琥珀色の戯言

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ゲームデザイン脳 ―桝田省治の発想とワザ― ☆☆☆☆☆


ゲームデザイン脳 ―桝田省治の発想とワザ― (ThinkMap)

ゲームデザイン脳 ―桝田省治の発想とワザ― (ThinkMap)

内容紹介
毒舌全開、桝田節炸裂のゲームデザイン発想法。「リンダキューブ」「俺の屍を越えてゆけ」などを手がけた奇才ゲームデザイナー、桝田省治は何をかんがえているのか!?支離滅裂な編集者との対話から、<平凡な日常を企画に変える視点><使えるネタを選別する方法><システムからゲームを組み立てる手法>をはじめ、独特ながらもじつは緻密に計算されたゲームデザイン思考が解き明かされていく!ゲーム業界人、クリエイター志望者はもちろん、企画・発想にドン詰まりのアナタも必読。

リンダキューブ』や『俺の屍を越えてゆけ』、いわゆる「桝田げー」好きにはたまらない本だと思います。ゲームデザイナーの「発想法」「ものの見方」って、すごく参考になるんですよね。
いま40歳前後の「ファミコン直撃世代」は、周囲の面白いヤツの多くが「将来はゲームデザイナーになりたい!」って言っていましたし、実際にそうなった人も少なくないんじゃないかと思います。まあ、実際は、そう言いながらも、就職活動ではマスコミや広告代理店や大企業に転向しちゃった人も多いんだろうけど。
考えてみれば、任天堂バンダイナムコスクウェアエニックスも、「大企業」ですしね。

全寮制男子校の2週間しかなかった「本当の夏休み」のほとんどをPCエンジンの『天外魔境2』で使い果たし、田舎の病院に派遣されて、知り合いもおらず、仕事もうまくいかずに悩んでいたときに『俺の屍を越えてゆけ』に励まされた(ゲームのエンディングで泣いたのは、『ドラクエ1』と『俺屍』だけ!)僕としては、あの桝田さんが「ゲームデザイン」について書かれた本だと聞いた時点で、もう買わずにはいられなかったんですよ。
モノクロ+ピンクの装丁と200ページにも満たないのに1580円+税という値段には一瞬躊躇しましたが、やっぱり読んでよかった。
この本を読んでいると、「桝田さんの発想術」が参考になるのと同時に、「ここまでやらなければ、ゲームデザインというのは『仕事』にできないのか……」と驚かされます。ゲームデザイナーに憧れた僕ですが、正直、「ゲームデザイナーを目指さなくてよかったかも……」とも思ったんですよね。僕のイメージでは、「あらすじ」をつくって、それをプレゼンして、あとはできあがってくるゲームの微調整をすだけの仕事、だったのですが、実際はそんな簡単なものじゃない。
そして、「奇才」桝田省司でさえ、セールス的には「連戦連勝」というわけにはいかないのです。『勇者死す。』なんて、すごく面白そうなのに、僕はいままでこのゲームの存在すら知らなかったし。

「ボリショイサーカスから学ぶ」での、桝田さんの「細部の演出」への観察眼や「この敵が強すぎる」とテストプレイヤーから指摘があった場合のゲームバランスの調整のしかたなどは、すごく勉強になりますし、「これは敵わないなあ」とも思います。

桝田さんは、いろんな「制約」を「できないことの理由」にするのではなく、「その制約を活かす」ようにデザインしていくのです。
俺の屍を越えてゆけ』開発時の話。開発担当のアルファ・システムが3D画面の開発環境の整備が遅れていて、「見劣りする3D」か「古くさい2D」かの選択を迫られた桝田さんは、こんなふうに考えたのだそうです。

 さて、僕が何を考えたかと言えば、どうせ「古くさい」と言われるなら、自ら「古くさい」イメージを強調し、それをセールスポイントに変えることだった。
 都合がいいことに俺屍の世界設定は、平安時代。十分に古い時代であるから「古くさい」イメージとの親和性も高い。
 平面、戦闘、古い……このあたりのキーワードから浮かんだのが合戦絵巻。そこから戦闘画面を古い絵巻風に表現することを思いついた。
 絵巻は平面であるから2D表示との相性がいい。それになんと言っても古い絵巻が古いのは当たり前で、古さは美点になっても欠点には見えない。
 古い絵巻という趣向を徹底し、地色は古い紙を思わせる薄い褐色、背景やモンスターは筆のタッチ、着色はあえて彩度を落としあせた感じに。モンスターは何百年も前に版権が切れている百鬼夜行絵巻から借用しアレンジ。戦闘のBGMは勇壮な和太鼓だ。
 そして、完成したのがまるで絵巻の中で戦っているような雰囲気の戦闘画面だ。ゲームの世界観にマッチしユーザーの評判はよかった。少なくとも苦し紛れでそうせざるをえなかったと思ったユーザーはいなかったはずだ。

僕もあれは、「演出として、プレステなのに、あえてああいう『古くさい』画面にしている」のだと思っていました。
「制約」も工夫しだいで、「特徴」に変えることだってできるのです。

あと、僕が印象的だったのは、桝田さんの「ゲームという娯楽に対するスタンス」でした。

 ゲームデザイナーである僕がこういうことを言うのはなんだけど、テレビゲームは作り方遊び方を間違えると、歯止めが利かない。そういう意味では、麻薬と同じ安直な快楽発生装置になりうるかなりヤバイものなのだ。ほとんどの人がそれに気づいていないこともかなりヤバイ
 だから、僕の場合は、ところどころに終わるのにちょうどいい切れ目をいれ、世界観にそぐわない単語を混ぜ、時間制限をつけ、今遊んでいるものがしょせんはゲームであることを定期的にプレイヤーに意識させるようにしている。
 エンディングはあっさり目で微妙に興ざめする趣向にし後を引かず、さっさと現実の生活にプレイヤーが戻るように促している……つもりだ。
 でも、刺激に対する耐性は個人差が大きい。それなりに気を使っているつもりだが、それでも冒頭で例にあげたバカのようにのめりこむ人がいる。かといって、あまり興ざめする仕掛けを頻繁に入れると、当たり前だがつまらなくなる。
 ある意味で面白いことがテレビゲームの唯一無二の存在意義であるから、つまらないのは本末転倒だ。それに、あまりにつまらないと売れない。僕も生活に困る。
 このあたりの匙加減が僕にとってはゲーム本編のバランスどりよりも難しい。面白いゲームより適度に面白いゲームを作ることのほうがはるかに気を使う。上手くいかず失敗したこともある。いつも最後まで悩むところだ。
 と、まあ、偉そうなことを書いたが、実際のところは僕自身、自分の子供が試験前にテレビゲームで遊んでいるのを止められない情けない親のひとりだ。

ああ、スゴイ人というのは、悩むところも常人とは違うのだなあ、と感心したり、僕が生きているうちに、桝田さんが「リミッター」を外した「面白いゲーム」を遊んでみたいものだと思ったり。

「ゲームデザイナー」だけではなく、「アイディアを形にすること」「自分の考えを他人にうまく伝えること」に悩んでいる人たちに、ぜひ読んでいただきたい本です。
「桝田ゲー」に興味がある人にはこたえられない本ですし、そうでなくても、きっと「目からウロコが落ちる」はず。

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