいよなあ。

 三谷さんは「歴史上の人物を題材にしたほうが(今は)書きやすい」とも感じておられるようなのですが。

 最近では完全オリジナルの現代劇を書くと、もはや居心地の悪さを感じるようになった。純度100%の、僕の頭の中で生まれた作品を発表することが、自分のレントゲン写真を世間に公表するのと同じくらい、どうにも照れくさいのである。
 主人公の名前ひとつとっても、オリジナルであるからには、すべて僕が考えたわけで、それがもう恥ずかしい。例えば「田中幸子」という名前の女性を登場させたとする。そこには「田中幸子」でなければならない理由はなく、僕がなんとなくイメージで付けたに過ぎないのだが、「なにゆえ田中幸子」「どこから田中幸子」「どの面下げて田中幸子」という声がどこからか聞こえてきそうでならない。
 実際は、そんな風に考える人はまずいないと思うが、まさに実在の人物の話を書き続けてきた弊害。そんな事情もあって、近作の「不信」では、登場人物には名前を付けなかった。ト書きでは男1、女1、男2、女2となっている。そして「子供の事情」に出てくる小学生たちは、本名ではなく「あだ名」という記号で呼び合った。実在の人物の場合は気が楽だ。前野良沢ナポレオン・ボナパルトも僕が考えた名前ではないから。実在の人物といっても、正確には「実在の人物の名を借りて僕が作った」架空のキャラクターなんだけど。


 「名前をつける」というのは、けっこう大変というのは、自分の子供の名前をつけるときに痛感しました。
 ひとつ思いついては、「そういえば、同じ名前にあんな人がいたなあ……」とか、つい考えてしまうんですよ。
 作家や脚本家ともなれば、登場人物の名前をたくさん考えなければならないわけですよね。
 そこで、「名前を付けない」「実在の人物の話ばかり書いてしまう」ところまでいくのが、三谷さんの自意識の過剰さであり、そういうところが、作家・脚本家としての独特の作風とかオリジナリティにもなっている面もあるのでしょう。
 「実在の人物の名を借りて僕が作った」キャラクターだと仰っていますが、『真田丸』のときのさまざまなエピソードを読むと、かなり歴史的な考証もされているようです。「名前だけ借りて、好き勝手にやっている」わけでもないのです。

 四歳になる息子が、近所の中華料理屋さんのトイレに入った時、便器に腰掛けて言った「僕は苦手なんだよなあ、こういう便座」の一言。それだけで僕は感動してしまう。
「僕は苦手なんだよなあ、こういう便座」。このフレーズを発するためにどれほどの経験と知識が必要か。それを彼はわずか四年間で手に入れた。
 まずは当然、言葉が喋れるようにならなければいけない。その上でおむつが取れ、便器で用を足すようにならなければ、このフレーズは出ない。様々な便器を使用し、便座にはいろいろな種類があることを知る必要もある。ぐるりと便器の周囲を取り囲む形のものもあれば、一カ所だけがなぜか空いているものも。ちなみに息子が嫌いなのはそっちである(理由はたまに太ももの皮を挟むことがあるから、だそう)。
 そして「こういう便座は苦手なんだ」ではなく「苦手なんだよなあ、こういう便座」の方がより苦手感が増すという話法のテクニック。「嫌い」ではなく「苦手」を使ったのは、おそらくよその便器であることに気を使ったのであろう。そういったすべての情報の蓄積の上で、彼は言ったのだ。「僕は苦手なんだよなあ、こういう便器」と。四年前にはこの世に存在すらしていなかった彼が、である。


 ああ、三谷さんは子供の成長を楽しんでいるんだなあ、そして、「子供の成長を楽しむ」には、親の側にもそれなりの観察力や思索、感受性が必要なんだなあ、と思いながら読みました。
 僕だったら、「大人びた言い回しをしちゃってさあ」と苦笑するくらいの言葉に、三谷さんはここまで感動できるのか……
 やっぱり、三谷幸喜さんは、すごい。


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