- 作者: 藤森照信,山口晃
- 出版社/メーカー: 淡交社
- 発売日: 2013/07/24
- メディア: 単行本
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内容紹介
〈ヘンな建築好きの建築家・藤森照信センセイと平成の絵師・山口晃画伯の建築談義〉
〈“なんかヘン” 専門の二人が日本建築を見たら……?!〉
先生役に路上観察的視点をもつ建築家・藤森照信氏、聞き手兼ツッコミ役に気鋭の画家・山口晃氏。その二人が、「集中講義」の名のもとに日本各地の名建築を見学し、発見や建築の魅力を語り合います。建築の魅力はもちろん、見学のさなかの珍道中や二人の愉快な妄想など、対談と山口画伯のエッセイ漫画とでたっぷり伝えます。時に大マジメに、時にユーモアたっぷりに、教養と雑談を交じえつつ繰り広げられる二人の掛け合いはまさに「爆笑講義」。寺社、茶室、城、住宅……知っているようで知らない日本の伝統建築の魅力を、二人の独特の視点から再発見!
【目次】(「BOOK」データベースより)
法隆寺/日吉大社/旧岩崎家住宅/投入堂/聴竹居/待庵/修学院離宮/旧閑谷学校/箱木千年家/角屋/松本城/三渓園/西本願寺
山口晃さんの『ヘンな日本美術史』が面白かったので、書店でその横に並べられていたこの本を見かけて購入。
最近の僕は、わりと日本画とか日本の文化遺産に興味を持っているのです。
まあ、「興味がある」のと「わかる」「知っている」のはまた、別の話でもあるのだけれども。
常にマイペースで、何を考えているのかよくわからない(それでいて、解説はピンポイントで要点をついてくるような)藤森先生と、冷静に状況を観察しているようで、ちょっと斜め上から建物を観察しているようで、ときには静かに感動している山口先生。
なんだか不思議な組み合わせではありますが、おふたりの掛け合いを読んでいるうちに、少しだけ僕にも日本建築の魅力がわかってきたような気がして、まったく無知な素人である僕にも比較的読みやすい一冊でした。
ただ、この本、全体的に写真の数が少なめでモノクロ、あまり大きくもないということで、読んでいても実際の建物のイメージがあまり湧いてこないのも事実なんですよね。
もちろん、写真をベタベタ貼るより、山口先生の絵を見たほうが楽しい、というのもあるのでしょうけど。
お二人が訪れているのも「名前はそこそこ知られているけれど、『誰でも知っている』というほどでもない」という建物が多いのです。
紹介されているもののなかで、僕が実際に行ったことがあるのは、法隆寺くらいでした……
読んでいると、「こういう建物があったのか、行ってみたい!」とは思うのですが「投入堂」って、最近流行っているのだろうか、なんだかすごいところにあるみたいなのだけれど、最近よく見かけるんだよなあ……
山口晃:茶室にとって大切なことは何ですか?
藤森照信:狭いことと閉じていること。待庵は1.8メートル四方だから、人間が手を伸ばして立った姿と同寸法。ウィトルウィウス的人体図を描いたレオナルド・ダ・ヴィンチと同じ発想です。誤解されやすいんだけど、あの図は彫刻や絵のために描かれたんじゃなくて、建築のために描かれたんです。
山口:建築の……ですか。
藤森:ウィトルウィウスっていうローマの建築家がいて、有名な建築書を書いている。それを読んだレオナルドが、「建築の基本単位とは身体尺だろう」と参考のために書いた図なの。レオナルドより利休のほうがエライと思うのが、レオナルドはイメージ図を描いただけだけど、利休はそれをかたちにちゃんと造ったことだね。レオナルドの思想と全く同じ「究極」を考えていたんでしょう。それで、あの図の寸法からひとまわり広げて、一坪にしたんだと思う。
この「茶室にとって大切なことは何ですか?」という、かなり大雑把な質問に対して、シンプルかつ的確に答えた藤森先生って、すごいなあ、と。
専門用語が出てきたり、おふたりの掛け合いが続いたり、編集者の昼食選びの話が繰り返されたりしていると、つい読み流してしまうのですが、ときどき、「これはすごい」って言葉に出会って驚かされるんですよね、この本。
残念ながら、僕自身は、法隆寺に修学旅行で行った、あいまいな記憶しかない状態で読んでしまったのですが、あらかじめこの本を読んでおくか、あるいは、紹介されている建築を見た直後に読むと、すごく楽しめるのではないかと思います。
藤森:昔の絵描きは独学?
山口:いろいろですね。山水画は中国からお手本が作品とともに伝わってきましたし。御用絵師になると工房制ですから、先輩方にみっちり仕込まれて。一方で、伊藤若冲とか曾我蕭白のように模写で独学した人もいて。
藤森:なるほど。
山口:ただ独学タイプは、思わぬところに「あ、独学だ」っていうのが出ますね。たとえば、和食の店に行って「あれ、おだしはよかったのに、どうして酢の物はこういう味なんだろう?」という感じで。
藤森:独学の落とし穴か(笑)。
これを読んで、「ああ、うちの近くの趣味が高じて店をはじめたうどん屋さんも、麺は素晴らしいのに、つゆがなんだかちょっとひと味足りないんだよなあ」なんてことを考えていました。
ただ、独学だから悪い、というわけではなくて、若冲、蕭白クラスとなると、その「どこか違う」ところもまたオリジナリティとして評価されるのかもしれません。
お二人が建物の素晴らしさに興奮しきって、言葉がドライブしていくところは、読んでいるほうも「これは見てみたい!」と感じます。
藤森:投入堂の軒は檜の木材の上に檜皮を葺いて造ってあるんですよ。だから、つけまつ毛じゃなくて、本体と一体のもの。まつ毛って皮膚の一種で、皮膚が黒くなって細くなったものですよね。そう考えると、投入堂って顔に似てない? 額みたいな岩があって、下から柱が生えたようにせり立って、お堂のところがちょっと凹んでから、最後に軒がピュッとなってる。
山口:あっ、あの、ゴメンナサイ。「ピュッ」は忘れてください。
藤森:いや、「ピュッ」という表現はすばらしい(笑)。軒の部分は平安時代の檜皮。美学的には宇治の平等院と同じ平安の美学なんですよ。
山口:やはり! 鳥が羽を広げたようで、本当にきれいでした。
藤森:軒はまさしく鳳の感じで、貴族的で都会的で優雅な曲線なの。でも、下は自然の荒々しい岩。そこから柱がグーーーッと延びていく感じが一体感を生みだしていて、あの柱は効いてますよ。もしあの柱がなくて、ちょっとお堂が突き出ている程度だったら、一体感どころか不自然な感じになると思う。修験道の建築は、仏と自然の神様を習合したお堂だから、「自然と一体化する」のが中心的テーマ。投入堂の、岩との一体感はなんだろうとずっと思ってたの。一因は光の感じだね。
ああ、何だか本当に楽しそうに語りあっていて、ちょっと羨ましい。
日本の建築に興味がある方、あるいは、ここで紹介されている建物を観にいく、という方は、読んでおくと視野が広がる本ですよ。
ただ、おふたりのノリについていけるかどうかは、人それぞれだと思われますので、一度書店で手にとってめくってみることをオススメしておきます。