琥珀色の戯言

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【読書感想】拉致と決断 ☆☆☆☆


拉致と決断

拉致と決断

内容(「BOOK」データベースより)
「北」での24年間を初めて綴った迫真の手記!監視下の生活、偽装経歴、脱出の誘惑、洗脳教育、’94年核危機と開戦の恐怖、検閲を潜った親父の写真、飢餓と配給、電撃帰国の真相…感涙のドキュメント。

北朝鮮に拉致されていたあいだ、拉致被害者たちは、どんな生活をしていたのか?
蓮池さんたちが日本に帰国してから、北朝鮮での生活は、断片的に語られるのみでした。
きっと、いろいろな事情があって、語れないこともたくさんあるのだろうな、ということは理屈ではわかっていても、やっぱり「なんで日本に帰ってきているのに、話してくれないんだろう」と思ってもいたのです。


僕たちは、あくまでも「日本側からみた、自分の身内ではない人が被害にあった拉致事件」としてしか、見られないところがあります。
あの事件は、誰が被害者になってもおかしくなかった。
でも、それは自分ではなかった。
この本を読んでいると「当事者の苦悩」というのは、(当たり前のことなのですが)外野には想像もつかないものなのだなあ、と思い知らされます。

 帰国して十年。
 思えばこの十年は、あの日の決断から始まった。私たちを拉致した、しかし私たちの子どもたちが残されている北朝鮮に戻るのか。それとも生まれ育ち、両親兄弟のいる日本にとどまって子どもを待つのか。苦悩の末に選んだのは後者だった。
 苦しい決断、いや一生に一度の賭けとも言えた。
「日本に残って、子どもを待とう」
 私がこう打ち明けたとき、妻は半狂乱となった。
「何を言っているの?! 子どもがいるじゃない!」
 かつて見たことのないほどの激しい表情で反発してきた。こんなことは初めてだった。私は一瞬たじろいだ。母親としての子どもへの愛情の強さ、無条件さに圧倒されそうになったのだ。

 子どもたちが私たちのもとに来るまでの1年7ヶ月間は、私たちにとって本当に長く、苦しい時期だった。ただひたすら、子どもの帰国を信じることと目の前の仕事に打ち込むことで、かろうじて乗り切った。
 そして今、子どもたちが日本に来て8年半経った。彼らは自らの判断で選んだ道を自分の足で歩んでいる。紆余曲折はあるにせよ、時たま見せる輝いた目と、希望に満ちた笑顔が、あの日の決断が間違っていなかったことを物語ってくれている、と私は信じたい。


 家族の命運をかけ、夫婦間で激しく言い争ったことをはじめ、北朝鮮での24年に体験した出来事とその時々の思いを、このように書き記そうと決意するまでには、かなりの歳月がかかった。長すぎると思う人もいるかもしれない。だが、あまりに重苦しかった半生を、自分のなかで整理するのはそう簡単ではなかった。
 何よりも日本に残るという決断が正しかったという確信が必要だった。それには子どもたちが意欲を持って自立の道を歩み出すことが最低条件だった。

 蓮池さんが日本に残ることを決断したとき、僕も内心「子どもたちは大丈夫なんだろうか……」と心配していました。
 当事者である蓮池さん夫妻の迷いは、僕などが想像もできなかったほど深かったはずです。
 当時、蓮池さんのところには「北朝鮮に子どもを置き去りにするなんてけしからん、すぐに北朝鮮へ帰れ!』という手紙も送られてきていたのだとか。


 この本を読んでいると、蓮池さん夫妻は、北朝鮮で「それなりの丁重さで」扱われていたということがわかります。
 行動の自由は厳しく制限されていましたが、少なくとも、北朝鮮の一般市民より、物質的には恵まれた生活だったようです。
 もちろん、だからといって、「自分を拉致した国」に好感を抱くのは難しかったでしょうし、「日本人が丁重に扱われていることによる、地元の人たちからの反感」も伝わってくることがあって、けっして「楽しい生活」ではなかったとは思います。


1995年から翌96年の北朝鮮飢饉のときの話。

 食べるための戦いは、農村だけではなかった。実際、飢饉は農村より都市に打撃を与えていた。都市の住民は商いで現金を稼ぐかたわら、都会の狭い生活空間を最大限に生かしつつ自活の道を歩み始めた。
 高層アパートに住みながら、自室のトイレで豚や食用犬を飼っている世帯がかなりあった。餌はベランダで残飯とトウモロコシの粉などを煮て作り、家畜の排泄物はビニール詰めにして外に持ち出していた。これも肥料として利用されたに違いない。豚にトイレを占領されたため、人間はできるだけ野外で用を足してくるようになる。主客転倒のような気もするが、不便は覚悟の上だ。農村と同様、都市でも豚や食用犬は他では得られない現金収入になるからだ。

 蓮池さんが語る「北朝鮮の食糧事情」の描写は、当時の「北朝鮮の人たちが飢えている」という報道よりも、生々しいものでした。
 ただ、蓮池さんは「そんななかでも、たくましく、したたかに生きる北朝鮮の人々」を、ユーモアも交えて描いているのです。

 
 そして、僕がこの本を読んでいて、意外というか、驚いてしまったのは、1990年代前半に、アメリカと北朝鮮の緊張が高まった時期、北朝鮮にいた蓮池さん夫妻は、本当に「戦争になる覚悟」をしていたということでした。
 蓮池さんには、北朝鮮の国力でアメリカと戦争したらどうなるか?が、わかっていました。
 でも、それを止める方法も、逃げる場所もない。

 とにかく家族が無事でいられる平和がほしかった。平和であってさえくれたら、ほかの苦しみは、なんでも耐えられそうだった。神の存在を信じない私だったが、戦争が起きないように人知れず天に祈ったこともあった。
 だが一度だけ、たった一度だけ、いっそのこと戦争が起きたらいいと思ったことがあった。1994年6月、クリントン大統領が北の核施設に対する空爆の意思をちらつかせ始めたころだ。部分的な空爆が全面戦争に拡大するのは、当時の北朝鮮の強硬姿勢からして必至だった。緊張は極限に達し、戦争はもう避けられないものと諦めかけたとき、ふとこんな考え方が浮かんだのだ。
(どうせ戦争が起きるのなら、今起きてくれたほうがいい。数年経てば、子どもたちは、戦場に駆り出される年齢になる。子どもがまた小さいうちに戦争が起きたほうが生き残れる可能性が高いのでは……)
 絶望に陥っても、それよりさらに絶望的な状況を想定しながら、自分を慰めようとする、この習慣は、拉致されてから身についたものだった。

 
 これを読みながら、僕は自分が1994年に何をしていただろう?と考えていました。
 北朝鮮にいた蓮池さんが「戦争を覚悟」していた時期、日本に住んでいた僕は、「アメリカと北朝鮮が本当に戦争をするような情勢」を実感することはなかったんですよね。
 そういうのが、日本という国の「のどかさ」であり、「平和ボケ」なんて揶揄される所以なのかもしれませんが、北朝鮮では、「戦争は不可避」という雰囲気になっていたんですね。
 「超大国・アメリカに空爆されるかもしれない恐怖」か……


 これを読んでいて、「北朝鮮人として暮らしてきた子どもたち」への想像力が欠けていたことを思い知らされました。
「拉致」は国と国の問題なのかもしれないけれど、拉致被害者には、それぞれの「個人的な問題」があります。
 でも、「北朝鮮憎し」の感情があまりに強すぎて、「北朝鮮をいかに叩くか」にばかり目が向いてしまい、「帰国したあとの拉致被害者を、どうサポートしていくか」に、あまりに無頓着だったのかもしれません。

 
 この本に書かれているのは、「北朝鮮の政治体制への不満」とか「望郷の念」というよりは、「拉致されて、それでも生きていくことを選択した人間が、どのように自分と向き合って生きてきたか」なんですよね。
 もちろん、両国の政治について言いたいことはたくさんあるのでしょうし、まだ、言えないこともたくさんあるはずです。


「はじめに」蓮池さんは、こう書かれています。

 本書では拉致被害者としての自分の生活や思いだけでなく、北朝鮮の人たち、すなわち招待所生活で接した人たちや平壌市内で目撃した市民たち、旅先で目の当たりにした地方の人たちなどについても叙述した。それには、北朝鮮社会の描写なくしては、私たちの置かれた立場をリアルに描けないという理由とともに、決して楽に暮らしているとは言えないかの地の民衆について、日本の多くの人たちに知ってほしいという気持ちもあった。彼らは私たちの敵でもなく、憎悪の対象でもない。問題は拉致を指令し、それを実行した人たちにある。それをしっかりと区別することは、今後の拉致問題解決や日朝関係にも必要なことと考える。

 実際に、北朝鮮の人たちに長年接してきた蓮池さんがこう仰っているのは、本当に「重い」ことだと思います。
 会ったこともないにもかかわらず、「北朝鮮人は、みんな敵だ!」と叫ぶ人が、ネットには少なからず存在するというのに……

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