琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】犬の伊勢参り ☆☆☆☆


犬の伊勢参り (平凡社新書)

犬の伊勢参り (平凡社新書)

内容紹介
明和八年四月、犬が突如、単独で伊勢参りを始めた。
以来、約百年にわたって、伊勢参りする犬の目撃談が数多く残されている。
犬はなぜ伊勢参りを始めたのか。
どのようにしてお参りし、国元へ帰ったのか? そしてなぜ明治になって、伊勢にむかうことをやめたのか?
事実は小説より奇なり!
ヒトとイヌの不思議な物語の謎を探る。

犬が伊勢神宮にひとり(というか一匹)でお参り?
何寝ぼけてるんだというか、そんなのフィクションに決まってるだろ……と、あら探しをするつもりで、読み始めました。

 江戸時代、将軍でいえば第十代徳川家治、幕府では田沼意次が実権を握っていたころ、犬が突然、伊勢参りを始めた。人が連れて行くわけではない。犬が単独で歩いて行く。お伽話ではない。実話である。この話をし始めると、たいていの人が「おもしろいね」と言って聞いてくれるが、心底信じてくれているわけでもない。口で言っても信じてもらえないなら、こういうこともあった、いやこういうこともあったと、信ずるに足る資料(史料)を示し、事実をもって説得するしかない。
 最初の犬の伊勢参りは明和八年(1771年)四月十六日昼ごろ、と日時まで判明している。伊勢神宮は二十年に一度、社殿や神宝を作り替え、御神体の鏡を新しい正殿に遷す。式年遷宮である。明和六年九月に式年遷宮が行われ、その一年八ヵ月後の出来事だった。それ以来、伊勢参りする犬がしばしば現れるようになった。

ところが、この新書を読んでみると、そんな僕の「常識」は、見事に崩れ落ちていきます。
確かに「犬が自分の意志で、単独で伊勢参りをすることはない」のですが、著者は、さまざまな史料にあたり、当時の人々の体験談や物証を積み重ねていくことで、「結果的に、犬が単独で(見知らぬ人々にサポートされながら)伊勢参りを成し遂げていた」事実を描き出しています。
2014年を生きる僕が、「そんな与太話、信じられるわけない」と思い込んでしまっていたのが、まさに「思考停止」だったわけです。
ちなみに、この新書のなかには、かの司馬遼太郎さんも「犬の伊勢参り」を、検証もせずにフィクションだと切り捨てていたことが紹介されています。
どんなにすごい人でも、自分の「常識」をリセットするのは難しい。


この新書によると、「犬の伊勢参りは、そんなに珍しいことではなかった」そうです。
ある時期からは、犬ではもうあまりニュースにならず、豚や牛なら珍しがられたのだとか。


犬がなぜ伊勢参りできたのか?
その疑問に関しては、この新書を読むと「ああ、そういうことだったのか……」と理解できました。
とはいっても、それもまた著者の「推測」であって、著者も僕もその時代にいて、リアルタイムで見ていたわけではない、というのも事実なんですけどね。

 犬に信仰心があるか、と問うのは馬鹿げている。そんなことがあるはずがないと、江戸時代の人々も思っていた。しかし、現実に人に連れられもせず、目の前を伊勢に向かって犬が歩いて行く。伊勢参りを終え、顔なじみの人々の所へ戻って来る犬もいる。
 一方、伊勢神宮は千年以上にわたり、犬によって神威が汚されることを忌避し続けて来た。犬がもたらす(と考えられた)さまざまな穢れによって、式年遷宮の神事もしばしば滞った。その伊勢神宮がなぜ犬の伊勢参りを認めるに至ったのか。犬は伊勢参りを始めたのか。その謎は本書の中でほぼ解明できたと思う。しかし、それでもなお犬の伊勢参りは、なにか夢物語のような気がする。


もともと伊勢神宮には犬の立ち入りは許されていないそうです。
とはいえ、犬に「入るな」と説得しても聞いてくれるわけもなく、定期的に侵入してくる犬を捕まえて、遠くに「追放」していたのだとか。
それでも、「お参り」に来た犬に対しては、みんなが優しくサポートし、世話をしたり、お金を「寄付」したり。
そういう「少なからぬお金を持って歩いている犬」が、お金を道行く人に奪われることもなく(たぶん、奪われた事例もあったのでしょうけど)、旅を続けることができた時代が、明治のはじめくらいまで、およそ100年くらい、日本にはあったのです。


そして、明治維新後「人間の言うことをよくきく洋犬」が日本に入ってくることによって、日本での人と犬との関係も変化していきました。
いまの日本では「犬が単独で伊勢参り」どころか、近所のスーパーにだって行けるかどうか。

 かつての町犬の中には親切そうな人がいれば、その人について行く犬がいた。ついて行けば、いずれ餌をもらえることも知っていた。だれかが、この白犬を伊勢参りの犬ではないかと思った瞬間、ほんとうに伊勢参りが始まる。荷物が増えれば、宿場から宿場へ、みんなで運んでくれる。善意の人たちは至る所にいた。

作り話でもなく、誰か特定の人物が「仕掛けた」わけでもなく、さまざまな偶然と、人々の信仰心と、おおらかさが、犬の伊勢参りを支えてきたのです。
「犬が伊勢参りしたということが、何か歴史を変えたのか?」と問われたら、返す言葉もないのです。
しかしながら、こんなふうに「現代人からみると、非科学的に思われ、フィクションとして切り捨てられてしまった事象」のなかにも、丁寧に情報を拾い集めれば「理屈が通るかたちで、本当に起こっていたこと」が少なからずあるのかな、とあらためて考えさせられました。

アクセスカウンター