琥珀色の戯言

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【読書感想】帰還兵はなぜ自殺するのか ☆☆☆☆

帰還兵はなぜ自殺するのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

帰還兵はなぜ自殺するのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
本書に主に登場するのは、アダム・シューマン、トーソロ・アイアティ、ニック・デニーノ、マイケル・エモリー、ジェームズ・ドスターの五人の兵士とその家族。そのうち一人はすでに戦死し、生き残った四人は重い精神的ストレスを負っている。妻たちは、「戦争に行く前はいい人だったのに、帰還後は別人になっていた」と語る。戦争で何があったのか、どうしてそうなったのか…。イラク・アフガン戦争から生還した兵士200万のうち、50万人が精神的な傷害を負い、毎年250人超が自殺する。戦争で壊れてしまった男たちとその家族の出口なき苦悩に迫る衝撃のレポート!


 人間の歴史は戦争とともにあって、これからも、戦争を避けては通れないだろう、と言う人がいる。
 日本も戦争ができる「普通の国」になるべきだ、と訴える人もいる。
 どうせ戦争をするのなら、勝たなければダメだ、負けたら、太平洋戦争末期の日本のように、ボロボロにされ、相手の言いなりにならなければならないのだから、と主張する人もいる。


 この『帰還兵はなぜ自殺するのか』は、正直、読んでいていたたまれない気分になるノンフィクションです。
 登場してくるのは、イラクアフガニスタンに派兵され、戦場での負傷や仲間の死、あるいはその場でのプレッシャーによって、身体的・精神的に「壊れてしまった」アメリカ軍の兵士と、その家族たち。
 

 僕は内心、「とはいえ、アメリカ軍は、あの戦争で少なくともずっと有利な立場にあったし、空爆されたイラクの市民などに比べれば、ストレスは少ないんじゃない?」と思っていたのです。
 いや、たしかに、負ける側、劣勢の側に比べたら、まだ「マシ」なのかもしれません。
 硫黄島の攻防戦だって、ほぼ死ぬことが確定していた日本軍に比べたら、アメリカ軍のほうが、まだ精神的には余裕があったでしょうし。


 これを読んでいて痛感するのは、「戦争というのは、負ければ命を含むすべてを失うリスクがあるものだけれども、勝った側の人間も致命的に傷つけられることがあるのだ」ということです。

「あの人はいまでもいい人よ」とサスキアは言う。「ただ、壊れてしまっただけ」
 サスキアがそう言うのは、アダムが戦争に行く前の状態に必ず戻るという希望を抱いているからだ。こうなったのはアダムのせいというわけではない。彼のせいではなかった。彼は快復したがっていないわけではない。快復したいと思っている。しかし別の日には、死んだほうがましだという気がする。アダムに限ったことではない、アダムと共に戦争に行ったあらゆる兵士たち――小隊30人、中隊120人、大隊800人――は、元気な者ですら、程度の差はあれ、どこか壊れて帰ってきた。アダムと行動を共にしてきた兵士のひとりは、「悪霊のようなものに取りつかれずに帰ってきた者はひとりもいないと思う。その悪霊は動き出すチャンスをねらっているんだ」と言う。
「助けがどうしても必要だ」二年間、寝汗とパニック発作に苦しんだ兵士はこう言う。
「ひっきりなしに悪夢を見るし、怒りが爆発する。外に出るたびに、そこにいる全員が何をしているのか気になって仕方がない」と別の兵士は言う。
「気が滅入ってどうしようもない。歯が抜け落ちる夢を見る」と言う者もいる。
「家で襲撃を受けるんだ」別の兵士が言う。「家でくつろいでいると、イラク人が襲撃してくる。そういうふうに現れる。不気味な夢だよ」
「二年以上も経つのに、まだ夫は私を殴ってる」ある兵士の妻が言う。「髪が抜け落ちたわ。顔に噛まれた傷がある。土曜日に、お前は最低のクソ女だと怒鳴られた。夫が欲しがっていたテレビを私が見つけられなかったからよ」
 いたって体調がよさそうに見える兵士は、「妻が言うには、ぼくは毎晩寝ているときに悲鳴をあげているそうだ」と言ったあとで困ったように笑い、「でも、それ以外は何の問題もない」と言う。しかしほかの兵士たちと同じように、途方に暮れているように見える。
「あの日々のことを、死んでいった仲間のことを、俺たちがやったことを考えない日は一日たりともない」とある兵士は言う。「しかし、人生は進んでいく」


 この本によると、アメリカからイラクアフガニスタンに派遣された200万人のアメリカの帰還兵のうち、20〜30%にあたる人々が、心的外傷後ストレス障害(PTSD)や、外傷性脳損傷(TBI)を負っているそうです。自殺者は、毎年250人を超えています。


 読んでいると、彼らは派兵される前は「普通の人」あるいは「良き夫、良き父親」であり(この本には、女性帰還兵の話は出てこないので)、戦場でも、頼りになる勇敢な仲間、だったのです。
「心が弱いから、戦場に耐えられなかったんだ」というようなことではないことがわかります。
 というか、どんな人でも、戦場に行けば、そうなってしまう可能性がある、ということなのです。


 いたたまれなかったのは、この帰還兵たちのPTSDが、しばしば、自傷行為や、妻や子供といった身近な人への暴力として表出されるということでした。
 家族は、彼をそんなふうにしてしまったのが、戦場でのつらい体験であったことを知っている。
 だからこそ、彼を責めてはいけない、と自分に言い聞かせる。
 でも、理由や過程はどうあれ、自分に降りかかってくるのは、それまでずっと「愛する夫や父親」だった人からの、いわれのない言葉や肉体への暴力なのです。
 そのPTSDの理由が、本人のせいではなく、さらには「英雄的なもの」であるからこそ、そう簡単に見捨てるわけにもいかない。
 そして、家族も、壊れていく。

 ニックが途中まで書いた夢。

 俺の頭の中はどうなってるんだ。昨夜、ベッドに腰を下ろして、部屋の向こう側にある椅子を見ていたら、そこに血まみれの女の子がいた。その後のことは思い出せない。俺はとんでもないパニック発作に陥ったらしい。死体の幻を見るのはこれが初めてじゃない。死んだイラク人たちが浴槽に浮かんでいるのも見たことがある。どうして浴槽にいるのか、さっぱりわからない。
 いま暴れ回りたい気分だ。

「ある夜、わたしたちはベッドで寝ていました」証言はさらに続く。

 いつもわたしは、夫の腕に抱かれ、彼の胸に頭を載せて寝ています。その夜、夫が急に「助けてくれ」と叫びはじめました。きっと銃で撃たれた夢を見ているのだと思いました(中略)彼はひどく汗をかいていて、それから眠ったまま、わたしの首を絞めはじめたのです。ようやく我に返ったのか、首を絞めていた手を離しました。必死で喘ぎながら泣いているわたしの声を聞いて、夫は目を覚ましました。夫は、どうしたんだ、と言い、明かりをつけました。わたしは、あなたに首を絞められた、と言いました。夫は何度も謝りましたが、そんなことをした覚えはないと言いました。でも、わたしの首にできた痕と、顔と首の色が変わっているのを見て(中略)。
 ある日わたりたちはトピーカに行こうとしましたが、そこまでたどり着けませんでした。(中略)彼はびっしょりと汗をかいていました。車を路肩に寄せてくれ、息苦しい、ひどく頭が痛い、と彼は言いました。それでわたしはガソリンスタンドに車を入れました。体が燃えているみたいだ、と彼は言いました。見ると、バケツの水をかぶったように汗まみれになっていました。でも、その体に触れると、とても冷たかった。(中略)わたしは、家に帰ろう、と言いました。州間道路に入ると、彼は震えはじめ、パニックに陥り、意識を失ってしまいました。


 彼女の証言は5ページにわたっている。その中には、帰国後の夫の奇矯な振る舞いが28例入っている。

 彼女は言う。「頭に来てる。腹が立つったらない。本当にめちゃくちゃむかついてる。とてもじゃないけど、乗り越えられない。あっちは魚釣りに行ってんのよ。週末には魚を釣ってんの。わたしはそんなことなにひとつできやしないのに。割食うのはいつもこっち。わたしはここで、あらゆることを自分で処理しなくちゃならない。こんなことをするために結婚して子供を産んだんじゃない。自分ひとりで全部やらなくちゃならないなんて。やり直せるならやり直したいわ。あんな男に会わなければよかった」
 彼女は言う。「二週間くらいわたしが入院したいわよ。そしてゆっくり眠りたい。そうなったらどんなにいいか。わたしを治療してよ」
 彼女は言う。「最低。赤ん坊を産んでからだれの助けも借りたことがないのよ。しかも彼は赤ん坊を落としちゃって」
 彼女は言う。「心が爆発しそうな感じがする」
 彼女は言う。「あいつが大嫌い」
 彼女は言う。「いま言えるのは、わたしがあいつをどれだけ憎んでいるかってこと。それなのに、一秒でも早く戻ってきてほしいのよ」


 「戦争が悪いのだ」と、傍観している人たちは思う。
 でも、その嵐のなかにいる人たちは、「戦争」なんていう概念よりも、目の前にいる夫や父親を憎んでしまう。
 それはそうだよな、と。
 でも、「国のために戦争に行った」人を憎むことは、たぶん、「正義」ではない。
 それがまた、家族を苦しめるのです。
 

 個々のエピソードを読んでいるだけで、僕は、胸が苦しくなってしょうがなかった。


 自分自身や、家族が、こんなふうになってしまっても、われわれは「戦争は必要悪である」と割り切れるのだろうか。
 「勝てばいい」って言う人もいるけれど、「圧倒的な戦力差があって、宿営地では携帯用ゲーム機で遊ぶこともできる」アメリカの兵士たちだって、こんな状態なのに。
 「でも、負ければ、もっと悲惨だろ?」って、それは、「自分は戦場とは関係ない」と思い込んでいるだけじゃないの?


 テクノロジーの進歩もあって、アメリカでは「戦場に行かなくても敵を殺傷できる無人戦闘機」が開発されているそうです。
 これなら、「テレビゲーム感覚」で、アメリカ国内の基地から、コントローラーを動かすだけで、自分の身を危険にさらさずに、返り血も浴びずに「殺す」ことができるので、兵士の心が傷つくこともないだろう、と。


 ところが、この兵器を使用した兵士には「自分が安全なところにいて、一方的に敵を殺戮すること」の罪悪感から、PTSDになってしまった、という事例がみられているのです。
 人間の心っていうのは、本当に厄介なものですね。


「訳者あとがき」には、こう書かれています。

 本書で書かれたような苦悩する兵士がいるのは、なにもアメリカに限ったことではない。日本においても、イラク支援のため、2003年から2009年までの5年間で、延べ約1万人の自衛隊員が派遣された。2014年4月16日に放送されたNHKクローズアップ現代」の「イラク派遣 10年の真実」では、イラクから帰還後に28人の自衛隊員が自殺したことを報じた。自殺にいたらないまでも、PTSDによる睡眠障害ストレス障害に苦しむ隊員は全体の1割から3割にのぼるとされる。非戦闘地帯にいて、戦闘に直接かかわらなかった隊員にすらこのような影響が出ているのである。そして日本では、そうした隊員に対する支援のシステムができているとは言いがたいのが現状だ。


 いまでも「他人事じゃない」のです、この問題は。
 避けられない戦争だって、あるのかもしれないし、負けるよりは勝つほうがマシなのかもしれない。
 ただ、戦争に行くというのは、こういうことだというのは、知っておかないと、フェアじゃないと思う。
 そして、もっと苛酷な目にあった人たちの声は、聴くことすらできないということも。

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