琥珀色の戯言

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【読書感想】イランとアメリカ ☆☆☆



こちらはKindle版。

イランとアメリカ

イランとアメリカ

内容(「BOOK」データベースより)
オバマの立場は「イランの核武装は許さない」。イランは核弾頭の搭載可能な長距離弾道ミサイルにかかわる技術開発も進めている。両国の交渉には過去のイラン・アメリカ関係が色濃く影を落としている。そしてイランを知るには、さらに歴史を古代にまで遡らなくてはならない。そこにこそ、イランの本音を探る鍵が隠されているからだ。

 今年のアカデミー賞の作品賞は『アルゴ』が受賞しました。
 これは、1979年に起こった、イランの「アメリカ大使館人質事件」を題材とした映画だったのですが、一国の大使館が占拠されるという信じられないような事態のなかで、大使館員たちを映画の撮影スタッフに偽装して脱出させる、という荒唐無稽な「実話」をもとにしています。
 この映画を観て、当時のイランの「反アメリカ感情」に驚いたのですが(あと、大使館がシュレッダーにかけた機密書類を、子供たちが一生懸命につなぎあわせている場面にも)、観終えて意外だったのは、あれだけの激しい反米感情にもかかわらず、結果的に、アメリカ大使館員には一人の死者も出なかったんですよね。
 もちろん、健康を害した人は大勢いたでしょうし、人質にされた際の精神的なストレスは大きかったはずです。
 ちょっとしたきっかけで暴発すれば、少なからぬ死者が出てもおかしくありませんでした。
 それでも、イラン側は「最後の一線」を積極的に越えようとはしなかった、とは言えると思います。


 イランとアメリカ。
 アメリカ側から世界を見がちな日本人の僕としては、シーア派イスラム原理主義的な(西欧先進国的な)人権軽視の宗教国家、テロリストを援助する「悪の枢軸」のひとつ、なんて考えてしまいがちなのですが、実際は、イランにはイランの事情も主張もあるんですよね。
 この新書は、「イラン側からの視点多めで描いた、イランとアメリカ、そしてイランと世界との関係史」です。


 僕などは、「中東の人々」を、「イスラム教を信じている人々」として、ひとまとめで考えてしまいがちなのですが、著者は、それが間違いであることを何度も強調しています。

 繰り返しを恐れずに強調しておきたいのは、イラン人とアラブ人の区別である。イラン人は古代アケメネス朝以来のペルシア人としての強いアイデンティティーを持っている。ペルシア人とアラブ人という二つの偉大な民族の存在が中東の国際政治の基層を成している。日本ではペルシア人とアラブ人が混同されるが、それは日本人と中国人を混同するほどの大きな間違いである。

 なるほど……
 外国から「日本も中国もアジアの近いところにあるような国だし、似たようなもんだろ」と言われたら、やっぱり「けっこう違うと思うけど……」って言いたくなりますよね。
 実際、日本人にとっては、ヨーロッパで「中国人?」と話しかけられることは少なくないわけですが。
 イラン人は、宗教的にはイスラム教の少数派(ただし、イラン国内では大多数)のシーア派ですし、「偉大なペルシア人の文明を受け継いでいる民族」としての誇りを持っているのです。
 もっとも、そこが周囲のアラブ人中心の国々との軋轢の原因になってもいるのです。
 そういう「自分たちはちょっと違うんだ」という意識を、イギリスやアメリカはうまく利用して、中東情勢をコントロールしようとしてきました。


 十九世紀から、イランはロシアとイギリスに搾取されており、そこから脱出するための手段として、二十世紀初めから、アメリカに接近していきました。
 第二次世界大戦後、イギリス、アメリカによる「石油資源の支配」に抵抗し、「石油産業の国有化」を宣言したイランのモサデグ首相をクーデターで倒したのは、アメリカのCIAの策謀とされています。
 そのクーデターの後、アメリカは、シャー(国王)を利用して、イランにおける「アメリカの利益」を享受するようになりました。
 一部の人が利益を独占する「国王政治」への鬱憤が、ホメイニ師による「イラン革命」の引き金となったのです。
 その後、イランはイラクと戦うことになるのですが、その際には、アメリカはイラクを支援したのです。「革命」の波及をおそれて。
 イラク側の攻勢ではじまった戦争は、後半になってイランが巻き返し、国境を越えてイラク領内に攻め込むようになりました。
 

 イラク軍の防衛戦の成功の要因として見落としてはならないのが、化学兵器である。イラク化学兵器を大量に使用してイラン軍の進撃を止めた。歩兵が密集して突撃するイラン軍の戦術に対しては化学兵器は特に有効となった。
 化学兵器の使用は、もちろん国際法に違反している。だが、イラクバース党支配の崩壊とイラン革命の拡大が、周辺のクウェートサウジアラビアのような親米のアラブ国家の存在そのものを脅かしかねないとの判断から、アメリカなどの国際社会はこの公然たる国際法違反を批判することはなかった。イラクのバスラ前面の防衛ラインが守っているはバクダッドのバース党政権だけではなく、ペルシア湾岸地域の力のバランスそのものであるとの認識からだ。

 結局、戦争に「正義」なんて存在しないんだよな、と考えずにはいられない話です。
 そして、こののちにアメリカは「イラク大量破壊兵器所持」を主張して、イラク戦争を引き起こすことになります。


 ちなみに、イラン・イラク戦争時には、イスラエルがイランに「アメリカ製兵器」を供給していたそうです。
 「国王政治」の時代、石油で稼いだ金でイランはアメリカ製兵器を買い込んでいたのですが、戦争をやっていれば、故障で交換用のパーツや弾薬の補充は不可欠になります。
 ところが、イラン・イラク戦争時は、アメリカはイランと(表向きは)敵対していた。
 そこで、イランとイラクが泥沼の消耗戦になって、戦力が低下することを願っていたイスラエルが「一肌脱いで」、イランにアメリカ製の武器を支援していたのです。
 もちろん、アメリカも「黙認」したうえで。


 中東は混乱しているのか、混乱させられているのか……


 オバマ大統領は、イランとも対話を行う方針を打ち出していますが、さて、どうなることやら……一時期よりは、イランへの先制攻撃の機運は薄れてきているようにも見えるのですが……


 著者によると、こんないきさつがあっても、「イラン人はアメリカが大好き」なのだそうです。

 かつてイラン人は、日本に入国するのにビザを必要としなかった。そのため、1980年代から90年代にかけて多くのイラン人が来日した。その目的の一つは就労であったが、もう一つの目的は東京でアメリカ行きのビザを申請するためであった。筆者自身もイランの首都テヘランから東京へのフライトで、そうしたイラン人と数多く出会った。アメリカとイランの政府間の関係の悪さにもかかわらず、両国間には驚くほど密な人的交流がある。革命前には数万のイラン人留学生がアメリカで学んでいた。1979年のイラン革命後は、おそらく百万単位のイラン人がアメリカに亡命した。多くのイラン人は、アメリカに親戚がいる。

 遠いようで近いというか、仲が悪いのだけれど、意外と密接につながっているのです、この二つの国は。


 その一方で、イスラエルのネタニヤフ首相は、

「今は、1938年でイランはナチス・ドイツである。イランは原子爆弾の製造を急いでいる。まだ時間は残されている。イランを止めろ」

などと言ってもいるわけで、そう簡単に平和が訪れることはないのだろうなあ、と思わざるをえません。
まあ、日本だって、高みの見物ができるような状況でもないんですけどね。

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